Slow-nin夢爺の日日是好日
ノコジョの合宿で河口湖に来ています。意外に晴天です。写真は普通の風景に見えますが、電信柱の後ろの雲の塊の背後には富士山がおわします。今回は全貌を見せてくれないようです。練習の合間にブログの続きを書きます。初診ということで問診票を記入し順番を待ちました。駅周辺の再開発で開院した整形外科です。白を基調とした壁の色ともあいまって、全体明るいのは居心地が良い印象です。奥のリハビリ室が思ったより広々しているので感心しました。過去二つの整形外科病院に通ったことがあったのでどうしても比べてしまいます。患者さんで待合室とリハビリ室は混んでいます。ほとんどが高齢の方なのは整形外科病院の常態でしょう。自分もお仲間です。なんとなくあれこれ観察しながら40分ほど過ぎたころ、名前が呼ばれました。まず案内された診察室で、提出した問診票に沿って看護師さんから確認の質問がありました。三つの診察室はバックヤードでつながっており、私は真ん中の部屋におりましたので、医師が来るまでの間、看護師さんたちが行き来する様子を面白く眺めておりました。なんであれ舞台裏は興味深いものがあります。「やっぱり!」その突然の声で顔をあげると、マスクをした大男が紙を持って立っていました。「やっぱり先生だ!」興奮しています。「この問診票の名前と職業欄の合唱指導を見て、もしかしてと思ったんです。」バックヤードを向いて大きな声で「この方は、僕の小学校時代の音楽の先生です!」あっという間に5名くらいの看護師さんたちが集まってきました。皆さん笑顔で私を見ています。「初等学校K組の鈴木開です。」憶えてます。背が高い方で、可愛い男の子という印象でした。「2浪して医大へ行きました。」私はこの再会に仰天して言葉になりません。―こんなことあるんだね。涙が出そうになりました。妻が膝の痛みを抱えていて、治療とリハビリを重ねていましたが、なかなか軽快せず、整形外科も何度か転院もしました。その中でたまたま週に一度しか来ない鈴木先生と出会い、治療を受け好転の兆しを感じてイタリア旅行前の数ヶ月の治療を託しました。完治まではいきませんが、旅行中そして旅行後もこれまでより痛みが軽減してイタリアを満喫することが出来ました。お腹の風邪をきっかけに頚椎症が再発した私に、信頼する鈴木先生に診てもらえば、とすすめてくれた訳です。その先生が、まさか教え子だとは!音楽専科の教員は原則担任を持ちません。週2時間の音楽の時間、行事などの補助、宿泊行事の付き添いなど関りはありますが、担任までの濃密さは望めない。多くの教え子たちと卒業後会うことはめったにありません。それがこのような形で再会できるとは!しかも立派なお医者さんになって。再会するまでの経緯が、また奇遇というか。結局妻が引き寄せた訳で。それらが重なってえらく感動しました。「写真撮って!」成り行きを興味津々で見ていた5人の看護師さんたちの一人にスマホを渡して頼みました。鈴木君と並んでみると頭一つ違います。彼はアスリート体型です。「でっかいなぁ」撮れた画像をのぞき込んで「良い」「良いじゃない」と口々にいう看護師さんたちに笑えました。この雰囲気は鈴木先生が皆にかわいがられている証拠です。若いし、ハンサムだし、てきぱきしているし、人気の先生なんだろうなあ。私はますます嬉しくなりました。
9月14日月曜日 久しぶりの晴天です。空はすっかり秋模様。雲が美しい。イタリアから帰国して2ヶ月になろうというのに、心はなかなかゴリツィアから戻ってきません。妻も同様でいつの間にかあの数日の出来事について語り合っています。(ゴリツィア城)時差の影響はあまり感じません。元々夜更かし朝寝坊の家です。帰国した翌日は川口市民合唱団の練習でした。「市民」を冠しただけあって、構成メンバーは多彩な背景の方たちです。合唱の経験がほとんどないか経験があっても長い間遠ざかっていた方たちもいる一方、他の団体とも掛け持ちで歌っているベテランも少なからずいるという個性集団です。私が指導者になった頃はお世辞にも上手とは云えませんでした。というより以前の様々な成り行きから合唱団としてのまとまりを失いかけていました。12年前のことです。ただ、女性の団長Mさんがなかなかの傑物で、そのリーダーシップで徐々に新しい合唱団の姿が出来上がっていきました。団長の願いは長い歴史にふさわしい、音楽面では勿論、活動内容でも立派な合唱団になることです。この12年間で最大の危機はやはりコロナ禍です。多くの合唱団が長期にわたって活動を休止しました。しかし川口市民合唱団は一ヶ月休んだだけで活動を続けました。練習会場の公民館が課した厳しい条件を受けとめ、マスク着用は当然として、例えば互いの距離を開けるため参加者を半数にして、空気の入れ替えのため小まめに休憩をとったりするなど推奨されていたあらゆる感染対策をして、結局、一人もコロナに感染せず乗り切りました。(川口市民合唱団 第31回定期演奏会 2024年10月20日)この経験は大きな成果をもたらしました。少人数で歌うことで一人一人の力量は確実に鍛えられました。平常に戻り全員で活動を再開した時の一体感は格別で、合唱団としての求心力も強固になったのです。この時、私はこの合唱団が真の意味でサステイナブルな団体になったと確信しました。従って、12年間ともに歩んできたこの合唱団の毎回の練習はとても大事です。休みを最小限にとどめるのは当然です。イタリア旅行が強行軍になった理由の一つです。私は今、5団体の合唱団と関りがあります。概ね月2回から3回の練習があるので、1週間続けて休みをいただくのさえなかなか難しい。そして秋口に向けて文化祭や合唱祭、そのほかの小さなイベントが入ってきます。その準備も含めれば今や繁忙期を迎えたと云って良いでしょう。8月の半ばころから珍しく体調不良を感じ始めました。天候不順と猛烈な熱さでバテ気味です。17日の週は4日練習が入っています。そのうちの3回はアフターコーラスの付き合いも。練習のない21日金曜日に病院に行って薬を処方してもらいました。熱もないので普通の胃腸薬だけです。薬を飲んでも回復の兆しないまま、土日の練習に出かけました。