フラワーエッセンスやアロマ、パワーストーンや漢方を色んな角度から調べてる時が一番楽しいかもしれない。それをもって、自分の体調を整えてる時とか。私の尊敬する方が、自分を実験台にすれば良いのよ、ってアドバイスをくれた。確かになるほど。癒しの職につくには、まだ私は若すぎる。自分が満たされていないと、そして、その満たされて溢れたもので癒しをする姿勢でないと、バランスはとれない。満たされない自分が癒しをすれば、それはどこか必ず偽善が入るし、喜びからの奉仕にはなれない。恐れや強迫観念から癒しになるなんてなおのこと。
私は、どこのヒーラーさんにも、結構敏感な方と、評されます。確かにね。それで25年以上も苦しんできたんだから、自分でも自覚はしている。でね、私の意識が最近変わったんだ。この敏感さは宝物なんじゃないか、って。こんなに敏感なら、人よりも多くを知ることが出来るんじゃないか、って。一年と数ヶ月、私は代替療法に物凄い勢いで首を突っ込んでて(小説や詩を書くのをすっぽかすくらい)、いったいこの嵐はなにものなんだろう、って思ってたけど、ここでこうしてパズルのピースがはまったのね。凄くしっくりきたの。自分が生まれてからずっと探してた場所にようやっと出会えた、って。そのくらい。例えば私にとって小説を書くことは、その原動力は全て孤独から来ていて、だから良いものが書けたけど、でも自分の居場所には成れないんだ。初恋みたいにね(笑)
だから、ようやっと、魂の居場所を見つけた、みたいな。
それから、私、割りと分析タイプなんですね。何か愚痴を言う時も、「この人はこういう精神状態で、ああいう時はこういう反応をするのよね。こっちはこういうタイミングだったから、これがこうなった。だから仕方ないけど、私はこういう気分だった。あの人こういう時、こうだからね」なんて、具合に言うので、女性の会話に混ざるのは困難です。ナツカさん、分析したいの?愚痴が言いたいの?って聞かれます。私は、その人の本質が知りたいのね。だからこうなんです。
誰かが感情を高ぶらせて問題が起きた時、自分が問題に対して素直になれない時、果たしてそれは、その人の深層心理で何が作用して、表面化したのか。だから、その根っこに向けるには何が一番適切なのか。多分、私ならそれと向き合える。自信がある。
そんな葛藤をしていたんだけどね。
何年も何年も。時にそれが自分に向けられて、自傷的になってたわけ。
でも、それはずっと私の中で消えることはない葛藤だった。ずっとずっと。何が真実にとって、最善なんだろう、って。
つまり、
枠の中の本質、
っていうテーマね。
素直ではない様々な装飾を身にまとった表層に、対する、向けられる最善の選択。つまり、真実。
人は色んなものを身につけるからね。ありとあらゆる枠を。
まぁ、それを取るか取らないかは、そこ人の希望次第だから、それはどうでもいいけど。
ただ、枠の中の本質を、見抜く力、その可能性を私は人より多くあることは確か。
枠のないすっぱだかの魂って、愛そのものだと思うんだよね。それと向き合うことを私はずっとしてきたんだ、って思えた今、未来が物凄い勢いで広がった。ああ、私ってこういう人間なんだ、って。
パズルのピースがしっくりと、ハマった。
私のしてきたことは間違っていなかった。いつでも最善だった。
これは後付かもしれないし、好都合な見方かもしれないけど、でも、心から、この出来事が私にとってあらかじめ用意されていたことのように思えるんだ。
谷底に頭から真っ逆さまに落っこちた。どんなに高い壁よりも深い谷底。上に到達するには何日もかかるくらい。そこの底から、ぼんやりと地上を見つめて、どうやって登ろうか、思案して、勇気を奮い立たせる。壁ならば、登らねば!
なんて、思ってた自分。
けど、登らない勇気も必要だってこと。
壁はかならずしも、
登るものではないってこと。
それを知る心の深さ。
例えば、それから、谷底で生活をすると決めたところで、なにも、谷底だからこそ出来ることを探す必要はない。そこで必要なことを探す必要もない。特有の楽しみを見つける必要もない。自分がただ自分でいればいい。自分がしたいことをすればいい。ただ、それだけのお話だったんだよね。
それがどうしてこんなにも難しいのかな。したいことをすればいいの。枠なんて、なんにも要らないから。
枠をつけて、目的地に進んでいて、そこに到達した途端逃げてしまった自分、という映像をみました。思わず吹いてしまいました。笑える!
