22日お昼12時頃から午後8時頃まで営業

23日は午後6時頃までの営業。

23日夜はカール先生の英詩朗読の会



吉野弘さんは、茨木のり子さんの「詩のこころを読む」を古書ますく堂さんに紹介されて、パラパラめくっていて「生命は」という詩に出会って、良いなぁ…
この詩は何という方が書かれたのかと?

先ほど吉野弘さんの著作があるあたりの本棚を眺めていてこの本が目につき、そしてこの詩を改めて目にした。
「I was born」

誕生日をワイワイと他人様と祝うという考え方もある。
けれど、個人的には、去年の誕生日から1年、自分なりに生きて、お疲れ様でしたの日。
他人様から見たら、お笑い草やけど、まぁ、アホはアホなりに頑張った、エライエライ。と、自分をほめる日でもあれば、しんどいけど、また1年頑張らなぁ…と再スタートする、させられる日でもある。

させられる。
そう「I was born」の冒頭にはそのことが書かれています。

「I was born」は受け身形だね。人間は生まれさせられるのだね…と。


母の腹の中にプカプカ浮かんでれば、安全、快適なのだ。安楽なのだ。

しかしそれを続けていては母の身体は持たないので、危険で不快な外世界に生まれさせられる。

だから赤ちゃんは泣くのだ…というのも聞いたことがある。


誕生日を疑似出産ととらえて、「再スタートさせられる」日…というのも、まんざらでもないかと思いますが、いかがでしょうか?





I was born

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと、青い夕靄ゆうもやの奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。 

 少年の思いは突飛しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと 諒解した。僕は興奮して父に話しかけた
---やっぱり I was born なんだね---
父は怪訝けげんそうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
--I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意思ではないんだね--
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってはこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後、思いがけない話をした。
--蜻蛉かげろうと言う虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね--
 僕は父を見た。父は続けた。
--友人にその話をしたら 或日 これが蜻蛉かげろうの雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口はまったく退化していて食物をるに適しない。胃のを開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりとした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげてるように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて <卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは--。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつの痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものだった。
--ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体--。




公津の杜、もりのビブリオは、次回12月1日午前中。
公津の杜、もりんぴあです。
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