心の奥深くに光を灯し本来の自分に還る

正しさや普通に合わせてきた結果、
自分が何を感じているのか
わからなくなっていませんか。
このブログでは、自分の感覚を
無視してきた生き方から
「私はどうしたいか」を思い出し、
自分の内側を信頼して
生き直すための
ヒントを綴っています。
前回、前々回に引き続き、
体の感覚を見ていく中で、
喉のあたりも
よく反応している場所だなと思います。
今回はこの場所について

私と世界
自分のエネルギー
体感とチャクラ
ここは、
何かを「言えなかったとき」に
わかりやすく違和感が出る場所。
でも、
よく考えてみると
ただ言えなかったというよりも、
「言わないほうを選んでいる」
ことも多いなと思います

たとえば、
本当は少し違うなと思っているとき。
それを言ったら
空気が変わりそうだなと思ったとき。
相手にどう思われるか、
気になったとき。
そういうときって、
言葉は頭の中にあるのに、
あえて出さないことを選んでいる

その瞬間に、
喉のあたりが
少し詰まるような感じがしたり、
引っかかるような違和感が
残ったりすることがあります。
私自身も、
その場では
「まあいいか」と思って流したことでも、
あとから振り返ると、
「あのとき、本当はこう言いたかったな」
と思うことがありました。
でもそのときは、
言わないほうがいい気がして、
自然と飲み込んでいた。
それって、
間違いとかではなくて、
そのときの
自分なりの
選択だったんだと思います。
ただ、
そうやって
言葉を外に出さずにいると、
喉のあたりに、
小さな違和感として
残ることがある。
はっきりした不調じゃないけど、
なんとなくスッキリしない感じ。
少しだけ詰まっているような感覚。
そういう小さなサインが、
あとからじわっと続くこともある
また、
私はよく父から
理不尽な怒りを受けて
我慢し続けていたし、
仕事でも
先輩に振り回されたり、
態度が大きくて、人任せな人に
ストレスを感じていながら
冷静に不満を伝える自信がなかったので
ただ自分の中で
イライラして毎日過ごしていました。
小さい頃に
押し殺していた気持ち
プラス、
大人になってから
周りに合わせ過ぎた働き方。
特に仕事のストレスが
溜まりに溜まったときに、
すごく体調が悪くなり
最終的に
甲状腺の病気だと診断を受けました
甲状腺は喉にあります
生きる上で必要な
エネルギーをつくるところで、
私はそのホルモンが
少なかったのです。
当時は、
まさかそこが
原因だとは思っていなかったし、
昔からの不調とも
結びついていませんでした
でも今振り返ると、
ずっと言えなかったことや、
飲み込んできたものが、
このあたりに
影響していたのかもしれないなと、
感じています

喉のあたりって、
「ちゃんと話せているかどうか」
というよりも、
「自分の中にあるものを、
そのまま出せているかどうか」
に反応している場所
なのかもしれません。
だからといって、
全部正直に言えばいい、
という話でもなくて、
言わないほうがいいときもあるし、
言えないときがあってもいい。
ただ、
そのときに
「本当はどうしたかったのか」
を、自分の中でだけでも
少し見てみる

喉のあたりにある違和感に、
少しだけ意識を向けてみる。
それだけでも、
自分がどんな選択をしているのかが、
見えてくることがあります

こういう喉のあたりの感覚も、
別の見方をすると、
「第五チャクラ」
と呼ばれる場所と
重なっていると言われています
伝えることや、
表現することに関わる場所。
でも、
うまく話せているかどうかよりも、
自分の中にあるものを、
どう扱っているか。
そこに気づくことのほうが、
大事なのかもしれないなと思います。
体って、
やっぱりちゃんと、
今の自分の状態を
教えてくれているんだなと思います