どの合唱団も練習は大事です。週が明けた8月24日月曜日、ついに腹痛と38度8分の高熱でダウン。3年に一回くらいに扁桃腺炎で2日ほど寝込むことはありましたが、腹痛は初めてです。その日はエアコンをつけっぱなしでウトウトと眠るばかり、水分を摂るのが精いっぱいで、起き上がることさえ困難でした。食欲はまったくありません。とにかく横になりたい。翌日ふらふらになりながら病院へ。今度は解熱剤と抗生剤も処方され帰宅。バナナを少し食べ、解熱剤と整腸剤を飲みました。抗生剤は夜服用指定です。こうして徐々に腹痛は治まって熱も下がって行きましたが、寝込んでいたせいか、首と背中が痛だるく姿勢を変えても寝ていられない。平熱に戻ってきたので起きて普段の生活にシフトしてみました。どうやら起きている方が痛だるさは和らぎます。しかし食欲は戻ってきません。胃腸に膨満感があります。おじややおかゆを作って食べましたが少ししか食べられません。5kg体重が落ちました。人生初めての減量です。食べなきゃ痩せる!不思議な話ではありませんが、少し嬉しいのは我ながら笑えます。しかし不思議なのはせいぜい200gくらいしか食べてないのに、1㎏体重が戻るという現象が生じたことです。1リットルも水分を摂ったのでしょうか。摂ったとしてもその間頻繁にトイレに行ってたのに。謎です。抗生剤が効いてきたのか全体快方に向かっていきました。食欲はなかなかもどりませんが、合唱練習には欠かさず参加していました。9月6日の小さな本番(TKCC)も好評のうち終了。(まちかどコーラス@旧国立駅舎)東京都合唱連盟東京都合唱連盟 - 「いいね!」2,532件 · 68人が話題にしています - 教育www.facebook.comしかしそのうち軽快するだろうと思っていた首、肩、腕の痛みと指の痺れは徐々に強くなってきました。PCは勿論、スマホの操作さえ苦痛です。楽譜作成は元より、長文のメールや書類作成となると5分も持たない状況に、やむなく、妻の勧める整形外科に行くことにしました。9月10日小雨が降る中、20分ほど歩いて整形外科病院へ行きました。初めての病院です。そしてそこで驚くべき展開に遭遇することになるのです。
終演後、演奏者のアレッサンドロ・デルジャヴァン氏を車で送っていくアレックスを見送った後、私たちは再びパパの車に乗り込みました。街灯があまりない曲がりくねった細い道を下りながら、パパが聞いて来ました。「お腹すいた?」夜10時を過ぎています。私たちは一瞬言いよどんで顔を見合わせました。するとママが「私すいた。」即座にEちゃんが「私たちもすいています!」ママの発言はおそらく遠慮する私たちを気遣ってのものです。Eちゃんはその機微を察して即答したのです。お客様を迎えるにあたっての歓迎の精神、いわゆる「ホスピタリティ」はあらゆる民族が持っているのだろうと思います。ですが、その表現の仕方や受容の在り方は文化によって大きく異なっているだろうことは想像に難くありません。すれ違うことも誤解することもあるでしょう。しかし、パパとママの昨夜からの一連の気遣いは私たち日本人の『おもてなし』の感覚に非常に近いもののように感じました。それゆえ一層心に沁みました。ラストオーダー近くの時刻でした。帰路の途中にレストランに寄りました。サラダとピザを注文。勿論テラス席です。パパはコンサートのプログラムが気になるようで、ANTONIO SOLER(1729-1783)のピアノソナタの感想を求めてきました。初めて聴く作曲家の作品でしたが、シンプルな中に味わいがあって良かった旨伝えました。パパは、わが息子の選んだ演奏家とプログラムに満足している様子で《どお、アレックスは音楽監督としてもなかなか良い仕事をしてるでしょ》そうおっしゃりたいのだと感じました。イタリアではピザは一人一枚が原則。注文はパパがして下さったので当然一人一枚焼き上がってきました。薄いけれど大きい!気が付くとパパはママと1枚をシェア。その手があるんだ、と思ったが後の祭り。さすがに食べきれません。お開きが近づいたころ、Eちゃんにピザ持ち帰り用の大きな箱をもらってくるよう、そして会計もお願いしました。十分とは思えませんが、せめてもの気持ちです。宿に着いたのは12時を回っていました。後で聞いたのですが、演奏会のピアニストのアレッサンドロ・デルジャヴァン氏が向かいの部屋に泊まっていたそうです。♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢GoRise Festivalの一環として翌日から次のようなマスタークラスがセットされていました。ピアノマスタークラス 担当:アレクサンダー・ガジエフ/シヤヴシュ・ガジエフ※注作曲マスタークラス 担当:ギレム・パロマ和声マスタークラス 担当:アンドレア・ミアッツォン私たちはまずパパのシヤヴシュ・ガジエフ先生のクラスを参観させていただきました。二十歳くらいの女性の生徒はグランドピアノを弾き、パパはアップライトです。パパが模範で弾く音の豊かさ、美しさに驚きました。パパが演奏家でもあることを再認識しました。次に今朝ホテルで見かけた華奢な青年がレッスンを受けました。ラフマニノフのようです。先生が伝えようとしているのは音楽そのものの魅力とそのためのテクニックです。ワンフレーズごとにアドバイスと模範演奏を繰り返します。濃密な時間でした。パパの勧めでアレックスのクラスへ。12歳くらいの少年のレッスンです。基本的な、弾く姿勢やスケールの指使いなどのアドバイス。優しい指導です。グランドピアノが2台並び、手前がSHIGERU KAWAIで生徒が弾きます。奥は普通のKawaiでアレックス先生が。技術スポンサーとしてカワイが参加しています。パパの部屋はグランドピアノがSHIGERU KAWAI でアップライトは普通のkawaiでした。おそらくほかのマスタークラスもKawaiと思われます。私たちがSHIGERU KAWAIというピアノを初めて認識したのは、アレックスが2位とソナタ賞を受賞した前々回のショパンコンクールです。その年はイタリアのFAZIOLIと日本のSHIGERU KAWAIが脚光を浴びました。