一見、その流れに逆らうかのようで少し不安ですがね。

すっかり、腑に落ちました。

欲は消したらイカンねぇ。欲がない人間の方がよっぽどエグい。強欲だ。物質的な欲のある人のほうがよっぽど心地よい。いきすぎもイカンけど。そう、そんなことがわかってからは、正しさとか向かうべき方向性のこととかどうでもよくなった。だって特別な人間なんていない。この世界にいきる数多くの魂は、それぞれのお役目を持ってここにいるんだから。高いも低いもない。みな、最善。



相手とか関わるときに、無意識に相手のエネルギーをサポートするのはやめる。自分のエネルギーを打ち消すのもやめる。うん、だって、体質的にも、相手のエネルギーに同調した方が楽だったのだから。自分を知らなくて、それで済んでしまうのだから。エンパスは、自分の探求と確立、っていう使命を背負ってきてるんじゃないかな。だって、かの黄金期はみんながそういう状態だったっていうけど、今は物質世界。そしてそのまま『そこ』へ向かうんだったら。つまり、精神世界だけ、興味を持てばいいなんて、そんな筈はない。

今は、周りがどんなエネルギーに乱れていようと、自分を見つけ出し、それを保つ、ということに気を向けています。無意識に気配を消してしまうみたいで、気づかれないまま、なんてこともよくあるのでね(苦笑)いやいや、もっと、自分のエネルギーを自然のままに放出しよう。


それから、なにかと、刺激がないと落ち着かないので、女性性を高めて、待つことや受け入れることもやっていこうと思います。今は軽くマリッジブルーで、子どもができたら、こんなに自由にしてられないんだなぁ、時間もお金も、って思ってしまって、恐ろしくなります。仕事から帰ってきて家事をしてる時なんて特に思う。こんな疲れた心身で、今ですら自分の休憩時間がないのに、いったいどうなってしまうんだ、と。気が狂うのでは、なんてすら思う。だから、そういう戦闘モードな男性性の状態を、少し落ち着かせたいと思う。刺激がなくても、安定を保っていられるような自分をめざして。


前まえから思っていたのですが、リアルにお茶を飲んだりできる、同世代くらいの、精神世界、物質世界の両方が話せる友人が欲しいなぁ、と思う。どうやったら出会えるのかな(笑)

さて。
明日に大きなイベントがあるのと、八月はレイキの講座があるのと、変容目白押しです。今日はまったり、女性性でも労わるか。

……さて、仕事だ。書類早くよこせー(笑)なんて、いうのも今日はおやすみ。
マインドコントロール、というカードが昨晩出ました。ああ、やっぱりかと思いました。



自分の価値観が大きく変わった、あの精神世界の枠を大きく壊したあの日から、どうにも身体が今までにない感覚を味わっています。眉間のチャクラからクラウンチャクラにかけて、頭蓋骨がくにゃ~くにゃ~と、くわーんくわーんと波打ち歪むような感覚です。ともすれば歯が並んだまままるごとどこかへ移動してしまいそうな。痛みはともなわず、不快さもないので放置しています。ただ、時々眉間が激しく眩暈を起こすので、時々物をあてて蓋をしていますが(苦笑)なんだか、脳みその中の松果体だかなんだかが、再構築してるんか、と感じています。

私くらいの世代、つまり若い人たちは、この世界ではじまった時には、五つ目から上が最初から開いている状態の人が多いので、ルートからみっつを大切にした方がいい、というのは自分の身体の訴えからして理解しているつもりです。実際、二つめと三つめに対する劣等感みたいなものがあって、それが生理前になると弱まるのを強く感じます。辛い時はアンバーくんをあてて対処しています。

一つめ、がルートであること、つまり、一番最初に数える場所がルートチャクラであるということは、わたしたちは物質世界で生きる人間なんだな、と、嬉しくなります。

そんなわけもあって、六つめは時々壁やタオルや手のひらで蓋をするくらいで、七つめに関しては意識を一度も向けたことがないのですが、七つめを調べるまでに至りました。でも、ネットをみてても、多少の発見はあれど、そうじゃない、と、思いしらされます。外に探すのではなく、内に探せ、と。つまり、自分で探求し、それを信じろ、と。うまれたとから七という数字をもつ私は、信じるということがテーマのようで、それはいたるところで出てきます。


さて。
私のからだは何してんだ!
と、つっこみをいれつつ。
酷い眠気でぴかるの最中で寝てしたい切ないナツカでした。仕事だー


そこ、に行くために必要なのは、
努力じゃなくて、
私が私を生きること。
たったそれだけ。


そこへ辿り着くには、完璧な聖人君主になる必要がある、なんていう幻想がそもそものはじまりだったのかもしれませんね。そんなことを、どこか、遠い潜在意識で思っていたような気がします。

今日仕事中に、昨晩読んだ本の内容を考えていました。私の隣では、後輩の愚痴を爆発させる先輩の図があったのですが、彼女達はハードワークで疲れ果てていました。しかし、私は、そんな状態だろうが、その話を仲間のいるこの空間でするのはとても不公平だと感じていました。つまり、憤っていました。先輩ならば、後輩の過ちをサポートしてあげるものではないのかという点においても、不公平だと感じていました。弱きものは強きに支えられて当たり前であると。

