ライブ・アット・ポート・タウンゼント/レッド・ミッチェル~ジョージ・ケイブルス | スロウ・ボートのジャズ日誌

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ジャズを聴き始めて早30年以上。これまで集めてきた作品に改めて耳を傾け、レビューを書いていきたいと考えています。1人のファンとして、作品の歴史的な価値や話題性よりも、どれだけ「聴き応えがあるか」にこだわっていきます。

 

自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる事件で、

今月はいろいろな動きがありましたが、何だかなあという感じがします。

 

安倍派と二階派の会計責任者はパーティ収入などを派閥の政治資金収支報告書に

収入として記載していなかったなどとして在宅起訴されました。

これを受けて正式な裁判が始まることになります。

 

しかし、東京地検特捜部は安倍派の幹部7人や、二階元幹事長ら国会議員には

任意で事情を聴いたものの、立件しない判断を下しました。

 

民間企業で不明朗な会計処理をすればトップの責任が問われるというのに、

政治家にはお咎めなし。

さらに腹が立つのは、安倍派の幹部を中心に「自分たちは悪くない」という

気分があるということです。

 

先の26日(金)に安倍派が幹部会合を開き、

「5人衆」と呼ばれる疑惑の有力議員(塩谷元文部科学大臣、松野前官房長官ら)も

参加しました。

報道によると、幹部の責任を問う意見の一方、

「閣僚や党の役職を辞任し、すでに責任はとっている」という指摘もあったそうです。

 

いやいや、普通の感覚なら議員辞職でしょう。

会計責任者に全てを押し付けて「自分は知らなかった」という管理能力がなく、

無責任な人に国の舵取りを任せたくはありません。

「ゆるみ」がここまで来ていたかと、「アベ政治」の負の遺産の大きさに

改めて落胆するばかりです。

 

「私を責めないで」・・・このフレーズから「罪のない曲」を聴きたくなりました。

レッド・ミッチェル(b)とジョージ・ケイブルス(p)による

「ライブ・アット・ポート・タウンゼント」に収録されている

「Don't Blame Me」です。

 

ドロシー・フィールドとジミー・マクヒューによって作られたこの曲、

歌詞の内容は「恋に落ちたのは私が悪いのではなく、魅力的なあなたのせいよ」

というもの。

まあ恋愛ならこういうこともあるよね、仕方ないよね、と思わせます。

ミッチェルとケイブルスはシンプルなデュオという編成で

ゆったりと「やるせなさ」を演出します。

 

ミッチェルが亡くなった年(1992年)の演奏だということですが、

音楽には全く「翳り」がありません。

長きにわたり「歌」を感じさせてくれるベーシストとして活躍したミッチェルは

最期まで好調を保っていたことが分かります。

 

1992年7月25日、アメリカ・ワシントン州のポート・タウンゼントで録音。

 

Red Mitchell(b)

George Cables(p)

 

②Don't Blame Me

ジョージ・ケイブルスが彼らしい、

やや「前のめり」なイントロをピアノのみで披露し、期待を高めてくれます。

しかし、テーマに入ってミッチェルが加わると、「そう急ぐな」とばかりに

ゆったりとしたテンポとなります。

ミッチェルのしっかりと響きながら、どこか軽快さがあるベース・ラインに乗って

ケイブルスのソロへ。

ケイブルスはブルース感覚がありながら、クリアな音色を持っている

現代的なピアニストです。

バラードでもやや音数が多めになりますが、ここではそれが気になりません。

ベースとのデュオでスペースがたっぷりあるのと、

ピアノが多少仕掛けてもミッチェルが動ぜずに受け止めるという

安心感があります。

続いてミッチェルのソロ。もともとピアニストだったということもあるのか、

彼のベースにはいつも「聴かせる」フレーズが盛り込まれています。

最初、「ドドド・・・」と入ってくる重厚なフレーズから

次第にテンポが上がり、幅広い音域でうねりも加えて「歌っていく」のが素晴らしい。

ソロの最終盤では一音一音を伸ばしていく独特の演奏で観客を湧かせています。

 

③Tangerine

ジョニー・マーサー、ヴィクター・シャーツィンガ―によるスタンダード。

2人のデュオでストレートにテーマが提示されますが、

その後、ピアノソロの中でケイブルスのみとなり、

テーマを引用しながらスピード感あふれる演奏を披露するパートが聴きどころ。

彼の「性急さに陥らない、気持ちよい速さ」が絶妙です。

ここからミッチェルのソロへ。

こちらもスピード感があり、軽やかな手さばきでグイグイと引っ張っていきます。

音を跳ねさせると言えばいいのか、ベースとは思えない快さがあります。

再びピアノ・ソロとなり、ここではミッチェルの強いプッシュに乗って

ケイブルスが高音を気持ちよく響かせていきます。

2人のスピード感がうまくかみ合った好演と言えるでしょう。


政治家が「自分は責められることはない」と思っているのは

そもそもパーティー券の透明性が低いといった制度の欠陥があるからでしょう。

ここにメスを入れなくてはいけないですし、

併せて「桜を見る会」に代表される「政治家は何もしても大丈夫」という感覚を

正していかなくてはいけません。

「政治家という仕事が魅力的だったから私は悪くない」という論法は

通用しないのです。