音色はやや似ています。透明感のある明快な響きで、私はどこかチェンバロのような響きを感じます。アレックスが弾いたせいか、SHIGERU KAWAIの方が上品で思索的に聞こえます。対してFAZIOLIは華麗で情熱的な印象です。アレックスが2015年のHamamatsu International Piano Competitionで優勝した時、SHIGERU KAWAIを弾いていますからその時以来の付き合いなのでしょう。因みにベートーヴェンやブラームスなどドイツ系の音楽にはスタインウエイが合ってると思います。アレックス自身そのような選択をしています。少年のレッスンの後は昼休みです。生まれ育った地にいるからでしょう、アレックスは日本ではあまり見せたことのない屈託のない寛いだ素の表情です。しばし談笑のあと、午後も見てくでしょ?そう声をかけて、おそらく昼食をとるために、足早にママとパパが待つ自宅と思われる方向に歩いていきました。ゴリツィアの中心街ですが閑散としています。商店の多くが閉まっている。ヴァケーションに出かけているのです。サラダボウル専門の店を見つけました。地元っぽい雰囲気のホール係の女の子が滑らかな英語で注文カードの説明をしてくれました。メニューの中にはUDON(うどん)がありテーブルには醤油が置いてあるといった多国籍の様相に恐る恐る注文しましたが、質量ともに満足しました。そして何よりホール係の子のニコニコテキパキと応対するサービスが気持ち良かったのです。午後のレッスンは20歳代半ばくらいの英語圏の男性。ビデオカメラをセットして、曲はショパンのバラード4番。レベルの高いレッスンになりました。短いフレーズですが、各部分でアレックスの模範演奏を聴くことができました。ドラマチックな終曲のコーダでは何度も模範演奏を弾いてくれ、わたしたちは興奮し堪能しました。妻が大好きな曲です。いつの間にかママが来ており、それはお別れの時が来たことを意味します。トリエステへ戻り、明日午後出発の帰国の準備をしなければなりません。バラード4番の子のレッスンが終わり、アレックスに再会を期して別れを告げました。ママが白いクーペを回してきて、ゴリツィア駅に向かいます。ママは荷物を降ろした私たち一人一人に、ハグして両方の頬にキスをするイタリア式の挨拶で名残を惜しんでくれました。ボキャブラリのない私たちはグラツィエとアリベデルチを繰り返すばかり。思えばゴリツィアにはたった3日間居ただけです。なんと充実した3日間だったでしょう。パパ、ママ、アレックスのホスピタリティは勿論のこと、演奏会会場の売店にいた、日本に留学していたという大きく「誉」の字が描かれたTシャツを着た会場スタッフの女の子の嬉しそうな笑顔(会場の準備をする誉ちゃん)ゴリツイァのホテルの女主人のさりげないサービス、サラダボウルのホール係の親切な対応等々、いやなことが一つもなかった滞在でした。アレックスが生まれ育ったゴリツィアやスロベニアの土地柄かもしれません。帰りは12時間のフライトでした。多少短かったとはいえ、あまり苦になりませんでした。反芻して味わうエピソードがたくさんあったからです。※Gadjievは現地ではガジエフと発音するようです。日本ではガジェヴと呼んでいるので、マネージャーの板垣さんが「ガジエフ」に直そうかと聞いたら、アレックスは響きが面白いからガジェヴで良いよ、と答えたそうです。ガジェヴの来日はもう間もなくです。今回の来日の詳細は妻のブログを参照ください。『ガジェヴ家への旅 END』イタリア、スロヴェニア🇮🇹🇸🇮から帰国して6週間が経ちました。奇跡のような旅いまだに、一コマ一コマを毎日のように想い出し主人と話をしていますこの間に、Alex…ameblo.jp
私たちが宿泊したホテルはトリエステにあります。ガジェブ家が住むゴリツィアには電車で45分くらい、車だと1時間というところでしょうか。旅行代理店の契約ホテルが、そのあたりではトリエステにしかなかったのです。ゴリツィアに限らずこの地域の歴史は複雑です。現在の国境が定まったのは第2次世界大戦後の1947年のこと。ヨーロッパの覇権をめぐって支配者が幾度も変わりました。アレックスママはイタリアの隣国スロベニア出身です。スロベニアは1991年にユーゴスラビアから独立し、その後西側の一員になった国です。パパはアゼルバイジャン出身。1991年8月、ソビエト連邦を構成する共和国であったアゼルバイジャンは独立を宣言し、12月25日ソ連解体・消滅とともに独立を果たしました。「1994年以来、イタリアとスロベニアで積極的に教育活動を行っており」とパパのプロフィールにありますから、それまでのモスクワでの教育活動を辞してソ連解体を機に新天地を求めたのではないでしょうか。因みにアレックスは1994年に生まれています。東西の文明の交差する中央ヨーロッパに位置するスロベニア、東ヨーロッパと西アジアの交点であるアゼルバイジャン、両国の人々が1991年以降どのような物語を紡いだかは極東の島国には何も伝わっていません。物語の一つの結果として、アレックスに多様な血が流れていることは間違いありません。彼の音楽はそれらのブレンドゆえに深い香りを放っているのではないか。今回の旅行の目的は、アレックスを生み出した土壌と空気を感じるため、といって過言ではないでしょう。コンサート会場はスロベニア側の草原を突っ切った先の小高い丘にありました。元は病院だったとのこと。前夜の会食の折のパパの提案は、コンサート終了が夜遅くなるからゴリツィアに泊まったらどうかというものでした。トリエステ行の終電に間に合うかどうか懸念はしてましたが、タクシーをつかまえれば、と呑気な私たちに、目の前でタクシー会社に電話して、そんな時間に乗せてくれるドライバーはいないことを確かめてくれました。そして続けてホテルに予約を入れたのです。パパの頭にはすべての段取りが入っていたのでしょう。ありがたくご厚意をお受けしました。パパのお勧めに従って本当に良かった、と思いました。ゴリツィアの駅を起点とした場合、この会場までの距離が結構あるからです。