そう、笑える話なのです。
例えば、こういうふうに、素敵な自分を描いたとして、一日のうち100%連続してこんな状態でいられる訳はないよです。泣いて笑って、悩んで失敗して、喜んで転んで、人ってそんなものなんですから。完璧にしようとしてすっころぶ。そんなもんなのです。
どこか住みやすいところに理想郷を作る訳じゃなく、ここに理想郷を作る、とはよく言ったもので。人間らしさこそは捨ててはならない。この人間らしさは、これから先の未来でも必要です。誰でもない、地球での、人間の物語だからね。
まぁ、ちょっと脱線しましたが。
エネルギーが本格的に変わってきましたね。
私は、どこのヒーラーさんにも、結構敏感な方と、評されます。確かにね。それで25年以上も苦しんできたんだから、自分でも自覚はしている。でね、私の意識が最近変わったんだ。この敏感さは宝物なんじゃないか、って。こんなに敏感なら、人よりも多くを知ることが出来るんじゃないか、って。一年と数ヶ月、私は代替療法に物凄い勢いで首を突っ込んでて(小説や詩を書くのをすっぽかすくらい)、いったいこの嵐はなにものなんだろう、って思ってたけど、ここでこうしてパズルのピースがはまったのね。凄くしっくりきたの。自分が生まれてからずっと探してた場所にようやっと出会えた、って。そのくらい。例えば私にとって小説を書くことは、その原動力は全て孤独から来ていて、だから良いものが書けたけど、でも自分の居場所には成れないんだ。初恋みたいにね(笑)
だから、ようやっと、魂の居場所を見つけた、みたいな。
それから、私、割りと分析タイプなんですね。何か愚痴を言う時も、「この人はこういう精神状態で、ああいう時はこういう反応をするのよね。こっちはこういうタイミングだったから、これがこうなった。だから仕方ないけど、私はこういう気分だった。あの人こういう時、こうだからね」なんて、具合に言うので、女性の会話に混ざるのは困難です。ナツカさん、分析したいの?愚痴が言いたいの?って聞かれます。私は、その人の本質が知りたいのね。だからこうなんです。
誰かが感情を高ぶらせて問題が起きた時、自分が問題に対して素直になれない時、果たしてそれは、その人の深層心理で何が作用して、表面化したのか。だから、その根っこに向けるには何が一番適切なのか。多分、私ならそれと向き合える。自信がある。
そんな葛藤をしていたんだけどね。
何年も何年も。時にそれが自分に向けられて、自傷的になってたわけ。
でも、それはずっと私の中で消えることはない葛藤だった。ずっとずっと。何が真実にとって、最善なんだろう、って。
つまり、
枠の中の本質、
っていうテーマね。
素直ではない様々な装飾を身にまとった表層に、対する、向けられる最善の選択。つまり、真実。
人は色んなものを身につけるからね。ありとあらゆる枠を。
まぁ、それを取るか取らないかは、そこ人の希望次第だから、それはどうでもいいけど。
ただ、枠の中の本質を、見抜く力、その可能性を私は人より多くあることは確か。
枠のないすっぱだかの魂って、愛そのものだと思うんだよね。それと向き合うことを私はずっとしてきたんだ、って思えた今、未来が物凄い勢いで広がった。ああ、私ってこういう人間なんだ、って。
パズルのピースがしっくりと、ハマった。
私のしてきたことは間違っていなかった。いつでも最善だった。
これは後付かもしれないし、好都合な見方かもしれないけど、でも、心から、この出来事が私にとってあらかじめ用意されていたことのように思えるんだ。
谷底に頭から真っ逆さまに落っこちた。どんなに高い壁よりも深い谷底。上に到達するには何日もかかるくらい。そこの底から、ぼんやりと地上を見つめて、どうやって登ろうか、思案して、勇気を奮い立たせる。壁ならば、登らねば!
なんて、思ってた自分。
けど、登らない勇気も必要だってこと。
壁はかならずしも、
登るものではないってこと。
それを知る心の深さ。
例えば、それから、谷底で生活をすると決めたところで、なにも、谷底だからこそ出来ることを探す必要はない。そこで必要なことを探す必要もない。特有の楽しみを見つける必要もない。自分がただ自分でいればいい。自分がしたいことをすればいい。ただ、それだけのお話だったんだよね。
それがどうしてこんなにも難しいのかな。したいことをすればいいの。枠なんて、なんにも要らないから。
枠をつけて、目的地に進んでいて、そこに到達した途端逃げてしまった自分、という映像をみました。思わず吹いてしまいました。笑える!
そう、笑える話なのです。
例えば、こういうふうに、素敵な自分を描いたとして、一日のうち100%連続してこんな状態でいられる訳はないよです。泣いて笑って、悩んで失敗して、喜んで転んで、人ってそんなものなんですから。完璧にしようとしてすっころぶ。そんなもんなのです。
どこか住みやすいところに理想郷を作る訳じゃなく、ここに理想郷を作る、とはよく言ったもので。人間らしさこそは捨ててはならない。この人間らしさは、これから先の未来でも必要です。誰でもない、地球での、人間の物語だからね。
まぁ、ちょっと脱線しましたが。
エネルギーが本格的に変わってきましたね。