正しさや普通に合わせてきた結果、
自分が何を感じているのか
わからなくなっていませんか。
このブログでは、自分の感覚を
無視してきた生き方から
「私はどうしたいか」を思い出し、
自分の内側を信頼して
生き直すための
ヒントを綴っています。
前回は
わかりやすく感じる場所
第三チャクラついて
お話ししました
今回は
もうひとつ、
わかりやすく反応する場所。
胸のあたり。
このあたりも、
状態によって
変化が出やすい場所だな
と思います
私と世界
自分のエネルギー
体感とチャクラ
たとえば、
安心しているとき。
ほっとしているとき。
誰かと一緒にいて、
無理をしていないとき。
そんなときは、
胸のあたりが
ふわっとひらくような感じがして、
呼吸も、
少し深くなっていく。
体全体も、
ゆるんでいくような感覚
逆に、
少し不安を感じているときや、
気を使っているとき。
ほんの少し
嫌な思いをしたときなんかも、
胸のあたりがぎゅっと
閉じるような感じがしたり、
呼吸が浅くなったりすることがあります。
また、ワタシの場合
威圧的な態度の人と接した時には
胸から全身に
嫌な感覚が
一瞬で広がったりします
同じ場所なのに、
こんなふうに開いたり、
閉じたりしているんだなと思うし、
人との関係も、
このあたりに
すごく出やすいんだと思います。
安心できる相手といるときは、
自然と力が抜けて、
ひらいていく感じがあるし、
逆に、
少し無理をしているときや、
本当の気持ちを出せていないときは、
気づかないうちに、
少し閉じている感じがあったりする。
それから
気になる人から
連絡が来たときは、
嬉しいはずなのに、
胸がぎゅっと
苦しくなるような感じがしたり、
ドキドキしたり、
どこか落ち着かなくなることもある。
楽しみな気持ちと、
不安な気持ちが
混ざっているときも
このあたりに
すごく出るなと思います

頭ではうまくやろうとしていても、
体のほうは、
ちゃんと
「どう感じているか」
を教えてくれている
だから、
胸のあたりが
今どうなっているかを、
ほんの少し感じてみるだけでも、
今の自分が、
安心できているのか、
それとも少し無理をしているのか、
見えてくることがあります
この胸のあたりの感覚は
「第四チャクラ」
と呼ばれる場所と
重なっていると言われています。
人とのつながりや、
安心感、
ひらくこと、
受け取ること。
そういうものと関係している場所
でも、
ここでもやっぱり、
難しく考える必要はなくて、
ただ、
胸のあたりがどう感じているかを、
少し見てみる

それだけでも、
今まで気づかなかった自分の状態が、
少しずつ見えてくることがある。
閉じていることに気づいたら、
それだけで、
ほんの少し
ゆるんだりすることもあるし、
逆に、
ひらいているときには、
「ああ、今安心できてるんだな」と、
そのまま感じてあげることもできる。
体って、
やっぱりちゃんと
今の自分の状態を
教えてくれているんだ
ということを
実感していきましょう


正しさや普通に合わせてきた結果、
自分が何を感じているのか
わからなくなっていませんか。
このブログでは、自分の感覚を
無視してきた生き方から
「私はどうしたいか」を思い出し、
自分の内側を信頼して
生き直すための
ヒントを綴っています。
体の感覚を
少しずつ見ていく中で、
わかりやすいな〜って
思う場所があります。
それは
みぞおちとか、胃のあたり。
このあたりって
けっこう正直に反応する場所だと
感じています。
今回はこの場所とチャクラについて。
私と世界
自分のエネルギー
体感とチャクラ
なんとなく無理しているとき。
大丈夫なふりをしているとき。
本当はちょっと違うなと
思っているのに、
そのまま飲み込んでいるとき。
そういうときって、
胃のあたりが
少し重くなったり、
キリキリしたり、
ぎゅっと詰まるような感じが
出てくることがあります。
安心しているときや、
自分のままでいるときとは違って、
状態によって
こんなに違うんだな
と思うくらい、
はっきり出る場所