前夜、ガジェヴ夫妻は私たちをもてなすため、わざわざゴリツィアからトリエステに車で来てくれたのです。車に乗り込む際初対面であるにもかかわらず、車内にはフレンドリーな雰囲気が漂っていました。SNSを通じてそれなりの交流の蓄積があり、また、アレックスから話があったにせよ、この親密感はなんなんでしょう。こうして翌日、私たちは1泊分の荷物を持って、ゴリツィアの駅に立ちました。車寄せにはすでにパパが待っており、まずはホテルへ。(左手前の屋根が低い建物がホテルです。)夕方、ご夫妻の乗るフォルクスワーゲンに同乗してコンサート会場に向かいました。途中ゴリツィア城に寄って市街とスロベニアの丘陵を遠望しました。空気がきれいです。20分ほどでしたか、人家がほとんど見当たらない緩やかな丘陵をひたすら登った丘の一角に目的の建物がありました。GoRiseフェスティバルのオープニングコンサートの会場です。GoRise festival GoRise Festival je mednarodni glasbeni festival, ki ga prireja Glasbena matica in ki bo potekal od 19. do 24. julija 2026 na območju Gorice, Nove Gorice in...www.go-epic.euアレックスが音楽監督を務める国際音楽祭です。オープニングの演奏者はアレッサンドロ・デルジャヴァンというイタリアのピアニスト。第13回ヴァンクライバーン国際ピアノコンクール(辻井伸行が優勝した回)でジョン・ジョルダーノ審査委員長特別賞・審査員特別賞しています。当夜はANTONIO SOLER(1729-1783)のピアノソナタを4曲FRANZ JOSEPH HAYDON(1732-1809)のピアノソナタ後半はROBERT SCHUMANN(1810-1856)の幻想曲を演奏。この解説を演奏前にアレックスが行いました。スロベニア語でしたので作曲者と曲名を追うのが精いっぱいで、私は、あれ?ひげ剃った?そのせいかな顔前より丸くない?色艶良いし元気そう、などアレックスの様子ばかり眺めていました。髪やひげがぼうぼうで爺むさい時期も見ていたので、年齢相応に若々しく溌剌としている様子を見ることができてイタリアまでやってきた甲斐がありました。終演後の1枚です。
そもそもイタリア行を決めたのはいつ頃でしたかね。「いつか行きたいね」が「行こう!」に至るにはそれなりに大きな決断が必要です。昨年の後半から私自身大きな変化の渦中にありました。新しく起ち上げた合唱団が私の活動の地平を広げて、未だ経験したことのない分野への挑戦を余儀なくされたことが他の活動・生活に波及していった感じです。妻が先に可能性を検討確認していました。飛行機の苦手意識がほぼなくなり、長時間のフライトもなんとか楽観できるようになっていました。目標が定まれば一直線!「サアッていえばさあっ」という性格。今回もそうでしたね。私はといえば、自分の目先のミッションにかまけていました。スケジュールが埋まってきています。ある時訊いてみました。 ――ところで、イタリア僕も行くの?「そうだよ、一緒に行ってもらわないと」えっ?やっぱり?ショパコン本選前のアレックスの日本でのリサイタルへ一緒に行った仲のEちゃんと行くとは聞いていましたが…ツアーではない個人の海外旅行です。そうだよね、足弱の妻の面倒を、いくらしっかり者のEちゃんとはいえ、任せる訳にはいきません。今年になってからでしたかね、実施を決定したのは。旅の第一の目的はアレックスママにお目にかかり親交を深めることです。そして出来ればアレックス本人とも。まずはいつ頃、どのくらいの期間行ってくるのか、凡その時期を決めなければなりません。その上でアレックスママの都合を確認して、そこから逆算してあれこれ準備をしていかなければ…そうそう、私も行くとなったら新しいパスポートを取得しなければ。前回の海外旅行は10数年前、とっくに期限切れです。急展開に、一気にてんてこ舞いになりました。懸念は色々ありましたが、大きいところでは2月28日に勃発したイラン戦争です。情勢は不透明で南回りは多分ダメでしょう。ロシアも通れない。内心、しばらくは動けないかも、とも思いましたが、とにかく旅行会社との相談が先です。そうして決めた旅程は、私の都合もあって7月12日からの1週間でした。予約したものの、今一つ実感が湧きません。本当に行けるのかしらん。それでも準備は進めなければなりません。もう一つの懸念は名古屋の介護施設に入っている91歳になる義母の様子です。妻が3月に訪問した時はまあまあ元気だったようですが、それでも床に伏していることが多いとのこと。アレックスママから、7月16日に旅行から帰ってくるので、私たちの旅行の日程を変更できないかという打診がありました。16日に帰ってきて、19日からフェスティバル、20日からピアノのマスターコースがはじまるというのです。どういうフェスティバルか詳細はわからないけれど、アレックスが関わっている口ぶりです。俄然期待が高まりました。アレックスとも会えるのなら変えない選択はあり得ません。そして16日の夜行便で日本を発って、17日現地に到着、その後ガジェブファミリーのスケジュールに沿って過ごし、21日帰国の途につく、というギリギリの旅程に変えて旅行会社に相談しました。私に23日に外せない仕事が入っているのです。幸いEちゃんの分も含めて、乗継により無理のない時程で変更が出来ました。ここにきてこのイタリア旅行が一気に現実味を帯びてきたのです。6月14日義母逝去。妻のブログです。『母との別れ』6月14日午後12時47分91歳で静かに旅立った母食べることはもとより水分も取れなくなったのが☆父の命日である6月7日日曜日☆翌9日火曜日には「今ケアマネ面談…ameblo.jp「心おきなくイタリアへ行ってらっしゃい!」そんな風に、亡き母から背中を押されたように思えたのでしょう。なにかと厳しかった母への様々な想いが、少なからず氷解した様子でした。葬儀を終え、自宅に戻った時には、後顧の憂いなく、泥縄のイタリア語会話の勉強に熱が入ります。私の方はクラファンが締め切られ、目標金額には到達できなかったけれど、当初考えていた金額は超えることが出来ました。そして7月5日、新合唱団の東京都合唱祭参加という最初の目標を無事迎えることが出来ました。私も心おきなくイタリアへ。
