2010年、小澤さんに食道がんが見つかりました。6月までの仕事をすべてキャンセルして、治療に専念することに。

 

この年のサイトウ・キネン・フェスティバルの登壇が危ぶまれました。フェスティバルの時期に休暇を取るのがすでに難しくなっていた私は、迷った末、松本行きをあきらめました。

私淑している身としては、現時点での小澤さんの音楽的全貌を見たかったのです。それが叶わなければ、無理してまでは、と思いました。

結果的に小澤さんの指揮のステージは2回、それも短い時間だったようです。

 

小澤さんと成城合唱団との関係は、2008年の『ファウストの劫罰』を最後に遠のきました。

そしてガン発症の報。ガンそのものは完治しましたが、体力の消耗著しく、様々な部位に不調が生じ、キャンセルが続いたことはよく知られています。

アマチュアの成城合唱団が小澤さんに指揮をお願いできるスキマはなく、ただただ復調を祈りつつ、これまでも何度かお願いしている井上道義さんや松岡さんの協力で演奏会を開催しておりました。幸い、記念演奏会などが控え、合唱団のモチベーションはまずまず維持できていたと思います。

 

しかし、そこに起こったのがコロナのパンデミック。

恐らく音楽活動の中で合唱が一番制約を受けたと思います。

 

高年齢層が多い成城合唱団は、活動らしい活動ほぼ皆無で数年を過ごしました。学園の施設を借用している団としては一般社会以上の厳しい安全対策に従わざるを得ません。

 

活動休止中、最盛期に活躍された団員のかなりの数の方が引退されたり死去されたのは悔しい限りです。訃報は聞こえてきませんでした。

合唱団の求心力を失わないためにも何かできなかったか。

せめてSNSの活用を進めるべきではなかったか。

ホームページくらい起ち上げられなかったか。

活動休止はそうした手段を考える絶好の機会だったと悔やみます。

 

小澤さんの健康とコロナ拡大の状況が重なり合って、小澤さんを中心とした成城合唱団の「最盛期」は終わりを告げました。現在、小澤さん頼みで過ごしてきたツケがまわってきたといって良いと思います。

これからの活動について模索中の成城合唱団ですが、未だ活路を見出していないのが実情でしょう。

一つ言えることは、伝統や歴史を看過した方針・対策に実りは薄いということです。

 

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ」

ビスマルクの言葉だそうです。

 

 

※次回の「音楽以外は捨ててもいい」は個人の情報や写真が含まれる内容ですので、アメンバーのみの公開になります。