ワーキン/マイルス・デイヴィス | スロウ・ボートのジャズ日誌

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ジャズを聴き始めて早30年以上。これまで集めてきた作品に改めて耳を傾け、レビューを書いていきたいと考えています。1人のファンとして、作品の歴史的な価値や話題性よりも、どれだけ「聴き応えがあるか」にこだわっていきます。

 

今月4日(金)から国内での上映が始まった映画

「マイルス・デイヴィス クールの誕生」(スタンリー・ネルソン監督)を観てきました。

マイルスの生涯を本人が残した言葉と関係者の証言で描く

ドキュメンタリー映画です。

 

1940~60年代に活躍したジャズマンのドキュメンタリーで

避けられないのが「私生活の破綻」。

この映画でもマイルスのプライヴェートの辛い部分が描かれていました。

 

ただ、映画では単純に「個人の資質」によるものとは描いていませんでした。

たとえばマイルスの妻(フランシス・テイラー)に対する暴力の話では、

彼の嫉妬深い性格によるものが大きいとされています。

その一方で、マイルスの子供時代のシーンでは

父親が母親に対して暴力を振るっていたのを目撃していたエピソードが入っており、

家庭内暴力が現代ほど否定されていなかった背景があることも示唆しています。

 

また、マイルスがドラッグにはまった一つの要因として

人種差別が挙げられていました。

1949年にマイルスはパリにツアーに出かけ、

そこでシャンソン歌手のジュリエット・グレコや画家のパブロ・ピカソ、

哲学者のジャン=ポール・サルトルに会っています。

本国のアメリカとは違い、「一流の芸術家」としての扱いを受けたのですが、

帰国すると途端に差別の対象となります。

そのギャップがドラッグに手を出す一因になったというのです。

 

マイルスという複雑な人間を2時間でまとめることはなかなか難しいです。

しかし、その根底に社会に対する激しい憎しみと

「黒人のトップスター」としての自負があったことは映画から分かってきました。

それが彼を「孤高の存在」にして、時にはハッとするほど繊細な表現を生んだり、

またある時はロックやインド音楽まで取り込んでしまう「飽くなき変化」へと突き動かしたのでしょう。

 

今回は映画の中でとりわけ印象的に聴こえてきた1曲を紹介しましょう。

アルバム「ワーキン」に収録されている「イット・ネバー・エンタード・マイ・マインド」です。

 

映画ではマイルスがバラード・プレイで人気を博したことを伝える流れで

この曲がバックに流れていました。

他のシーンでも使われていたように記憶しているので、

制作者もマイルスの表現の中で一つのピークと捉えているのでしょう。

 

ジャズ・ファンには有名なエピソードですが、

この演奏は「マラソン・セッション」で生まれました。

当時のマイルスはマイナー・レーベルの「プレスティッジ」と

大手の「コロンビア」との間で「2重契約」的な状況にありました。

早くプレスティッジとの関係を終えたかったマイルスは

1956年の5月11日と10月26日の2日間で

アルバム4枚分のレコーディングを完了してしまったのです。

当時のマイルスの充実ぶりが分かります。

 

1956年5月11日と10月26日、ニュージャージーの

ルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオで録音。

 

Miles Davis(tp)

John Coltrane(ts)

Red Garland(p)

Paul Chambers(b)

Philly Joe Jones(ds)

 

①It Never Entered My Mind

リチャード・ロジャース~ロレンツ・ハートという黄金コンビによるスタンダード。

バラードが冒頭を飾るというのは珍しいですが、

ガーランドの美しいピアノ・イントロからマイルスのミュート・トランペットが

メロディを奏でるところで一つの「ドラマ」が生まれています。

かすれた音色でささやくように語りかけてくるトランペットには無駄な音が一切ありません。

メロディの流れの中で多少の強弱は付けているのですが、それが本当に微妙な差で

全体が完全に抑制されているのです。

これだけ抑えているにも関わらず、音色だけで情感が迫ってきて

一音たりとも聞き逃すことができない、まさに奇跡的な演奏です。

続くピアノのガーランドはお得意のブロックコードを最小限にして

メロディの延長上にあるソロを取ります。

これも彼の生涯の中で最高水準に至ったソロでしょう。

そして、最後は再びマイルス。少しだけメロディに力を込めたプレイが圧巻です。

振り返るとマイルスはメロディしか吹いていないのですが、

それがここまで完成した世界に至っている。大したものです。

 

知れば知るほど、その音楽と個性に対しての興味が尽きなくなるマイルス。

その魅力を生み出したのは、戦後の不安定な時代を生きた黒人の強烈な自意識ではないでしょうか。


いま、黒人が警察官に銃撃され、新たな分断がアメリカに生まれています。

そんな様子を見たらマイルスは何を発言し、どんな音楽を創造するでしょうか。

そんなことを夢想したくなるほど、「マイルスは生きている」のです。