Slow-nin夢爺の日日是好日
2010年、小澤さんに食道がんが見つかりました。6月までの仕事をすべてキャンセルして、治療に専念することに。この年のサイトウ・キネン・フェスティバルの登壇が危ぶまれました。フェスティバルの時期に休暇を取るのがすでに難しくなっていた私は、迷った末、松本行きをあきらめました。私淑している身としては、現時点での小澤さんの音楽的全貌を見たかったのです。それが叶わなければ、無理してまでは、と思いました。結果的に小澤さんの指揮のステージは2回、それも短い時間だったようです。小澤さんと成城合唱団との関係は、2008年の『ファウストの劫罰』を最後に遠のきました。そしてガン発症の報。ガンそのものは完治しましたが、体力の消耗著しく、様々な部位に不調が生じ、キャンセルが続いたことはよく知られています。アマチュアの成城合唱団が小澤さんに指揮をお願いできるスキマはなく、ただただ復調を祈りつつ、これまでも何度かお願いしている井上道義さんや松岡さんの協力で演奏会を開催しておりました。幸い、記念演奏会などが控え、合唱団のモチベーションはまずまず維持できていたと思います。しかし、そこに起こったのがコロナのパンデミック。恐らく音楽活動の中で合唱が一番制約を受けたと思います。高年齢層が多い成城合唱団は、活動らしい活動ほぼ皆無で数年を過ごしました。学園の施設を借用している団としては一般社会以上の厳しい安全対策に従わざるを得ません。活動休止中、最盛期に活躍された団員のかなりの数の方が引退されたり死去されたのは悔しい限りです。訃報は聞こえてきませんでした。合唱団の求心力を失わないためにも何かできなかったか。せめてSNSの活用を進めるべきではなかったか。ホームページくらい起ち上げられなかったか。活動休止はそうした手段を考える絶好の機会だったと悔やみます。小澤さんの健康とコロナ拡大の状況が重なり合って、小澤さんを中心とした成城合唱団の「最盛期」は終わりを告げました。現在、小澤さん頼みで過ごしてきたツケがまわってきたといって良いと思います。これからの活動について模索中の成城合唱団ですが、未だ活路を見出していないのが実情でしょう。一つ言えることは、伝統や歴史を看過した方針・対策に実りは薄いということです。「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ」ビスマルクの言葉だそうです。※次回の「音楽以外は捨ててもいい」は個人の情報や写真が含まれる内容ですので、アメンバーのみの公開になります。
この7月8月、夕食に何を食べて来たか。私作る人、だから、勿論私好みに偏向していることは否めません。最初にバラしておくと、肉、それも豚バラ肉が異常に多い。鶏ささみの出現も結構多い。この二つ、脂肪が多とほぼ無で対照的だけど、ささみは好きというより新総料理長の「淡白な食材をどう調理したらおいしくなるか」という調理研究の材料ですね。野菜はキャベツ(価格安定してるほうだし)多分第1位。それから茄子多いよね。醤油や味噌にあう和の食材です。(アーカイブの中で茄子の驚くべき調理方法発見)もやしはなんといっても栄養価も高くて、安いし飽きない。安いといえば、この夏はロメインレタスやグリーンリーフをよく食べました。普通のレタスやサニーレタスより歯触りが好きだな。そして、豆腐、厚揚げ、納豆は常備菜。という訳で、写真を並べます。日付や料理説明は気が向いた時だけ。というより自分でも何を作ったのか忘れていること多々あって説明できないのです。ささみの唐揚げとサラダスパ⇩肉巻き厚揚げカツポテサラは自家製が一番⇩初めて作ったナポリタン 茄子!の蒲焼 ⇩ミートポテトグラタン⇩こんにゃくステーキ(旨いんです、これが)八宝菜大好きだけどメンドくさい
