何時の間にか、ね。

でも、
一人じゃない。
一緒にいてくれるらしいから、
きっと大丈夫。

なんだか最近は頻繁に、
自分の歳を忘れるね。
今がいつなのか、果て。


目を閉じると勝手に映像が流れる私なのですが、それがあれだときづいたのはつい最近。空想遊びと題して、時々疲れを癒すためにやっていたのですがね。最近、目を閉じずとも頭に映像が流れこんできたのです。その映像にうーん、うーん、と唸っていたのですが、今日立ち寄った本屋で、うっかりそれを見つけてしまい、うっかり購入。さて、この本は深く厚いぞ(笑)読み終えるのに何ヶ月かかるかな。重要な部分はせめて今月中に。


自分を癒す、
魂ごと癒す、
というのは、つまり、
自分を魂ごと知る、
ということのようです。


相手が絶望と向き合う時間を奪ってしまうどころか、自分の力で立ち上がる力さえも奪ってしまっていたのかもしれないね。私みたいなタイプは。
たとえば、エンパスも故郷に由来するものではなく、ひとつのカルマなのかもしれない。自我を再確立せよ、との。

深いところまできてきてるね。

仕事が終わって、バスに乗り込んで、久々にあるバンドの曲を聞いていたら、手のひらがどうしようもなくくすぐったくなりました。腕全体がほわほわ、ほわほわとして、なんか、作れそうだ、と思いました。さて、何を作るのかなんて知りません。影に隠れ、誰にもばれないようにエアー粘土をひたすら作っていました。そうしたらますますくすぐったくなるどころか、身体中、とくに背中と胸がくすぐったくなりました。やばい!エアー粘土、これなんだ?!ってなりました。


まぁ。時々あります。
私の脳内の妄想の暴走。
もしくは、本気でなんかキャッチしてしまうこと。

なんかあんまりにも楽しかったので、レイキの申し込みをしてしまいました。(笑)

本当はもうちょっと先の予定だったのですが、なんか、何時の間にか申し込みしてました(笑)まぁ、お金なんとかなりそうだし、って。


金環日食の時も手のひらと第七チャクラがビリビリしてて、これなんか出とる!!と、確信して、体調悪いところをひたすらあててました。そしたらやわらぐやわらぐ。……でも、あの時は、エアー粘土なんて作らなかったなぁ。なんだろ、これ。ちょっとまだ続いてます。

昨夜の新月の時は、テンションが軽くハイの状態で、うっかり新月だってことも忘れてヘラヘラしてました。目標立てるのとか全くしてませんからね(笑)

うん、私の腕はよく変なものを感知するけど、今度はなんなのかしらね。


star light world-__.JPG

まいっかい、このカードが出ます。
私たちに聞かなくてもあなたわかってるんでしょう?と、ツッコミを受けている気分です(笑)

ええ、そうですとも!

私がよくお邪魔するブログさんたちが、一斉に同じことを言いはじめたので、思わず大爆笑してしまいました。なんたって、どんなわけさ。これが集合意識なのか、それともソウルグループなのか。


何やら、魂ごと癒す、という言葉が生まれました。

私がスピリチュアルの枠を、もうめんどくさい!!と、力の限りマジ蹴りしましたら、ボンッ!と何かが外れて、想念世界と物質世界と混じり合いました。そして、想念世界も、物質世界も、ボンっ!と大きく広がって、私は更なる自由さを得た気がします。世界は驚くほど広くなりました。第八チャクラ、ということなのかと、密かに思います。想念を現実におろす。

けっけっけっー

私の内心はそんな雄叫びでいっぱいです。だってたっのしーからね。こんなに私らしく楽しいと、普段の悪戯っ子ぶり全開ですよね。雄叫びたくもなりますやん。


ここ数日の太陽嵐は本当に久々にもう勘弁してくれ!って思ったけれど、まだちゃんとやってけそうよ。


そう、魂ごと癒す、ね。
遠い昔の記憶を、人は忘れてやってくるけど、時々、私は思い出します。普通、自力でできるもんなのか?という疑問は残りますが、どうにも、できるタイミング?らしいのです。私は遠い昔のことなんて正直どうでもよかったし、今は別に不便してないから、不用意に関わるべきではない、って思ってるのね。でも、近頃は、どうにもこうにも、それが必要だ、って思うの。いつもの、いつの間にか知ってた、ってヤツとおんなじようなものなんだけどね。ハートの感触からして、それは良い方向みたい。ただし、さっきの、物質世界をしっかり堪能している私、じゃなければ、そこに関わってはいけない、ってことは強く思うのよね。


さて。
強い欲が、ぽこぽこと浮かび上がります。同時に、毎日がキラッキラしています。その欲は自分の為だけではなく、っていうことがポイントなんだけど、どうやら、私のような自己犠牲偽善者欲が無意識で働いてるタイプは、自分がめいいっぱい楽しむことからスタートのようで。まだ勉強段階だけど、どのくらい自分が楽しむと周りにどのくらい作用するのか。どのくらいまでやっちまってよいのか。つまり、自分がめいいっぱい楽しむことで、その笑顔が伝播していくことに繋がるんだけど。多分、このタイプの人間は、時々あふれる怒りや狂気は他人には向かわないから大丈夫でしょう(笑)


さて。
今年めざしていたところの、最終準備段階に入ったようです。

片付けたい課題はただ一つ。
そのビジョンをちゃんと見つけよう。
…長くかかりそうだ(笑)

ほう、と、
ここに辿り着いて深く納得してしまったのでした。

私がやり続けてきたことの共通点。
そこには必ずキラキラしているものがあった。私の魂が深くから喜んでいることたちが。帰り道トトロの森を通った時、夕飯の洗い物をしていた時にガラスの器に造花が閉じ込められたのを見て、そう思ったのでした。


芸術に時間なんてない。
テレビから流れてきた言葉がたまたま耳に飛び込んできました。ここ数日、眼鏡が行方不明なのでテレビが見れません。もともと私1人の時はテレビはつけないしいらないし。テレビを見るなということなのかもしれませんね。心を揺さぶられるものが今期は全くないし、見てて疲れるものばかりだしね。(テレビってなんであんなにオーラにダメージがかかるのかなぁ)

そう、芸術に時間なんてない。


人間のドロドロした執着(恋とか)、人間らしい心とか、そういったものの中に光があることは知っていたけど、最近、また、それを必要とし出しました。私たちはやはり人間なのだなぁ、と。強く実感する。なにをどうこう言ったって、私たちは、今に居る人間なのだと。どんなに美しい博愛やワンネスの心を求めてたどり着こうとしたって、人間くさいくだらない感情は、とてもとても愛しいのだと。私たちが人間である以上、それに優るものはないのだと。


必要以上なスピリチュアルな要素を手放して、人の創る芸術に、私の近頃の意識は行っていました。スピリチュアルにおける基本的な動作方法だけ身につけたら、後は自分でやんなさい、と、放り出された感じで、あら、なんなのかしら、という感じです。まぁ、芸術は私が幼い頃から関わってきたことだから、言われなくてもやるけど(笑)

そう、そこにキラキラしたものを見つけたんです。ハートのチャクラがキラキラと手放しにはしゃいで喜んでいるキラキラの姿。

おお!それだ!
と思ったのでした。


要らないものは拒絶してもバチはあたらんだろう。私が人間らい証拠だ。