私は、
以前の職場で
それをすごく感じていました。
そのときは
とにかく忙しくて、
仕事中に
ほっと力が抜けるような時間が、
ほとんどありませんでした
ずっと
気を張ったまま働いていて、
その状態が
長い期間続いたからか、
休みの日でも
うまく緩めなくなっていました
気づくと、
いつもどこか息苦しくて、
いつからか
胃のあたりも
ずっと気持ち悪い状態が
続いたこともありました

ひどいときは、
突然、ぎゅっと
締めつけられるような痛みや
ズキンっとする背中の痛み、
それから一日中続く気持ち悪さ
が何日も続くことがありました

若い頃はただ具合が悪いのかも?
って思ってたけど、
ストレスだと気がついてからは
「ああ、無理してたんだな」
と思ったけど
そうやって気づいていても
毎日朝は来るので、
仕事に出かけ、
無視し続けるんですよね
薬飲んだり、
その内治るかもしれないし…
とかって思って
頭では
「大丈夫」と
思おうとしていても、
体のほうは、
ちゃんと
違和感を
教えてくれていることも多い。
だからこそ
このあたりの感覚を
少し気にしてみると、
今、自分が無理をしていないか。
また、
本当はどう感じているのか。
と見つめ直すチャンスだと思います
このみぞおちや胃のあたりの感覚って、
別の見方をすると、
「第三チャクラ」
と呼ばれる場所とも
重なっていると言われています。
第三チャクラは
意志とか、
自分はどうしたいのかとか、
そういう感覚と関係している場所
でも、
難しく考えなくてもよくて、
ただ、
このあたりが今どう感じているかを
少しだけ見てみる

それだけでも、
今まで気づかなかった自分の状態が、
少しずつ見えてくることがあります
無理に変えようとしなくても、
気づくだけで、
少し力が抜けたり、
少し楽になったりする
それから
自分の意識からではなく、
他にも色々整える方法はあります。
わたしはレイキを使うので、
エネルギーから
癒したいと思ったら
ヒーリングが一番だと思っています
(あと天然石も
)
不調になっている時は
チャクラも乱れています。
なので
エネルギーから整うように
アプローチするのも
ひとつの手だと思うのです
ヒーリングを知っている人なら
うんうんと頷いてくれますが、
ヒーリングを
知らなかったり、興味がないと

よくわからんし、あやしい。。
となってしまうので
難しいところです
エネルギーという
目に見えないものだし、
とても大切なんだけど、
感じ方も反応も
人それぞれ
何も感じなくても
それでいいんだけど、
わからないと不安に思うのは
当たり前だとも思うし

でも私は
毎日が生きやすくなった
と感じて過ごす人が
少しでも増えたらいいなと思うので、
変わりたいと悩んでいる人の
力になれたらと思っています
(話がそれました
)
とにかく!
体って、
思っている以上に、
ちゃんと教えてくれています

無視しないで、
自分に優しい選択ができたら良いですね
正しさや普通に合わせてきた結果、
自分が何を感じているのか
わからなくなっていませんか。
このブログでは、自分の感覚を
無視してきた生き方から
「私はどうしたいか」を思い出し、
自分の内側を信頼して
生き直すための
ヒントを綴っています。
前回まで、
場所や感覚、
境界線について書いてきた中で、
ひとつ、
すごくシンプルだけど
大事だなって思うことがあります。
それは
感情と体はつながってる

ということ。
私と世界
自分のエネルギー
体感とチャクラ
たとえば、
不安なときって、
胸のあたりがぎゅっとしたり、
緊張しているときは、
体がこわばったりする。
逆に、
安心しているときは、
体もゆるんで、
呼吸も深くなっていく。
こういうのって、
特別なことじゃなくて、
誰でも一度は
感じたことがあると思います。
でも普段って、
頭で考えることの方に
意識がいきやすくて、
体の感覚って、
後回しになりがち。
だけどよく見てみると、
体のほうが
先に反応してることも多い
なんとなくこの場所落ち着くな、とか、
なんかここ居心地悪いな、とか。
そういうとき、
理由ははっきりしなくても、
体はちゃんと
何かを感じ取ってる
前に書いた
「場所との相性」みたいな話も、
もしかしたら、
体の感覚が教えてくれてるのかも