ピカイチに熱心なコーラスグループ、川口市民合唱団の定期演奏会のお知らせです。これまで利用させていただいていたリリア音楽ホールが川口総合文化センターの改修工事のため、今回は埼玉会館小ホールでの開催になります。川口市民合唱団 - 埼玉県川口市の混声合唱を愛するコーラスグループですkawaguchichorus.com 【小ホール全景】【プログラム】*プロローグ ・きみ歌えよ ・ここから始まる ・紅葉~落葉松*木下牧子曲集 ・おんがく・さびしいカシの木 ・春に*女性詩人による三つの譚歌 (信長貴富 作曲) ・花こそは心のいこい ・天空歌 ・春*こころの旅路 ・小さな空 ・主よ人の望みの喜びよ ・いのちの歌
9月の演奏会に向けて、クラークの練習も追込みの段階に入ってきました。7月13、14日と強化練習を行い、13日には第1ステージを指揮する札幌在住の山吹さんが出前練習にやってきました。本番前に札幌の指揮者と対面練習するのは2回だけです。その2回で指揮者のコンセプトや音楽的な要請を伝える訳で、演奏上の大まかな約束事を演奏者が把握できれば上出来です。あとの細かな指示は、練習開始の最初の曲をモデルに、指揮者が望むことを繰り返し練習することで「以下同文」であることを暗に伝えます。プロ、アマチュア、オーケストラ、合唱問わず、本番指揮者との数少ない対面練習での一般的な手法ではないでしょうか。演奏者とのコミュニケーションが良好で信頼関係を構築できれば、良い本番を迎えることができます。練習後の懇親会は山吹氏を迎え、20数名で大いに盛り上がりました。翌週は私が札幌へ。『北のうたびとたち』の出前練習です。札幌は6年振りです。空港はいつ来ても旅情を掻き立てます。羽田は昨年下見と称して遊びに来ました。展望フロアから発着を眺めていると、かつての旅の記憶の断片が甦ります。羽田空港の国内線搭乗フロアは混雑していました。手続き的な情報すべてがスマホに格納されていることに、やや不安を覚えながらウロウロ。外国人ばかりかと思っていましたが、夏休み前後の土曜のせいか、家族連れの日本人が多いような印象です。飛行機は満席でしたね。少しウトウトしていたら、もう着陸です。新千歳空港到着。練習が18時からなので、あまりのんびりしてられません。JR乗換えに急ぎます。札幌駅西口の目の前にホテルがあるので、まずはチェックインして部屋で一休み。札幌も暑い!30度超えてますね。地下鉄二駅で練習会場近くまで行けるとのこと。6年前、札幌駅の北側には北大構内以外立ち寄っていませんでした。歩き始めてその変貌ぶりに驚愕しました。まったく見知らぬビル群が続いています。思えば私の記憶はおよそ50年前のものです。10年ひと昔どころか5倍の昔です。茫々たる時の流れ…。立ちすくんでしまいました。(続く)
コロナ禍で延期され6年ぶりに開催する運びとなった北海道大学合唱団OB会演奏会のチラシが出来上がってきました。第2ステージは2019年東京OB会クラーククラブが初演した『北の吟遊詩人たち』の楽譜出版にあたり『北のうたびとたち』と改題したポップスステージです。題名の通り、北海道出身のシンガーソングライターたちの北海道を想わせるヒット曲を集め、ポップスの合唱曲アレンジに定評のある作曲家田中達也氏に男声合唱曲への編曲を委嘱した作品です。北海道での初演をようやく実現できると思うと感慨無量です。改めて曲目と作曲者の出身地を紹介します。1.地上の星(中島みゆき:札幌市) 2000(平成12)年2.青春時代(森田公一:留萌市) 1976(昭和51)年3.あの頃へ(玉置浩二:旭川市) 1992(平成4)年4.季節の中で(松山千春:足寄町) 1978(昭和53)年5.麦の唄(中島みゆき:札幌市) 2014(平成26)年この曲集は3曲目の「あの頃へ」に触発されて生まれたものです。歌い出しの歌詞は 雪が降る 遠いふるさと なつかしい 涙になれ望郷の歌です。そして あたたかい あの頃へ 君をいつか つれて行けたら愛の歌です。小樽・船見坂から海を望む
