私は心の潜在意識の部分で、
特別でなければ存在できない、
っていう意識があったようです。

今日は相方が仕事だったので、一人で家でぼーっとしていました。
助けを求めたカードにも、静かに考える・今に居る・透知というワードがでたので、
もともとどうでもよかった外出もやめました。
そう、ここ数日の空虚感はなんだろうなあ、と、
静かに思っていました。

たいてい、私はいったん寝ると、その問題が快方に向かうのですが、
れいのごとく昼寝をしたら、うっかりおさまってしまいました。
答えが出たのです。

///

別に、こんなものも、あんなものもいらないのになぁ。
なんていらないものばかりで、欲しいものもなくて、
だいぶ腐っていた現状。

ただ何気ない、相方と囲む美味しい夕飯とか、
きれいな青空とか、心地よい風とか、
そんなものが毎日感じられれば、それでいいのに、
なんで、私が拒絶したい問題は、立て続けに外的要因を持ってもたらされるのか、
これはいじめなのかと、悩んでいたけれども。
ちょっとした覚悟がコツだったようで。

闇しか感じられなくてそれでも生きていくしか無いのなら、
闇を背負っていくしかあるまいよ、
って本の言葉がたまたま目に入ったのがすごく目に染みて、
まあ、そりゃそうだ、って納得して。

つまり、拒絶するのが苦手なんですけれどね、わたし。
拒絶する自分は汚いっていう認知があって、受け入れられなかったんだけど、
いっそ、なにもかも拒絶してしまえばいい闇にでもなんでも落ちてしまえばいい。
なんて思ったら、すっと、軽くなって、
その外的要因をもたらすひとたちやものごとが、全く怖くなくなりました。
そしたら自然に意識から消えました。

そうしたら、
何気ない日常が、とても目に染みてしまいました。


結婚するってなんだろう。
一人で生きていくのではなくなる、ってなんだろう。
与えるだけじゃなく、受け取ることも大切ってなんだろう。
そんな浮かんだ疑問たちは深追いせずに保留にしていたのですが、
少し、ほぐれた様子です。数日ずっと悩んでいた問題が、ここにリンクしてしまったのですから驚きです。


物欲が強くない、まわりほどしたいこともない、
そんな自分が心底いやだったのですが、
わたしはわたしらしくていいのだと。
自然と一緒にいたいっていう願望は、まわりの◯◯行きたい食べたいとなんら変わらない。
だから、ありのままでいい。焦る必要なんてなんもない。


////

自分のために、いきる。
つまり、なんも要んねぇ、
という言葉にたどり着きました。

そう、
特別な自分なんて要らない。
これは、どこかの過去とリンクすることなのかもしれないな。


なんもいんねぇ。

夕日がとてもきれいです。
この前、バスに乗っていたら窓越しに、バッタらしき虫を手に乗せて一緒に遊んでいる少女を見つけました。まるで昔の私を見てるようで懐かしくなりました。アスファルトの上で土に還れなくなっている姿を見つけると、よくお墓を作ったものでした。田舎なのでネズミとかも平気で転がっていたのね。アスファルトの上で、永遠に消えるのとのできない姿が、どうしようもなく酷く哀しく感じて、いてもたってもいられなかったのです。そんな時代があったなぁ、と、ふと思い出しました。今は、進む場所しか見てないなぁ。わたし。

光と闇があって別々でも共存している、そんな世界は美しいと思う。みんな光に合わせようとする必要はないのになぁ。と、そんなことを言っているから協調性はないと言われるし、職場で孤立する。でも、私はこのままでも良いと思う。もう随分と孤立しているけれど。(時々思う。どこにも還れない。たった1人)


とうとう仕事のことについて考えると涙が止まらなくなるくらいには、心はボロボロのようです。ずっと、感じないような心にしてきたのに、最近はそれをやめたからなのか、こういった感情がポロポロと剥がれて落ちてしまいます。ああ、こっちの方向には進むな、っていうサインなんだな、って思ってるけど、ここまでボロボロな自分がちょっと可哀想。なんとか癒して開放していくしかないね。来年末までは最低でも辞められないし。……今はここまで考えるのが精一杯。


先週、あまりにもボロボロだったので、久々に小説を書いてみました。自分の昔してたそういう創作なんか好きなことをすると、チャクラのバランスがとれてくるよ、と、レインドロップのお姉さんに言われたからでした。


なんか、こう、最近は答えを出さないまま、嫌なことはノータッチで上の存在に祈っているのですが、そうすることで落ち着いてしまいます。この問題も気づかないままにしていたけど、抱えてリリース、つまり祈ってみようかな。


それにしても、小説を書いたのは一年半ぶりでしたが、書いてる最中は楽しいのですが、出来上がった作品を手にしてみると、どす黒い感情がドロドロと沸き起こって来るのでめんどくさくなりました。昔、書くのをやめたのもその理由なわけです。

創作、ってことにおける私の存在意義が、再びグラグラと揺らいで、もう、私を開放してよ、って思う。

結果ばかりの世の中はうんざりだから。


描いている世界を引き寄せてしまおうか。



波に上手く乗るんじゃなくて、
波そのものになってダンスする。


何も考えない。


全ては循環するものだから、古いものは手放して、新しいものを受け入れなさい。

朝、目覚めがけに言われました。


グラウンディングすること、は、意識してコントロールする、つまり、力を入れることだとずっと思っていた。けれど、実は、力を抜くことなのかもしれないと、今日、私は思った。


最近、答えなんていらなくて、すっかり、真実なんでどうでもよくなってきまいました。探すことすら、何かの為にとか、より良いものを見つめようとすることすら、興味がないのです。

なんだか、全てがどうでもよくなって、なんにも考えないで、楽しいことだけ追っかけて毎日を送っていますが、それで別になんら支障がないので、おかしなものだと、昔の私が笑います。

突っ張っていたなにかが外れたのかな。それすらもうどうでもいい。


おやおや、と思うようなことが立て続けに起きます。そういうことなのかな、と、思うことにしています。

ぐらぐらと土台ごと揺れはじめました。水面下での意識の変化が、どうやら現実世界でも物質的なこととしてはじまったようです。

望んだのは私ですが、容赦ない。

もう少し、緩やかに、と願ってみますかね。それともこれごと楽しんじゃおうかな。


暗闇の中にとどこまっているように見えても、ちゃんと、進んでいるんだね。だから、頑張らなくていいよ。

そんな気がする。

Salyuのto Uを聞きながら。