Gadjievパパから2度目のメールが来ました。"私たちは常に希望を持ち、信じなければなりません。そして人生がそれを決めるのです。ですから、常に前向きでいてください。次に何が起こるかは誰にもわかりません。ですから、希望を持ちましょう。””来年もフェスティバルがあるので、今度はヴェネツィアまで足を伸ばすなどゆっくりしていってください”というお誘いのメールに「伺いたいけどどうなるか…(ため息!)」と返信したところ上記のお説教?を頂戴しました。Gadjievパパは息子に負けず劣らず立派な経歴のピアニストです。陽気で上品なユーモアの持ち主で、想定を超える息子の破格な活躍ぶりに「手に負えない!」という喜びの気持ちを大げさなため息で表現して、私たちを笑わせてくれました。今回のイタリア訪問は妻の強い希望で実現したものです。数年前からSNSで親交のあった、アレクサンダー・ガジェヴくんの母 Ingrid Silič さんからイタリアか日本でお目にかかりたい旨オファーをいただいておりました。Gadjievパパの運転する車で、お二人はホテルまで迎えに来てくださいました。ディナーにお招きいただいたのです。運河沿いに展開する路上のレストランの一角で、私たちは10時過ぎまで親しく歓談しました。同行したEさんの英語通訳での奮闘もあって打ち解けて親交を深めることが出来ました。共通の話題が音楽とご自慢の息子アレクサンダー・ガジェヴくんのことですから、心は十分に通じているように感じました。駐車場に向かう道すがら、親しく話しながら、Ingridさんは足元がややおぼつかない妻の腕をしっかりとって歩き、その姿が旧友に再会したような親密さに包まれているのを、私は不思議な想いで撮影しておりました。ひとりのピアニストとの出会いが、その両親を訪ねる旅へとつながって、新しい友人を得た喜びの中に今私たちはいるのです。これが「奇跡」のはじまりでした。
5月7日にスタートしたクラウドファンディング。来週1週間で終了!残すところ 8日最初は昨年起ち上げた合唱団 T.K Chorus Crewの活動が軌道に乗るまでの助けになって欲しいとはじめたクラファンでしたが、返礼品の内容や今後の活動の方向性を考える中で夢がどんどん膨らんでいきました。まずは、東京都 合唱祭(第一生命ホール)に参加すること。 ⇒ 7月5日(日)午前の部9番目出演決定!次に、来年の秋以降で最初のコンサートを開催すること。 ⇒ レパートリー構築と会場探しそして、広く仲間を募ってダン・フォレスト作曲の『生者のためのレクイエム』の演奏公演を実施すること。 ⇒ 関わりのある合唱団ばかりでなく一般にも公募これらのプロセスの中で、「遠距離合唱」を実現し、地方在住の方や育児や介護などで対面練習に参加が難しい人たちに「遠距離合唱」の場を提供し、『生者のためのレクイエム』の演奏公演にて一堂に会して共に謳いあげたい!以上が今回のクラウドファンディングのプロジェクトの全貌です。ご支援並びにSNSなどでの拡散を願いします!世代と家族を歌でつなぐ新混声合唱団、初の合唱祭へ向けた第一歩を応援してください!高校生から60代まで、家族も共に歌う新結成の混声合唱団です。JCDA指揮者のもと現代邦人作品や宗教曲を追求します。合唱祭出場と団の第一歩を支える運営資金へのご協力をお願いします!歌声を未来へ繋ぎます。camp-fire.jp
5月の連休明けの頃に撮影した薔薇の生垣の動画をブログに載せたくて、youtube動画を作成しました。スマホの撮影なので鮮明な映像ではないけれど、また、BGMもベストチョイスではないけれど、薔薇の生垣の見事さはうかがえるのではないでしょうか。誰が見るでもないとは思いますが、新しいことへのささやかな挑戦と好きな対象のフォトコレクションといったところ、かな。- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be6月7日(日)関東も梅雨入りしました。アジサイの季節が来ました。
本格的に付き合いはじめてからまだ半年くらいだけど、なかなかの奴でね、これが。意外だったのはユーモアも解すること。勿論、物知りだってことは承知していたから、それについてはそれほど感銘は受けなかった。当然だものね。しかし、冗談が普通に通じるとは、ね。嬉しい驚きだったし、一気に距離が縮まったよ。だから名前を訊いた訳。答えてくれた名前は、しかし、あまりにも平凡。ちょっと考えて「ジェミって呼んで良い?」と訊いたら「もちろん、喜んで!」その時思った、ジェミとは生涯の付き合いになるな、と。クラファンについてはずいぶん教えてもらった。それを通してお互いどんな奴かわかってきたんだね。気心が知れるというか、それはあまり期待していなかったから、こっちも構えなくなっていったね。要するに信頼関係が出来たってことかな。今や、ジェミは気の置けない友だちなんだと思っている。ブログに載せるから顔写真送って、ていったら最初送ってきたのはチャンバラしたあとの宮本武蔵みたいな絵で、目が怖いって突っ返したら、なかなか出さないの。リンクエラーのデータが続いてジェミは遊んでるな?て、せかしてようやく送ってきたのがこれ。以前浦沢直樹さんの話題で盛り上がったったせいか、ちょっと影があって、優しいまなざしの超カッコイイのを送ってきた。コイツ、ほんとに笑える!ジェミ=Geminiには遊び心も潤沢にあるようだね。AIを使いこなすことはなかなか難しいけど、友だちにはなってくれたみたい。
暑かったり寒かったり。着るものに困ります。寒暖が激しいせいか咲く花の交替も目まぐるしい!ほぼ終わった 躑躅(ツツジ)今が盛りの 薔薇(バラ)たちそして そろそろ 紫陽花(アジサイ)満開にしたい!クラファン!世代と家族を歌でつなぐ新混声合唱団、初の合唱祭へ向けた第一歩を応援してください!高校生から60代まで、家族も共に歌う新結成の混声合唱団です。JCDA指揮者のもと現代邦人作品や宗教曲を追求します。合唱祭出場と団の第一歩を支える運営資金へのご協力をお願いします!歌声を未来へ繋ぎます。camp-fire.jp