梅雨入り、遅かったね。湿気と暑さ、たまりません!季節の角を曲がった途端のこの蒸し暑さ・・・柏葉アジサイ(北米原産)アジサイの造形の妙はいつも感心。娘からお届け物!遅まきながら父の日のプレゼントだと。いいのに、といいながらイソイソと開封。?? イタリアのビール!一本冷蔵庫へ入れながら、心は夕食のメニューへ。そういえば、金沢から野菜を頂いてたな。という訳で、茄子とピーマンと豚肉の味噌炒め♪(インゲンもちょっと入れた)娘も同行したイタリア旅行。ローマ初日、ホテル近くの地元客の行くリストランテで飲んだビールだ!そう娘に話したら、そうだっけ?って。母親に似て、過去は真っ暗なんだ。それはともかく今日も茶系のメニューでした。昨日はこれ、ささみのソテー。と白菜のはごろも煮(はごろも煮って味付きツナ缶)これは日曜だったかな?味付きのプルコギに厚揚げ焼いてプラス。ボリュームもタンパク質もたっぷり。次は21日だったかな。そうめんと、天ぷらは売り切れで出来合いの鶏むね肉の梅シソ巻きで我慢。この日は茶色が薄かった。19日だったと思うけどマーボー茄子こうしてみると最近やや手抜き気味…だね。不味いものは食べたくないけど、あれこれ食べたい訳でもないからね。これからも茶系の一品料理続きます。(表紙はノウゼンカズラ)
1987年:サイトウ・キネン・オーケストラ結成・活動開始1992年:サイトウ・キネン・フェスティバル松本スタート小澤さんの音楽活動が次のフェーズへ急速に発展していく時代に、私は成城合唱団の指揮者を拝命しました。サイトウ・キネン・オーケストラとも僥倖というべき運命的な出会いでした。サイトウ・キネン・フェスティバル松本第1回。小澤さんと昔から交流のある成城合唱団のメンバーが、チケットの売れ行きを心配し鑑賞ツアーを計画。バスをチャーターして松本へ応援に行きました。確か2泊3日の行程で、オペラとオーケストラを鑑賞しました。その折の『衝撃』をブログに残しています。『30年の軌跡 ~小澤征爾さんとサイトウキネンオーケストラ~②』第1回サイトウキネンフェスティバル。サイトウキネンオーケストラによるチャイコフスキーの弦楽セレナーデを聴いた時の衝撃は筆舌に尽くしがたいものでした。かろうじて…ameblo.jp 何ごとも「慣れる」ことは必要だけど、初心のワクワク感を忘れてしまうようだと「狎れる」に陥るんだ、と痛感した演奏会でした。因みに「狎れる」の意は、対象を侮る、見くびる、つまりこの場合、音楽を耳だけ、頭だけで受容して済まして、心で味わっていないということです。この経験は、私に感動と反省をもたらし、これ以降恒例となる松本詣でが2008年まで続くことになるのです。
春らしさを味わう機会があまりないまま、アジサイの季節がやってきました。でも、この北海道みたいな爽やかさは何でしょう。好ましいけど、中途半端な季節感・・・今年も半分過ぎようとしている!厚揚げと豆腐のメニューに凝りだしてから、レパートリーが増えたような気がしてたけれど並べてみたら、変化に乏しい。なんと茶色い料理が多いことか。ま、醤油と味噌を使えばやむをえませんが。結局、和・中・韓料理まがいの惣菜メニューが口に合うんですね。・青椒肉絲?いやいや回鍋肉だった!厚揚げのみそ焼き・ささみのパン粉焼きなすの味噌炒め・肉野菜炒め(日高屋風)・トマトサラダトリワサまだらのバター醤油焼きとバターライス・豚肉味噌漬け焼きとポテサラ(両方ともできあいのもの)・豆腐と豚肉の炒め物とキュウリ塩昆布和え・キノコの豚バラ巻きとほうれん草のベーコン炒めコーンサラダさて、今夜はなに食べようか…