人といるときも同じで、
安心できる人といるときは、
自然と力が抜けるし、
逆に、
ちょっと無理しているときは、
体のどこかに
違和感が出てきたりする。
頭では「大丈夫」って思っていても、
体は正直。
だからこそ、
少しだけでも、
自分の体の感覚に
意識を向けてみると、
今の自分の状態が、
わかりやすくなります

今、力入ってるなとか、
ちょっと疲れてるかも…
など。
そうやって気づいていくだけでも、
少しずつバランスが整っていく
ここまで見てきた
場所との関係や
惹かれる感覚、
境界線のゆらぎも、
もしかしたら全部、
体を通して
感じていること
なのかもしれない。
たとえば、
少し細かく集中してみると
胸のあたりがひらく感じとか、
お腹のあたりが重くなる感じとか。
そういう感覚を
辿っていくと、
もう少し違う見方として
「チャクラ」があります
チャクラは
体の中の
感覚が集まりやすいポイントみたいなもの
もちろん、
難しく考える必要はなくて
ただ、
自分の体で感じていることに、
少し意識を向けてみる

それだけでも、
今までとは違う見え方が、
少しずつ出てくる気がするんです
次回は
このチャクラについて
書こうと思います

正しさや普通に合わせてきた結果、
自分が何を感じているのか
わからなくなっていませんか。
このブログでは、自分の感覚を
無視してきた生き方から
「私はどうしたいか」を思い出し、
自分の内側を信頼して
生き直すための
ヒントを綴っています。
ここまで、
神社の空気や、神聖さ、
自然や土地、
そして境界線について
書いてきました

今回は
そのまとめです
私と世界
自己から外側へ意識を広げる
場とエネルギー
最初は、
「神社ってなんで落ち着くんだろう」
っていう
素朴な疑問から始まって、
そこから、
神聖さってどこにあるんだろうとか、
自然といると
なんであんなにゆるむんだろうとか。
少しずつ、
外にあったものが、
内側にもあるんじゃないかって

そして
場所との関係や、
惹かれる理由、
自分と世界の境界線も、
きっぱり分かれているもの
ではなくて、
どこかでつながっているんだ
となりました
そうやって見ていくと、
「わたし」と「外の世界」って、
本当は
最初から
分かれていたわけじゃなくて、
ただ、
そう思っていただけ
なのかもしれない

もちろん、
現実の中では、
自分と他人は別の存在だし、
区別することも大切です。
でも、
感覚のレベルでは、
もっとゆるやかに、
やさしく、
つながっている
分離しているように
見えていたものが、
少しずつ、
ひとつの流れの中にあるもの
として見えてくる。
それが、
「統合」
って呼ばれるもの
なのかもしれない。
何か特別なことが
起きるわけじゃなくて、
急にすべてが
変わるわけでもない。
ただ、
見え方が、少し変わる
外にあると思っていたものが、
内側にもあったと気づいたり、
切り離されていると
思っていたものが、
実はつながっていた
と感じたり
その小さな変化が、
少しずつ、
自分の中に広がっていく
がんばって
何かを手に入れる
というよりも、
もともとあったものを、
思い出していくような感覚
だからきっと、
統合って、
どこかにたどり着くこと
ではなく、
戻っていくこと
なのかもしれない
自分の中にあるものに、
静かに気づいていくこと。
それだけで、
世界の見え方は、
少しずつやわらかくなっていく

そして気づいたら、
前よりも少しだけ、
安心して、
この世界にいられるようになっている。
そんな変化なのかもしれません


正しさや普通に合わせてきた結果、
自分が何を感じているのか
わからなくなっていませんか。
このブログでは、自分の感覚を
無視してきた生き方から
「私はどうしたいか」を思い出し、
自分の内側を信頼して
生き直すための
ヒントを綴っています。
ここまで、
場所によって落ち着いたり、
逆に違和感を感じたりする
感覚について
書いてきました。
それじゃあその感覚の
「どこまでが“わたし”なんだろう?」
今回はそれについて