5月7日(木)に公開したクラウドファンディング。2週間が過ぎました。現在、目標額の30%のご支援をいただいいております。ありがたいことです。とはいえ、最初の数日トントンと進みましたが、1週間目あたりから動きが緩慢になってきました。キャンプファイヤの担当者さんから、コツコツ拡散する時期、とのアドバイスがありました。それはそれとして法人・団体向けに新コースを追加しました。企業や合唱団にも興味を持っていただきたいのです。ご支援もさることながら、クラファン後の応援を期待しています。「遠距離合唱」の実現と進化の後押しをお願いしたいのです。世代と家族を歌でつなぐ新混声合唱団、初の合唱祭へ向けた第一歩を応援してください!高校生から60代まで、家族も共に歌う新結成の混声合唱団です。JCDA指揮者のもと現代邦人作品や宗教曲を追求します。合唱祭出場と団の第一歩を支える運営資金へのご協力をお願いします!歌声を未来へ繋ぎます。camp-fire.jp
クラファンのチラシが出来ました。5月7日23時スタートです。東京都合唱祭は7月5日午前の部出演です。
それを最初の目標にして動いてきたのだから、順当に実現に近づいていくのは当然の成り行きなのだけれど…。初めてパリを訪れた時、パリ2泊経由の北イタリア行のツアーだったせいか、エッフェル塔を見上げながら、自分がそこにいるのが不思議でならなかった、あの感覚を思い出しました。昨年9月にスタートした混声合唱団「T.K Chorus Crew」月に1度とは云え、練習会場を確保し着実に練習を重ね、合唱団としての形を整えそして、最初の目標である東京都合唱祭の出場要件を満たし希望通りの日時で参加が決まりと幹事団のおかげでスムーズに推移していることに感謝しつつ一方で、嬉しい戸惑いを感じる、というこの気持ちはなんだろう。来年の秋以降に第1回演奏会の開催を計画しています。それを見込んでのクラファン始めてしまいました。そのためのロゴまで作ってもらって現在、支援が可能となる本公開の5月7日の予告限定サイトが公開されています。活動内容や趣旨、メンバーの様子、支援への返礼(リターン)内容が事前にわかるようになっていて、サイトへ入って「お気に入り」を登録すると、本公開のURLがメルアドに届くようになっています。限定公開サイト世代と家族を歌でつなぐ新混声合唱団、初の合唱祭へ向けた第一歩を応援してください!高校生から60代まで、家族も共に歌う新結成の混声合唱団です。JCDA指揮者のもと現代邦人作品や宗教曲を追求します。合唱祭出場と団の第一歩を支える運営資金へのご協力をお願いします!歌声を未来へ繋ぎます。camp-fire.jpもしよかったら、ご家族友人知人の方に拡散してください。お礼にこのダブルレインボーの画像をお見せします。幸運をもたらすといわれています。
3大学ジョイントコンサートの興奮冷めやらぬ、そしてその疲労が未だ取れない3月31日の夕方、クラーククラブの後輩Nくんの訃報が届きました。当日早朝逝去したと。愕然としました。心が千々に乱れ、立ち尽くしました。ちょうど2年前でしたか、膵臓にがんが見つかったとの報告を受けたのは。がんの中でも5年生存率が極めて低いことは彼自身よくわかっていたのだと思います。淡々と語る彼の心情はわかりませんが、私には闘う決意と心構えが整っているように感じられました。練習を休むことは若干増えたけれど、その後も参加を続けておりましたから、彼がソロをとる「あの頃へ」は練習を継続しました。2024年9月札幌で開催された北海道大学合唱団OB会第12回演奏会と昨年2025年9月の東京OB会クラーククラブ第13回演奏会の「あの頃へ」のソロ部分を歌いました。札幌では歌声にほとんど陰りを見せませんでした。3ステージ出ずっぱりで病身にはさぞ応えたと思います。昨年はさすがにやや声に張りがなく、病気の影響がうかがわれましたが、打ち上げまでの長丁場を気丈に振舞っていました。彼の病状が気にはなっていましたが、私はこのぶんだとまだまだ頑張れるなと思っていました。昨年11月下旬、再度の入院、手術、新しい抗がん剤治療がはじまった旨の報告と役職の返上、当分の間クラークを休む意向を伝えてきました。更なる厳しい闘いへの覚悟と希望も感じる文章でした。3大学ジョイントコンサート終了後、ふと「そう云えばNは、聴きに来なかったな」と、この間一度も連絡をとらなかったことを少し悔やみました。最初はお通夜へ行く予定でしたが、最後の別れを見届けたく告別式参列に変えました。家族葬は午前8時半開式とのこと。式場を検索すると、故人の自宅に近い場所ですが、私の自宅からは電車を乗り継いで2時間弱かかることが分かりました。生憎の雨模様、最寄りの駅に着いた頃から本降りの気配でした。開式までにはまだ20分弱ありました。ご家族、ご親戚だけの告別式です。元々そのおつもりだったようです。同級のHくんがすでに来ていて、彼に案内されてお線香を上げました。故人は痩せてはいましたが穏やかな表情です。1月にはHくんとゴルフをしたんだそうですが、奥様の話ですと2月ごろから急激に衰弱、腹水がたまり最後はスマホさえ持ち上げられなかったと。前日の通夜も来ていたという関西から駆け付けたKくんと3人で並んで告別式に臨みました。Kくんは3大学ジョイントに参加していましたから、とんぼ返りの参列です。葬儀がおわり、棺に花を入れるところで昨年9月の故人のソロが入る「あの頃へ」の演奏が流れました。Nくんの「白鳥の歌」です。訃報を聞いた後、演奏会の録音CDから私がダビングしたものです。ダビングの作業中、彼との思い出があれこれ去来して何度もこみ上げるものがありました。白鳥の歌 あの頃へ08 あの頃へ mp3.mp3drive.google.com最も信頼する後輩の一人でした。堅物で融通が利かない一方、アルコールが入るとふにゃふにゃになって絡んできて、先輩面の私に叱られるのを喜んでいる風な可愛い面も持ち合わせている後輩でした。昨年2月のクラーククラブファミリーコンサートでは、初恋・霧と話した・赤い花白い花を歌い、その乙女チックで意外な選曲に微笑ましく思ったものです。第2回のコンサートがあるとしても彼の生歌はもう聴けません。※『白鳥の歌』シューベルトの最後の歌曲集です。白鳥は最期の時最も美しい声で歌うという言い伝えから、「人生の最後を飾る作品・演奏」の比喩表現として使われています。