総料理長襲名、といっても夫婦二人だけの話。メニューを考えて、買い物して、作るという作業のかなりの部分を引き受けるようになっただけです。(勿論、後片付けと食器洗いも)そのいきさつは ⇩『Gadjievistaと総料理長』昨年7月、ついにコロナにつかまってしまった総料理長、その後も肺炎を併発するなどして、今一つ体調不良のまま年を越しました。その間、長年続けていたデスクワークをち…ameblo.jpその後も私の総料理長の地位は揺らいでいませんね。嫌いな作業ではないのです。いや、家事の中で一番好きかも、料理が。で、Gadjievistaの体調不良の根本原因が食生活にあるとみてタンパク質メインのメニューで炭水化物好きのGadjievistaを攻め立てています。だって人間の身体って、水分を除いた残りの4割強がタンパク質でできてるんだそうですよ。筋肉が衰えれば、いくら骨が丈夫でも動きは悪くなる。5月に食卓に登場した新料理長のたんぱく質補給料理を披露します(というより備忘録?)。初めてのお好み焼き。炭水化物が多いと誤解してたけれど、要するに材料の揃え方でタンパク質十分になることがわかって初登場です。粉もの気に入りました。鶏肉嫌い、ささみなら食べる、とGadjievistaの衝撃の告白!ん十年付き合ってきて初めて知りました。筋取るの面倒なんだよね。いかにもヘルシー。バター醬油味です。大ヒット!厚揚げの豚バラ肉巻き。インスタの動画を参考に挑戦!は大げさだけど、これはお勧めです。得意の醤油味。Google検索すればレシピ出てきます。コスパも味も、なんと、栄養も絶品です!肩ロースの冷しゃぶと新玉ねぎとイカ・エビ・アサリの海鮮スープスパゲッティ。冷しゃぶのたれはお好みで。パスタはスープ少なくなってしまいました。冷凍庫の整理で割と大きい殻付きエビを使って、手抜きエビマヨ。それと、なすとピーマンの味噌炒め。殻付きだと背ワタ取るのが手間だから、あとは手抜き。それでも旨かった!ほかにもあるけど、食べるの夢中で写真撮り忘れました。実は、Gajievistaのため、と云いながら、自分のビールのおつまみを作ってるんです。えっ?バレてました?体重がジワジワ増えて来てるような…
不順な天候のせいで季節の花ばなの開花時期が全体遅い。世界的な現象らしい。イタリアが冬に戻ったというニュースを最近聞いた。そんな4月も下旬になって夏日などもあり、ツツジは今が盛り。ハナミズキも咲き揃ってきた。そんな折、訃報が入った。ガンを患ってクラークや他の合唱活動を休んでいた同期のSが亡くなった。4月10日のことだという。S夫人からのハガキが届いていたらしいが、一日中片付け仕事をしていた私は夕食時に先輩のIさんからのメールを開いて凍りついた。Sとは3月初旬、昨年暮れに急死したNの偲ぶ会をオンラインでやろう、とメールで相談していた。Sは大いに乗り気だったが、私の雑事が立て込んでいた頃で希望に応えることなく先延ばしになっていた。せめてその旨くらい返信すればよかった。大いに乗り気だったのは自身の死期を予感していたからではなかったか。私は自身の不明を悔やんだ。クラーククラブの団長だったSと常任指揮者の私は、合唱仲間としていわば盟友のごとき間柄だった。Nもそうだが、知り合ってから57年間に及んだ付き合いは他に得難いものだ。感謝あるのみ。昨年暮れの東京農工大学・女子美術大学の定期演奏会で演奏した組曲『あさきよめ』の中で、なんとも心に引っかかる詩に出会った。訃報が続くせいか、このところ何度も心に浮かぶ。寂しい詩だが、そこはかとないユーモアも感じる。室生犀星逝去のひと月ほど前に書かれた絶筆の詩だという。老いたるえびのうた 室生犀星 詩けふはえびのように悲しい角やらひげやらとげやら一杯生やしてゐるがどれが悲しがつてゐるのか判らない。ひげにたづねて見ればおれではないといふ。尖つたとげに聞いて見たらわしでもないといふ。それでは一体誰が悲しがつてゐるのか誰に聞いてみてもさつぱり判らない。生きてたたみを這うてゐるえせえび一疋。からだじうが悲しいのだ。