私と世界
自己から外側へ意識を広げる
場とエネルギー
ただ外の環境に
影響されてるだけなのか。
それとも、
自分の中の何かが
反応してるのか。
それはどちらもあると思います
そうやって感じていくうちに、
「自分」と「外の世界」って、
思っているほど
きっぱり分かれてない
のかもしれないなって
思えてきます
たとえば、
誰かと一緒にいて
安心することもあれば、
逆に、
なんとなく
疲れてしまうこともある。
それは
相手がどうこうというよりも、
自分との相性や、
そのときの状態も関係してる
場所もきっと同じで、
そこにある空気と、
自分の状態が、
どこかで影響し合っている
そう考えると、
「ここまでは自分で、ここからは外」
っていう線引きは、
思っているより
あいまいなのかも

もちろん、
自分と他人は別の存在だし、
現実的な境界はちゃんとある。
でも、
感覚のレベルでは、
もっとゆるやかにつながっている
この境界線って、
はっきり線が引かれているもの
というより、
グラデーションみたいな感じに
なっているのかな。
外に開いているときもあれば、
内側に戻っているときもある。
無意識だと、
その状態に
振り回されることもあるけど、
「今ちょっと開きすぎてるかも」
とか、
「少し閉じたいな」
って気づけるようになると、
無理にコントロールしなくても、
自然と自分にとって
心地いい位置に戻っていく。
そのときどきで、
ちょうどいい場所がある。
たとえば、
自然の中にいるときに感じる
あの広がり。
自分がそこに溶けていくような感覚。
あのときって、
「わたし」と「自然」の境目が、
少しだけやわらいでいる気がする。
逆に、
考えすぎているときや、
緊張しているときは、
自分の内側に
ぎゅっと閉じこもる感じがある。
この違いって、
境界線があるかないかじゃなくて、
境界線の“あり方”が
変わっているだけ
なのかもしれない

しっかり閉じているときもあれば、
少し開いているときもある。
どっちがいい悪いじゃなくて、
そのときの自分にとって、
ちょうどいいバランスがある。
だから大事なのは、
境界線をなくすことでも、
逆に強く守りすぎること
でもなくて、
自分の状態に気づいてあげること
今、開いてるなとか、
ちょっと閉じたいなとか。
そういう小さな感覚
それに気づけるようになると、
場所との関係も、
人との関係も、
少しずつ楽になっていく
外の世界に振り回される感じが減って、
でもちゃんと、
つながっている感覚もある。
「わたし」と「世界」は、
完全に別のものでもなくて、
全部がひとつでもなくて、
そのあいだを、
ゆらゆらしているものなのかもしれない。
孤立しているわけでもなく、
飲み込まれているわけでも無い。
繋がっているし、
自分が自分でいられる、
ちょうどいいところにいる感覚。
そう思えたとき、
どこにいても、
少しだけ
安心していられる気がします


正しさや普通に合わせてきた結果、
自分が何を感じているのか
わからなくなっていませんか。
このブログでは、自分の感覚を
無視してきた生き方から
「私はどうしたいか」を思い出し、
自分の内側を信頼して
生き直すための
ヒントを綴っています。
これまで
神社の空気や、
神聖さ、
土地の記憶について
書いてきました。
それで、
「なんで場所によって、
感じ方が違うんだろう?」
って思ったので、
今回はそれについて

