今年ほど忙しい年はないと思うんだよね。頭こんがらがるから、とりあえず今の課題を整理しよう。


・転職(8月半ばまでには)
・友人の件(人間て醜いよね)
・自分の小説
・ピアノ練習→バンド加入
・貯金(沖縄資金、バンド資金、小説活動資金、将来の貯蓄)
・女を磨く。金かけたいな。

最後のは、また髪切っちゃったから(苦笑)童顔が酷いの(苦笑)
あとはノーコメント。


死にゆく人間で視界が狭まるよね。一緒に居て楽しくない。でもそんなのわがままでしょう。ありがとうを返したいから。
でもなんか、一緒に居るの辛いんだよね。それが現実なんだよね。
直接話す気力もないよ。でも、何か伝えられたらと思う。

生きるとか死ぬとか、そんなもののために必死になる人生は嫌で。だから私は小説を見つけた。鬱病を乗り越えた。次の世界でも生きてゆける筈。

がむしゃらんなって、大きく翔て!

生きてて良かった。
そう思える瞬間にまた、久々に出会えた。

失って、傷ついて、また優しさに出会って、手にして、また失って、手にして

ずっと、その繰り返しなんだろう。

生きるってのは難儀なもので。
それなのに、私たち人間の魂は生きたいって、波打ってる。

私たちはどこに行くんだろう。
違う世界からこの世界に来て、また違う世界に行く。


生きること自体に何があるんだろう。それを考えると頭が痛くなるのは、失った記憶を思い出そうとする感覚に似ている。

知らない方が良いものなのかもしれない。

ただ、生きたいというプログラムに知らぬまま流されて。幸せだけ追い掛けて。儚い時間を。

失って、手にして、



血を興奮させてくれる人に、場所に、物と供に歩みたい。

癒やしブームなんてありましたが。
実はあれ凄く怖いことなんだと思うんだ。

癒やす。多くのそれは、傷を対象として用いられる。

癒やしグッズの中には毎晩使うものや、そういったスポットには、日々の疲労の溜まった身体を癒やすなんて言葉が並ぶ。

つまり我々の心身は日々、毎日毎日何かに傷ついている。まぁ、生きるなんてそうだろう。

では果たして、その傷はどうやってつくのか。他人に鋭利な言葉を投げつけられた?毎回?予期せぬ障害に毎日遭遇する?そうではなくて、自分自身の行いによって、日々傷ついているんじゃなかろうか。生活スタイルや、歪んだ負の思考やなんかに。

そう考えると、実は怖いことだ。自分で自分を傷つけて、その傷の責任を自分以外の他の対象に転嫁して、また別の何かに癒やしを求める。もしくは自分でその傷を癒やす。


癒やし、という言葉そのものにこんな背景が考えられるんだ。恐ろしや。


つまり、癒やしを必要としない、自分を傷つけない生き方。それはとても大切で。できている人間は、この情報に溺れてる現代じゃあ難しくなってきてるのかもしれないけれど、自分自身を高める、それは自分の生を肯定するという意味ではとても重要なんだよね。

大人になればだんだんとできてくるものだけど、日頃から向き合っていきたい。それが自然にできる人はとても輝いて見える。
人見知りは、幸せを妬んで、自分を蔑んでるだけだって、どれだけの人が感じるだろう。

繋がることは楽しいよ。


案外弱音を吐いてみたりしても、受け止めて一緒に考えてくれたりするもので。

それに気づけたなら、きっと、もっとキラキラした日常が待ってる。



この部屋を好きでいっぱいにしよう。