2024年4月14日(日)晴れソメイヨシノが散り始めています。その一方でヤエザクラが満開です。4月10日 二ヶ領用水4月14日 成城両方がほぼ同時期に満開!こんな年もあるんですね。成城学園の講堂で行われた小澤さんのお別れの会に行ってきました。NHKの午後のニュースでその模様の一部が報道されました。NHK+で数日は視聴できるとのこと。長男の小澤征悦さんの司会で進行。成城っ子の彼らしいキャラクターもあり、小澤さんが愛した成城学園らしく、ざっくばらんで温かいお別れ会でした。参列者の献花の間、小澤さんにゆかりの深い3つの合唱団コーロカステロ、城の音、成城合唱団がそれぞれ歌い、コーロ・カステロ 成城合唱団また、小澤さんが指揮・指導に携わっていたオーケストラやアンサンブルの、豊嶋さんを中心とした弦楽メンバー有志による「G線上のアリア」が奏され、小澤さんを追悼しました。私はコーロ・カステロと成城合唱団を指揮しました。献花ならぬ「献歌」です。お別れ会には約1300人が参列したとのこと。献花の列は終了予定の15時近くまで続き、名残を惜しみました。小澤さんが中学校の同窓生と結成した混声合唱団「城の音」は最後の最後まで輪になって歌い続けていました。たくさんの懐かしい方々に再会しました。そして懐かしい写真も…(講堂ロビーに展示) 黄色の〇印は誰でしょう。
なかなか暖かくならなかった3月でした。桜に限らず、軒並み開花が遅かったり、いまいち足並みが揃わなかったり、花の姿が貧相だったり…4月も7日の今日、二ヶ領用水のソメイヨシノを観てきました。多分これでようやく満開なんだろうけど、やや寂しい印象です。とはいえ、入園式・入学式には良いタイミング。日曜の昼時とあって、家族連れやカップルが土手や川沿いのあちこちでお花見弁当を広げていました。もちろん「花より団子」です。老若男女問わず、スマホで撮影している様子は、世界共通なんでしょうね。橋の上ではスマホを持ち上げた腕が林立していました。どっこい、私たちを忘れちゃ困る!ツバキオオキバナカタバミボケ私の好きな梨の花も咲き揃ってきたのですが、授粉の時期のためしっかり網でガードされているので上手く撮影できませんでした。元旦の飛行機事故、翌日の能登の地震で幕を開けた2024年は、例年に比べて春の訪れが遅いことまで、なにかしら先行き「不順」の兆候ではないかと不安を覚えます。この穏やかで平和な光景が、これからも末永く続くことを祈ります。
米アカデミー賞視覚効果賞の『ゴジラ-1.0』を観てきました。午後1時35分からの上映に8割の入り。予想外だったのは高齢者が多かったこと。少なくても半数はシニア客ではないでしょうか。自分たちのことを棚に上げて、皆さん楽しめるのか心配しました。ゴジラ映画のシリーズにはとんと興味がなく、1954年公開の最初のゴジラも観たかどうか、あやふやな記憶しかありません。今回は山崎貴さんが監督だということで多少の関心はありましたが、米アカデミー賞受賞には仰天しました。海外でも人気のシリーズであることは承知していましたが、まさか受賞するとは!実見してその出来栄えを確認しなければ、と出かけた訳です。125分の長尺の作品ですが、全く飽きることなく、特に後半は手に汗握るゴジラとのハラハラドキドキの闘いと、人と人との想いの熱さに思わず涙しました。話を聞いた娘から、怪獣映画を見て泣くなんて信じられない、とコメントをもらいましたが、終戦直後の生き残った人々の切羽詰まった日々の暮らしの中で見せる交流や優しさが丁寧に描かれ、まずは、人間ドラマとして極めて高い水準にあったからだと思います。あらすじはWikipediaが詳細かつネタバレなしで適切です。Youtube には様々な観点から細部にわたって解説や感想の映像が出ています。それぞれ面白いのですが、とくに興味深く思ったのは、英国公開での感想で、『ALWAYS 三丁目の夕日』も是非観るべき、というおそらく英国人女性の意見に出会ったことです。確かに全体のテイストはよく似ています。この映画のシリーズにも泣かされました。血のつながりのない者同士が寄り添い、紆余曲折を経て家族になっていくストーリーは共通です。