私と世界
自己から外側へ意識を広げる
場とエネルギー
なんとなく好きな場所。
理由はよくわからないけど
落ち着く場所。
逆に、
なんとなく合わない場所や、
少し違和感がある場所もある。
それって気のせいなのかなって
思ってたけど、
これまでの流れで見ていくと、
ただの気分の問題
ではないのかもしれない。
場所には、
その土地の空気や、
積み重なってきたものがある。
そして私たちも、
それをちゃんと感じ取ってる
じゃあ、なぜ惹かれるのか。
ここで出てくるのが、
“共鳴”という感覚
それは
シンプルに言うと、
自分の中にあるものと、
外にあるものが、
響き合っている状態
たとえば、
すごく落ち着く場所に
いるときって、
その場が安心できる
だけじゃなくて、
自分の中の
“安心していい部分”も
一緒に開いてる感じがある
逆に、
なんとなく
苦手な場所にいるときは、
その場の空気だけじゃなくて、
自分の中の何かが、
反応してることもある
どっちが良い悪いじゃなくて、
ただ、
響き合ってるということ。
だから、
好きな場所は
「自分に合っている場所」
でもあるし、
もしかしたら、
「自分の中の心地いい状態を
思い出させてくれる場所」
なのかもしれない。
そして逆に、
違和感のある場所は、
無理に合わせなくてもいいし、
「今の自分には合ってないんだな」
って受け取ってもいい。
ここで大事なのは、
どの場所が正しいか
じゃなくて、
自分がどう感じているか
私たちはつい、
いい場所とか、
パワーがある場所とか、
外側の基準で
判断しようとするけど、
本当はもっとシンプルで、
「なんか好き」
「なんか違う」
それで十分なのかもしれない
その感覚を
ちゃんと受け取っていくと、
少しずつ、
自分に合うものが
わかってくる。
場所だけじゃなくて、
人や環境も含めて、
どこにいると心地いいのか、
どこだと無理をしてしまうのか。
そういうものが、
少しずつ
クリアになっていく。
それってきっと、
自分との関係が
整っていくってことでもある。
外の世界に惹かれる理由は、
全部、
自分の中にあるものと
つながってる
そう思えたとき、
「どこに行くか」
だけじゃなくて、
「どう感じているか」
を大切にできるようになる
場所に導かれてるようで、
本当は、
自分の感覚に
導かれているのかもしれませんね


正しさや普通に合わせてきた結果、
自分が何を感じているのか
わからなくなっていませんか。
このブログでは、自分の感覚を
無視してきた生き方から
「私はどうしたいか」を思い出し、
自分の内側を信頼して
生き直すための
ヒントを綴っています。
自然とつながることや
女性性の話を
書いてきた中で、
もうひとつ
気になっていることがあります
それは、
「場や土地って
記憶してるんじゃないか?」
っていう感覚。
今回はそれについて

私と世界
自己から外側へ意識を広げる
場とエネルギー
たとえば、
たまにしか
通らない道なのに、
車で通るたびに、
なんとなく
違和感がある場所があります
よどんでいるような、
少し重たいような
でもただ嫌な感じというより、
どこか“懐かしさ”も混ざってる、
古いエネルギー?のような
不思議な感覚。
色でいうと、薄い黄色。
軽い黄砂の中にいるみたいな、
少しぼんやりした空気。
理由はよくわからないんだけど、
体のほうが先に
「何かある」と感じてる
頭で考えるより前に、
感覚が反応してる感じ。
こういうことって、
他にもあって。。
カフェに入ったときに、
なんとなく圧を感じたり、
落ち着かなかったりすることもある。
しばらくすると
慣れてくるんだけど、
振り返ると、
そういう場所って
オーナーさんが
ちょっとクセが強めだった
(スタッフの人もね)
空気感と人って、
やっぱり
どこかつながってるんだなって思う。
こういう体験を重ねていくと、
場所って
ただの空間ではなく
そこにあった出来事とか、
関わってきた人の意識とか、
そういうものが、
少しずつ
積み重なってるよなーって
思うようになった