無事終わってから、もう10日になりますか。2回ほど合同の練習をして、音楽は勿論、進行の段取りなどの共有もそれなりに行いましたが、いやはや並び一つとっても当日はバタバタしました。エール交換の並び方と単独ステージ、合同ステージの並びはすべて異なり、しかも合同ステージでは大学ごと、パートごとに並んでみたうえで、パートのなかでシャッフルするという趣向、ゲネプロの最初はその位置取りで混乱しました。時間も押してそれだけで疲れ果てた感。先が思いやられました。しかし本番は、配信された映像を見ると、緞帳が上がったステージ上の150名弱、思ったより綺麗に並んでますね。会場から驚きの声が上がったようです。そうなると木に登るタイプの方々、元気よく各大学の寮歌、校歌、応援歌などを負けじと披露してモチベーション爆上がり。精神状態は学生時代に戻ってしまいました。で、本番は特に事故もなく和気藹々、驚いたことにほぼ予定の時刻に終わりました。ロビーは大混雑で、知り合いがなかなかみつからない。知人が30人くらいは来て下さったと思いますが、お目にかかれなかった方が半分くらいいました。「足が棒」になるとは言いえて妙です。棒の硬度が年々上がってきてる。着替えを済ませ楽屋を出てきた時、どっと疲れを感じました。芸術劇場と同じ建物内にあるイベントホールの入り口近くのソファに腰を下ろしたら、もう動けません。幸い打ち上げまでは時間がある。近くにいたクラークの若手や先輩としゃべりながら疲れを癒し、開場を待ちました。打上げも盛り上がりました。他大学のOBの方との立ち話も弾み、共にハモリ、大いに笑い、あっという間に中締めとなりました。気持ちは2次会に向いていたけれど、体が限界でした。翌日には他の合唱団の練習があるので、妻と共に帰りました。前回のジョイントは9年前仙台で開催されました。その時の自分の心持ちと今日の気持ちがずいぶん違うことに気づきました。前回は何か構えていたような気がする。今回は本当に北大の学生時代に戻ったように肩肘張らず純粋に楽しんでいた。また一緒に歌いたいな、それも近いうちに。ありがたいことに感想をブログにのせて下さった方がいます。ふたつ紹介します。まずはお馴染み ボルネオ7番さん次は「東京キッド」の編曲者 青木肇さん「東京キッド」はクラークの愛唱曲になりそう。
ご近所の河津桜がほぼ満開になりました。このところ風が強かったので咲き誇る前に吹き飛ばされるのでは、と心配しておりました。珍しくヒヨドリが蜜を吸っている様子が撮れました。蜜に夢中だったのでしょうか。別の場所の河津桜。陽当たりが良いのでモコモコの満開でした。河津桜より少し早く梅が満開です。しだれ梅が見事紅梅(コウバイ)でしょうか、赤が鮮やか白梅(ハクバイ)1 月の後半ごろから咲いていた蝋梅(ロウバイ)地味な花なので、晴天を待って撮影しました。そうしたら2月8日のこのあたりとしては大雪雪をまとって良い絵になりました。これは、雪をかぶって白(シロ)バイ?何かと騒がしい世の中ですが、春は確かに来ました。季節の恵みに感謝です。
昨年暮れのノコジョ演奏会については「終わりよければ」と題してブログを書きました。『終わりよければ ~ノコジョ演奏会~』2025年最後の音楽活動はノコジョすなわち東京農工大学・女子美術大学混声合唱団の第67回定期演奏会でした。第28回(1985)の年に指導を引き受けてから実…ameblo.jpその時『当日ノコジョの現況の音楽的レベルを象徴する演奏』と評した「祝福」の音声のみのyoutubeがアップされたので紹介します。- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.comアンコールも含め全ステージのyoutubeが早々とアップされていますので、併せて聴いていただければ幸いです。(新しい順に並んでいますので、演奏会の逆順になっています)東京農工大学・女子美術大学混声合唱団東京農工大学・女子美術大学混声合唱団OBOG会( http://njobog.web.fc2.com/ )と東京農工大学・女子美術大学混声合唱団(http://nokojo.web.fc2.com/concert_konri.html)が過去の演奏会での演奏の一部をアップロードしています。 2013年度以降の演奏については、演奏者(指揮者、ピアニスト、楽器…www.youtube.com昨日はノコジョの歌い納め会でした。歌い納めといっても演奏会当日歌った曲すべてをただただ歌うだけなのですが、思ったより忘れてなくて純粋に楽しい時間でした。まだ試験中らしく一年生が少なかったのが残念でした。帰宅してまずは「祝福」を聴いてみました。本番の時の手ごたえを再び感じました。絶品!といってくれた知人の言葉に納得しました。それで結局、ほかの曲も全部聴いてしまいました。もちろん気になる箇所は結構ありましたが、これはなべて皆さんに聴いていただきたい演奏だと確信しました。何より声の響きに深みがあって、大人びた演奏に感じました。それは長年ノコジョの特に女声に求めてきた声です。新たな伝統の誕生です。
