とことん自分を癒すこと。
それができなければ、将来、自分の子どもにあげられないからね。だって、両親から貰えなかったものは、自分で自分にあげるしかないんだよね。
とことん自分を癒すこと。
尊敬する人から貰った言葉。あの日からこれが私のテーマになってます。それがいったいどういうことなのか、まだちょっとわからないけど、なんとなくわかってきた気もする。しっくりきはじめたかな。
これが必要な人はきっと山ほどいる。日本人には多い筈。私の親だってそう。私の母の両親は、養子として育てられ、結婚の時にはじめて互いの顔を見て、夫婦をやって、親になった。そして母たちが生まれて、育ったわけ。生活はなんとなく想像できる。
この血のカルマがどこから続いているのかはわからないけど、もう終わりにしたいんだよね。
なんて、ことをずっと考えています。自分で自分を癒すこと。何年もの闇を癒すには、まだまだかかるだろう。
その癒しの途中で気づいたのですが、人と人との関係に上下関係を考えると、私は必然的に自分を下にしてまうので、すると、自己犠牲的な態度や、自己否定的な考え、に至るようです。
上下をなくしたい、手を繋ぎたい、頭で思ってはいても、心身はついてこなかったのですが、どうやら、これがあるきっかけで身に染みてきました。
職場で、私の職種は一人きりなので、集団vs一人、つまり、一人ぼっちという構図ができあがっています。勿論、一人ぼっちは私。この構図が、私の小学、中学時代を想起させるんです。誰にも馴染めず、馴染もうともせず、とんがった性格でいじめにもあい、孤独の塊みたいな生活をおくっていました。今思えば、果敢な思春期の黒歴史だなぁと笑い飛ばしますけどね(笑)職場では、そんな立場なことはないのに、私はこのゲームからまだ抜け出せないでいるようです。職場ではいつも自分の中の闇と戦い続けている。
昨日のことでした。
ある看護師さんが私の目の前でパソコンを睨みながら、ああ疲れたー、と心底言いました。その時私は、ああ今日は私も鬱々してるぜ、なんて、思うと同時に、私だけじゃない看護師さんも疲れてんだよなぁと思った。いつもの何気ない、変わりの無い場面。繰り返しの。でも、その時私は思ったんです。看護師さんも事務も同じなんだなぁ、って。同時に、看護師なんて職はハード過ぎて、事務より大変でエライ、って、無意識に思っていた自分に気づきました。
看護師さんの方がエラくて当たり前、って、私は思ってたみたいなんですね。
でも、違うよね。私が目指していることには、それは全然違う。
仕事量や質は違っても、それは、それぞれの分担を担っているだけで、みんな同じなんだ。
そう思えた瞬間、何か視界がまた大きく開けた感じがします。
上下じゃなくて、横に並ぶ。手を繋ぐ。そう考えられたなら、勝ち負けのゲームや、それに伴う人間の自己卑下や、他者への見下し、そもそもな物質的な人間関係が、うっすらと消えてゆくんじゃないかなって。こうすることで、自己の癒しの先にある姿に一歩近づくのではないかって。
つまり、上下関係による自己否定感に、私は気づいた訳です。そこに生まれる私自身への鬱屈とした枠が、取り払われたなら。もっと世界が広がるに違いない。
私がこの職場で学ぶべきことは、他者に染まらない確固たる自分であるだろう。それは、他者との繋がりの学びでもあり、物質社会での基本的なルールだと思う。私が目指す将来の為に学ぶ必要がある。
ちなみに、それを教えてくれた看護師さんですが、お姉さんがフランスで修道女をしているというツワモノで、彼女自身も天使のサポートを受けているタイプのようで、ところどころそれは見受けられます。…まぁ、うちの職場は、いろんなタイプの人がいて面白いですよ。本当にいろんな、ね。
人間てすごいですね。
愛のあふれる存在だなぁとつくづく思う。