「土地の記憶」っていうと、
少し大げさに
聞こえるかもしれないけど。
でも実際、
私たちはその場の空気を
ちゃんと感じ取ってます
そしてここで思うのが、
この“感じ取る力”って、
女性性と
関係してるのでは
と。
女性性って、
受け取ることとか、
感じることとか、
目に見えないものに
気づく力とも言われる。
だからこそ、
その場の空気や、
土地の持っている雰囲気に、
自然と共鳴してるのかもしれない。
前に書いたように、
自然の中にいると、
少し力が抜けて、
やわらかくなる感じ
あれって、
外の自然に触れて、
自分の中の
“自然な感覚”が
戻ってきている状態
それと同じで、
場所にもともとあるものと、
自分の中にある感覚が、
どこかで
響き合っているのかもしれない。
だから、
なんとなく好きな場所もあれば、
なんとなく合わない場所もある。
理由ははっきりしなくても、
体はちゃんと知ってる。
無理に言葉にしなくてもいいし、
正解を出さなくてもいい。
ただ、
「なんか好き」
「なんか違う」
その感覚を、
そのまま受け取ってみる
それってすごくシンプルだけど、
自分の感覚を
信じることでもあるし、
女性性をひらいていくこと
にもつながっていくのでは
土地の記憶に触れるって、
特別なことじゃなくて、
ただ感じている
っていうことと、
その感覚が自分の中にある
っていうこと。
なんか嫌だな
って感じた時、
気のせい?
って原因も分からず
思っていたところから、
その場所に
積み重なった何かがあるのかも
とか、
自分の感覚が
その場所から影響を受けて
反応しているのかな
とか、
逆に安心感を感じる時も
何と響いてるんだろう?
とか。
外を見るだけじゃなくて、
自分がどう感じているか
に意識を向けると
内側も同時にみえるようになる

そうやって、
場所と自分のあいだにあるものを
感じていくと、
世界の見え方が、
少し変わってくる気がします


正しさや普通に合わせてきた結果、
自分が何を感じているのか
わからなくなっていませんか。
このブログでは、自分の感覚を
無視してきた生き方から
「私はどうしたいか」を思い出し、
自分の内側を信頼して
生き直すための
ヒントを綴っています。
ここまで、
神社や神聖さについて
書いてきました。
その流れでふと思ったのが、
自然とつながる感覚と、
女性性って、
すごく近いんじゃないかな
っていうこと。
今回はそれについて

私と世界
自己から外側へ意識を広げる
場とエネルギー
神社に行ったときもそうだけど、
森の中にいたり、
風に当たっていたり、
ただ空をぼーっと見てるときって、
なんか力が抜けていく
感じがあります。
がんばらなくていい。
そんな感覚
普段ってどうしても、
ちゃんとしなきゃとか、
こうあるべきとか、
頭でいろいろ考えて
動いてることが多いです
コントロールしようとしたり、
正しくあろうとしたり
でも自然の中にいると、
そういうのが、
ちょっとどうでもよくなるし、
いい意味でゆるみます
風は風のまま吹いてるし、
木は木のままそこにあるし、
誰も無理してない。
それを感じてると、
自分も
そのままで
いいんじゃないかなって、
少しずつ思えてくる
この感覚って、
いわゆる「女性性」
と呼ばれているものに
近い気がします
女性性っていうと、
やさしさとか、
受容とか、
感性とか、
いろんな言い方があるけど、
もっとシンプルに言うと、
“そのまま在ることを許す力”
なのかなって。
何かになろうとしなくてもいい。
整えようとしなくてもいい。
今のままで、
もうすでに大丈夫っていう感覚。
でも普段の生活の中では、
どうしてもその感覚から離れやすい。
ちゃんとやらなきゃ、
もっと良くならなきゃって、
無意識に力が入る。
だからこそ、
自然に触れる時間って、
すごく大事なんだと思う。
外にある自然に触れることで、
自分の中の自然さも思い出していく
前に書いた
「神聖さは内側にある」
という話ともつながるけど、
外側のものに触れたときに、
内側の感覚が目を覚ます