昨晩読んだ本の内容には、「あなたは自分を擦り減らしてパートナー(性別問わず)に尽くし続けた過去があり、そのおかげでとても素敵な『心と判断力』を得ることができました。あなたはそこで慈悲の心、人に尽くすことを学び、調和の中における懇親的な人の愛を知りました。しかし、そこであなたは自分を後回しにし、自分というものを失いました。今回の世界であなたは、自分を知る再出発を図り、自分というものを確立させることが重要な目的となります。既に調和という愛を学び、人に尽くす喜びを得ていますから、次は自分をすり減らすことなく、自分に十分尽くし、自分を愛することの喜びを知ることがキーとなります。過去において、自分の全てを捧げて相手に尽くした為に、相手の絶望と向き合う時間を奪い、自分の足で立ち上がる力をも奪ってしまいました。今回は、自分というものを全面に出した上での、そこにおいての調和を知る必要があり、本当の奉仕というものを学び直す必要があります」というようなそんな感じの内容が書かれていました。まぁ、このへんは、今後もう一度書こうと思います。昨晩の話なので、結構おおまかな感じで書いてます。

そうそう。
そこにはこんなことも書いていました。『自分の領域をすり減らして尽くした為に、それが当たり前だと思い、相手の領域を忘れ、浸食してしまうことがある。相手の欠損したエネルギーを補う関係ばかり続けてきた為に、その辺りがとても麻痺している。相手には領域を主張する動きがあることを忘れている。自分には自分というものを主張する領域があり、同じように、相手にも主張する領域があることを思いだすべきである。』ということでした。

そう、で、本の話と職場の話を混ぜた戻ります。
私はとても憤りを感じていたのだけど、この感情は、なんら彼女達の愚痴と全く同じものであると気づきました。それは、私が私の領域を主張した為にわかったことでした。逆に、そうしなければ、わからないことでした。

師匠に、自分を後回しにしてはいけない、あなたは常に自分を先に考えるのよ、という言葉がしっくり来た瞬間でした。

そうしたら、ぐにゃっと脳みそが左右に歪んだ感触がしました。次に考えたことは、『彼女達の愚痴がなければ、全く喋らない逃げてばかりの消え入りそうなタイプの人は存在できない。つまり、どんな人間がいても損をする人と得をする人が出てくる。とどのつまり、何がプラスで何がマイナスとかいう真理というものは心底馬鹿馬鹿しい!人は常に最善の存在であるというけれど、つまりは、そういうことなのかもしれない。数、数多の命があって成り立つこの世界は、それぞれに作用してやっと成り立つわけで、そういう意味においては、命はやはり最善の存在なのではないか』と。

プラスのものが高次元で、マイナスのものが低次元とか。高次元が偉くてら低次元が醜いとか。波動を上げないとその例の場所には行けないとか。そんなことが心底馬鹿らしくなってきまして、ガハハハ!と内心笑ってしまいました。ただ存在していればそれで十分なのだと。そこで頑張れば徳を積めるしカルマは紐解けてゆく。それはその魂次第。全ては自分でちゃんと背負ってここに来ているのだから。

(んじゃあ、なんでこんな分離ゲームなんてやってたの?そしてまた統合するの?)


私は、過去世という言葉があまり得意ではありません。それにすがったところで、今の自分がよりよくなれるかと言えば必ずしもそうではないからです。それどころか、逃げる隙さえ生まれそうで、ね。
だがしかし、ですよ。
私が今を生きる上で、歪んだ認知や行動を少し戻してあげるだけで、とても調和のとれた時間が送れたのですよ。私は私、それを主張することで、どんなにか楽しいか、私は気づいてしまったのです。

魂のトータルケア

という言葉が浮かびました。つまりは、私が私らしく生きる為には、私という自我のその奥の私の魂ごと、癒し、輝かせていきたいのね、私、と思ってしまったわけです。

こんなにこの世界に居てるのに、魂をみるのをすっかり忘れてた。そう、魂ごと、つまり、世界ごと。


この分離ゲームになんの意味があるのか。いつもよく聞く相手に質問してみたら、楽しそうだから、という答えが返ってきました。あなたに聞いた私が間違ってたよ、と半分は思いました。

でもね、
かの上昇の言葉とか、人によって捉え方が全く違うの。カルマに対する考え方も全く違うの。ぶっちゃけ、その言葉、なんてものは、何かその創造の根源を説明する、便宜上の言葉にしか過ぎなくて、ぶっちゃけ、それができようが、したくなかろうが、どうだっていいってこと。

ずっと、私たちは、何かに囚われすぎなんだと思う。

過去の、何個か前の時代の人たちは失敗してる、かの上昇ですが。同じやり方では、また失敗するんじゃない?もう、そんなやり方に囚われなくても良いと思う。自分のやり方で、そこ、もしくは自分の行きたいところに行けばいいと思う。この世界で、その場所に向かわないと決めてきた命もたくさんあるのでしょうから。

なんて、私みたいな考えがあるから、真逆の考えが存在できるのだし、逆も当然しかり。

楽しいね!


小学校二年の頃、宮沢賢治のお話が授業で扱われました。先生が、この話を通して作者は何を言いたかったのでしょう?という質問をしたのですが、私は『いろんな考え方があって、世界が出来上がってるんだよ』という事を答えた気がします。なんつー詩人っぷり。その頃からカナリのロマンチストでした。今も昔も変わらないですね。私は私のようです。とってもロマンチストな浮かれたマセガキです。


そんなわけで。自分のことだけ考えてはいけないのよ、奉仕の心を学び、調和と愛を心得るのよ。自分の為の時代はもう終わり、という言葉が、多く広まっていますが。私は、今は、自分のやるべき、自分の探求と、自分を優先させた上での本当の意味での奉仕と愛、ってとこかしら。つまり、まだ私も若いので、私は私をすり減らすことなく、一番に、自分を幸せにしてあげる、そんな時期を満喫します。自分を愛することの学び。

でも、これって、まだまだ多くの人が向き合うに値する課題だと思うのよね。


魂のトータルケア。
それはこの世界における自分の魂、であるということ。

この世界における魂よ。




おおお!
ってなりました。
書きたいけど時間がないので。