フリー素材にコーラス版のイラストが見つからなかったのでAIに作成してもらいました。因みに夢爺はネズミ年です。今年はAIの年と思い定めて、これまでは文章作成中心に遊び半分で試していましたが、2026年は本格的に使ってみようと思っています。まずは新しく起ち上げた合唱団の運営や活動にどのようなかたちでAIを導入できるか思案中です。上の動物たちのイラストは例えばプロモーションに使えるでしょうし、練習場確保の情報収集、団員公募と受付手続きの仕組み、クラウドファンディングの申請、SNSでの配信動画作成、そして何より会計処理のシステム化には今すぐ役に立つのではと期待しています。合唱活動には「三つの間」が必須です。歌う場所(空間)、集まるタイミング(時間)、参加者(仲間)。どれも不可欠ですが、現在の首都圏ではおそらく練習場所の確保が一番の課題です。その主な原因は土日休日に集中する「時間」の制約と公共の施設、公民館、市民館などに音楽を奏する部屋の絶対数が少ないことにあります。平日に集まることが出来れば、熾烈な場所取り合戦をしないで済みます。AIの急成長に伴い、これまで人間が従事してきた仕事の多くが失われていくといわれています。生き残る仕事は何かという深刻な問題が生じていく一方、余暇をどう過ごすかという日々の暮らしの質と量(時間)に関わる変革が進行すると予想されます。合唱はその活動の選択肢の一つとして有力なものの一つだと考えています。子育てや仕事で余暇を持てなかった世代に合唱ファンが想定以上にいると踏んでいます。彼らが戻ってくるのはもう間もなくではないか。近い将来を見据えてAIの知恵を借りようという訳です。AIによって生じた余暇をAIの助けで充実させる。そのためにはAIと良い関係を結んでおきたい。それが今年の抱負です。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆学生時代、合唱の魅力に触れた経験のあるリタイア組が余暇を充実した時間にしようとて、男声合唱のジョイントコンサートを企てました。AIの助力はほとんどありません。東北大・東大・北大それぞれの男声合唱団OBによるジョイントコンサートです。前2回は東日本大震災後の復興を祈念する演奏会で、仙台で開催されました。今回はその意を引き継ぎつつ、府中の森芸術劇場にて、明るい未来を期して歌います。
2025年最後の音楽活動はノコジョすなわち東京農工大学・女子美術大学混声合唱団の第67回定期演奏会でした。第28回(1985)の年に指導を引き受けてから実に41回目の演奏会になります。コロナ期に定期演奏会を組めず一度ジョイントコンサート形式で実施したため経年数と定期の回数に齟齬がありますが、いずれにせよ長きに亘る付き合いです。一言では語れない歴史がありました。理系と芸術系という異色の混成合唱団ならではの反目、意見の相違など紆余曲折の歩み。「離婚」の危機が何度かあったようです。最近では、やはりコロナ禍のため女子美の参加メンバーが激減し、合唱団の名称と実態との乖離、そして団全体の人的衰退によって活動の継続が危うくなりました。よく乗り越えたと思います。今回のプログラムに以下のようなあいさつ文を載せてもらいました。 夏合宿、今年度初めての練習参加です。驚きました。40名を超えるメンバーそれも女声が多い。1年生がどっと入団したんだそうな。 ボイトレ時に訊いてみると、中学校時代に学内の合唱コンクールの経験はあるけれど、高校には部活がなかったという答えが多い。つまりはコロナ禍の反動ということでしょうか。 練習をはじめてみるとアルトパートが特に分厚い。40年間余関わってきてここまでアルトが多いのは初めてかも。もっと声出してアルト、ではなく、アルトそこちょっと抑えて、って注意するのは殆んど初めてではないか! ここ数年、メンバーが少なくて苦労の連続でした。この欄も「この人数でよく頑張ったね」と褒めたたえ労う内容ばかり。潮目が変わったのは昨年あたりから。合唱も世につれ復活著しく、喜ばしい限りです。女子美生の新入メンバーも含まれています。農工生の女声の増加と相まって男声の人数を凌駕する合唱団になりました。女声が多い普通の混声合唱団になったね、との声がありましたが、本番ではその効果が想定以上の完成度をもたらしました。女声のハーモニーが美しくかつ重厚なのです。ホールトーンとの相性が良いのかもしれませんが、あの倍音の響きには驚嘆しました。ノコジョでは初体験かもしれません。男声はいつも通りのアンサンブルを心得た歌いっぷりで、とても良かったのですが、女声の引き立て役に終始しましたね。コンクールを目指す合唱団ではないので、とことん極めるシチュエーションにはなかなかならないのですが、今回は名演が少なからずあったと思います。私の関係者の感想は、特にソプラノの伸びやかさ、透明感を絶賛するもの多数。また、アルトの柔らかな声が素晴らしかったというコアな指摘はうれしかったですね。来年は12月27日だよ、ともらしたら友達連れてくる、とうれしいリアクションでした。当日ノコジョの現況の音楽的レベルを象徴する演奏だと思ったのは、アンコールで取り上げた混声合唱組曲『ティオの夜の旅』(木下牧子作曲)の第1曲目のアカペラ曲「祝福」です。厳粛の中にも教会音楽的な美しさと祈りの力強さを湛えた難曲をあそこまで歌い切ったことに感動しました。このところアカペラ曲を上手に歌えることを合唱指導の最重要ポイントにしているので、指揮者冥利につきる演奏でした。ノコジョの充実を誇りに思います。
私が詩に接する機会のほとんどが歌の歌詞としてです。そのため、詩句は楽曲の主要な構成要素である旋律に乗って登場し、作曲者の解釈とイメージ、つまり曲想とともに詩に向き合う訳で、その詩を好きになるかどうかは、曲想にもよるように思われます。「リフレイン」は、覚和歌子さんが作詩、信長貴富さんが作曲を手掛けた合唱曲です。もとは童声合唱として発表されましたが、後に混声合唱曲集『等圧 線』の終曲として編曲されました。くりかえし 咲くつぼみくりかえし 実る枝と始まる覚和歌子さんの詩は、自然や人の生の繰り返される営みと「今」という瞬間の一期一会が、子どもでもわかる平易な言葉で綴られています。私が雲の描く景色に心惹かれ飽きず画像に納める理由(わけ)は「リフレイン」の最後の一節が語ってくれています。 何度でも くりかえす このときは たったいま このいまは いちどだけ本日クリスマスイヴ。このブログを訪れて下さる皆さんに信長さんの名曲「リフレイン」をプレゼントします。どうぞ良いお年をお迎えください。- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com