自然もきっと同じで、
本当はもともと持ってるもの。
でも忘れやすいから、
外の自然に触れて、
思い出していく。
女性性を
“高める”とか、
“磨く”っていう言い方もあるけど、
どちらかというと、
取り戻す、
戻っていく、
みたいな感覚
の方が近い気がする
ちゃんとしようとして
固くなっていたものが、
ゆるんでいく
コントロールしていたものを、
少し手放してみる
そうやって、
少しずつ
本来のバランスに
戻っていく
自然とつながるって、
特別なことじゃなくて、
ただ感じること。
風の温度とか、
光のやわらかさとか、
そういうものに、
少し意識を向けるだけでもいい。
そのとき、
頭じゃなくて、体で感じてる。
その感覚の中にいるとき、
たぶん私たちは、
いちばん自然で、
いちばんやわらかい状態に
戻ってる
女性性の回復って、
何かを
付け足すことじゃなくて、
もともとあったものに、
もう一度触れていくこと。
自然の中で感じる
あの安心感も、
ゆるんでいく感覚も、
全部ちゃんと、
自分の中にもある
そうやって少しずつ、
外と内側がつながっていく。
それがきっと、
本来のバランスに
戻っていくってこと
なんだと思うのです


正しさや普通に合わせてきた結果、
自分が何を感じているのか
わからなくなっていませんか。
このブログでは、自分の感覚を
無視してきた生き方から
「私はどうしたいか」を思い出し、
自分の内側を信頼して
生き直すための
ヒントを綴っています。
前回、神社って
「祈り(意識)が積み重なった場所
なんじゃないか」
っていう話を書いたんだけど、
そこからもう一歩進むと、
じゃあその“神聖さ”って、
どこにあるんだろう?
って思ったんです。
なので今回は
それについて

私と世界
自己から外側へ意識を広げる
場とエネルギー
神社に行くと、
空気が違う気がする。
なんか整う感じがする。
あの感覚って、たしかにある
でもそれって、
本当に“外側の特別な場所”だけに
あるものなのかなって

たとえば、
静かな神社の中で感じる
あの落ち着き。
あれって、
場所がすごいから感じてるのか、
それとも、
自分の中の何かが反応してるのか。
たぶん、その両方なんだと思うんです
もし、外側だけのものだったら、
神社を出た瞬間に
全部消えちゃうはずなんだよね

だけど実際は、
帰り道も少し静かなままだったり、
やさしい気持ちが残ってたりする
それってつまり、
「自分の中にも同じものがある」
ってことなんじゃないかなって
神聖さっていうと、
なんとなく
「清らか」とか「特別」とか、
ちょっと遠いものに
感じるかもしれない。
でももしかしたらそれは、
どこかに行って
手に入れるものじゃなくて、
もともと自分の中にあって、
ただ思い出されるもの
なのかもしれない
神社にいるときって、
無理に良い人になろうとしなくても、
自然と姿勢が整ったり、
静かに手を合わせたくなったりする。
あれって、
外側に合わせてるというより、
内側の“静かな部分”が
出てきてる感じがする
普段の私たちは、
考えごとでいっぱいだったり、
感情に飲まれてたりして、
なかなか
その静かな部分に気づけない

でも神社みたいな場所に行くと、
そのノイズが少しだけ静まる。
そうすると、
もともとあったものが、
ふっと見えてくる

だから
神社って、
何かをもらいに行く場所
というより、
自分の中にある
“神聖さ”を思い出す場所
なのかもしれない。
前回書いた
「集合意識」の話ともつながるけど、
私たちは
完全にバラバラな存在じゃなくて、
どこかでつながってる
もしそうだとしたら、
神聖さって、
特定の場所にだけ
あるものじゃなくて、
その“つながりの中”にあるもの
なのかもしれない。
外にある神聖さに触れることで、
内側の神聖さが目を覚ます
そんな感覚
だから
「どこに行くか」だけじゃなくて、
「どう在るか」が大事。
特別な場所に行かなくても、
ふとした瞬間に、
静けさを感じるときがある。
誰かにやさしくできたときとか、
自然を見て心がゆるんだときとか。
そういうときもきっと、
同じものに触れてる
神聖さって、
遠くにあるものじゃなくて、
ちゃんと、ここにもある
自分の中にも。
そう思えたとき、
世界の見え方が、
少しだけ
やさしくなる気がするんです


