近頃は、自分のことが大嫌いだった。なんだか、理想の人間になろうとすればするほど、嫌いなタイプの人間に変わってしまって。でも、そんな自分を更に嫌いになってしまって。私が求めていたのはこんなんじゃなかったのにな、って。それは、多分、環境の変化についていけなかったからかもしれない。

私の目指していた姿は変わらないけれど、周りが変わってしまって、このままじゃいられなくなった。つまり、成長しなさいよ、っていう意味なのかもしれない。

それを理解して、変わろうと願って少しずつ動きはじめてどれくらいたっただろう。ふと、もっともっと、最初の頃を思い出した。なんだか、答えはそこにあったんだよなぁ。

ただ、ちょっと私が年をとってしまっただけ。だから、こんなに悩むんだろう。…きっと、死ぬまで悩むんだろうなぁ、私。(笑)



余命を三ヶ月と言われて、でも、八ヶ月も生きた赤ちゃんがいる。毎日面会にきていたお母さんも、あれから、もう来なくなって、一週間。お礼を言いに来てくれた。家族は確かに悲しみを抱えていた。けれど、そこには優しさがあった。おうちに連れて還って、家族四人で映る写真を、六歳のお姉ちゃんが手紙と一緒にくれた。その写真とお手紙は、本当に、本当に、優しさに包まれていた。ゆうくん、あなたは、とてつもないもんを、この世界に遺していったね。本当に、あなたは凄いよ。
ありがとう。

その家族のあいさつと鉢合わせるように双子が退院していった。おめでとう、と言うのに、心を込められなくて、苦労した。ごめんね。おめでとう。




自分を赦せないと、人を赦せないのだと、つくづく思った。

ベンチとコーヒーが聞きたくなる。

私は何を歌っているんだろう?

いつもの顔で、貴方の歌を聞こう。


私はどの場所においても、年上、という目で見られる年齢になってきた。中身はまだ全然なのに。自分のことだけじゃない。子を抱える母、後輩を見つめる先輩の目。目標はまだ遠い。まだまだ、遠い。

どうやら朝日が拝めたようです。
やった!
ありがとう関係者さまがた!
よかった!
もんじゅ、成功。
http://www.asahi.com/national/update/0624/OSK201106240001.html

あと、ラスボスは
茨城の常陽実験炉
http://www.page.sannet.ne.jp/stopthemonju/home/0901joyojiko.pdf

佐賀の玄海原発
http://d.hatena.ne.jp/eirene/touch/20110620/1308555942


とある日記で、ちょっと素敵な表現にであった。



目の前に二本の棒があったとする。
どちらが短いか、長いかは、2つあるから表現できる。
けれど、一本になってしまったら、途端に、それが長いのか短いかいのかわからなくなる。
こんなふうに、私たちは、自然に何かと何かを比べている。

目の前にミネラルウォーターがあったとする。それを幾らで買いますか?
それとも買いませんか?
暑くて喉が乾いていたら買うと思う。
では、会議の前は?
スポーツの後は?
三日間ご飯をたべ損ねたら?
砂漠の真ん中だったら?

それぞれに、必要とされれば、求められる。


例えば、街ゆく人にとって自分なんてどうでもいいかもしれない。
けれど、友達にとっては?家族にとっては?恋人にとって、自分は必要とされる?
そこに、人の情が付加したら、また変わる。


ていう内容でした。

どれもこれもいっしょくたにしてたかもしれない。親のことだって、もしかしたらこの人の腹ではなくて、隣の家の親の腹から生まれてたかもしれない。だから、私と目の前の親との縁はたまたまだ、って思ってた。友人だって、恋人だって、そう。もしかしたら、違う人間と縁を結んでいたかもしれない。だから、目の前のこの人が私の目の前から居なくなっても、もしくは私の方から消えても、なんら支障もなければ悲しくないって思ってた。だってそんな、絶対的ではない縁を、どうやって大切にしたらいいのだろう、って。そんな話を友人にしたら冷たい目で見られました。自分でも、冷たい人間だってわかってたけど、どうしようもこの考えはかわらなかった。まぁ、私は今の今まで、本気でよくわからなかった。目の前の人が今すぐ死んでしまっても、そのうち数年たてば復活するさ。



自分の価値は、自分がわかってるから、他人にどう思われてもどうでもよかった。けど、こんなふうに考えられるなら、愛されるということがどんなことかわかった気がする。隣の席の人のに必要とされるのと、親に必要とされることが、違う、っていうのを、今になって理解しました。

人に必要とされることについて、価値を決められることについて、怖くて、壁を作っていただけなのかもしれない。

その人はその人で、なにかと比べるものではなく、もっと真っさらなものなんだろう。





自分で自分の価値を
決めようとしていた

それもきっと
なにかと比べた上での
価値でしかなかったのだろう

私は私
もっとまっさらな
ものかもしれない

私が私について
考えた途端に
私は私を箱に覆って
形を整えて
それはまるで
首を閉め続けていたのかもしれない。