『ゴジラ-1.0』が100%ハッピーエンドといって良いか迷いますが、とりあえずは一件落着、笑顔で終わった点も同じ。実は翌日、購入してあった『ALWAYS 三丁目の夕日』のDVDを夫婦で観ました。高度経済成長期真っ只中の市井に暮らす人々を描いたほのぼのとした良い映画です。VFXが当時の東京の街並みや暮らしの様子を描き、そのリアルさに驚いたものです。『ゴジラ-1.0』がその延長上にある作品であることは確かです。日米アカデミー賞をはじめ世界中の様々な映画賞を受賞した『ゴジラ-1.0』ですが、私が特に気に入ったのはシアトル映画批評家協会賞の悪役賞をゴジラ自身が受賞したことです。悪役あってのヒーロー・ヒロインですから、とても適切な受賞だと感心しました。米アカデミー賞といえば、授賞式でのアジア人への人種差別が話題になりました。その内容はともかく、米国内での感情的で過敏な反応が気になります。かえって人種のみならず性や思想・宗教の差別を煽る結果になることを恐れます。世界を滅亡させる「パンドラの箱」を開いた天才科学者を描いた『オッペンハイマー』が今回の米アカデミー賞の焦点でした。原爆をテーマとする作品が米アカデミー賞で日米二つ同時に受賞したことの「共時性」が、単なる偶然ではないように思われます。それを考えるよすがとして、3月29日から日本国内で封切りされるという『オッペンハイマー』は必見だと感じています。『ゴジラ-1.0』の細部を確認したいのもあって、また観る時は評判のモノクロ版にしようと思っていますが、今のところ上映館がTOHOシネマズ日比谷だけのようですね。今後どうなるかは分かりません。映画づいてしまいました。
その年1990年の12月と翌年1月には小澤さん指揮によるベートーヴェンの第九が待っていました。成城合唱団としてはほぼ毎年の第九でレパートリーになっていましたので、練習はさらりとしたもの。私自身もアマチュア時代に札幌交響楽団の依頼で2年ほど合唱指揮を担当した経験があったので、まずまず破綻なく本番を迎えることができました。年があけて、成城合唱団では次の公演:井上道義氏指揮グノー「聖チェチリアのための荘厳ミサ曲」の練習が始まりました。井上さんも成城学園出身です。このところ、2014年1月、日本経済新聞に30回にわたって掲載された小澤さんの「私の履歴書」を再読しています。断片的・部分的には伝え聞いていた小澤さんの履歴ですが、改めて通読すると小澤さんの活躍の広がりと急速な発展ぶりには驚嘆します。 1983年:成城合唱団 バッハ「マタイ受難曲」(東京カテドラル) ☆征良さんと共演実現以下、1990年を起点に年表風に並べてみます。※成城合唱団は小澤さん指揮の演奏会のみ掲載。1970年~1976年:サンフランシスコ交響楽団 1973年~2002年:ボストン交響楽団 1987年:サイトウ・キネン・オーケストラ スタート1990年:水戸室内管弦楽団 スタート 1990年:成城合唱団 ブラームス「ドイツ・レクイエム」 ベートーヴェン「第九交響曲」(森のオーケストラ) 1992年:サイトウ・キネン・フェスティバル松本 スタート 1993年:成城合唱団 ベルリオーズ「ファウストの劫罰」 ☆征悦くんとの親子共演実現 1995年:成城合唱団 マーラー「復活」 ☆キャスリン・バトルを迎え長崎公演 1996年:成城合唱団 フォーレ「レクイエム」 ☆神奈川フィル(横浜・沼津) 1997年:成城合唱団 バッハ「マタイ受難曲」 ☆人見記念講堂・パルテノン多摩 1999年:成城合唱団 モーツァルト「戴冠式ミサ」 ☆秦野市文化会館・ひこね市文化プラザ2002年:ウィーン歌劇場音楽監督 就任(~2010) 2002年:成城合唱団 モーツァルト「レクイエム」 ☆三重県文化会館・横浜みなとみらい 2005年:成城合唱団 フォーレ「レクイエム」 ☆広島県立総合体育館(小澤音楽塾オーケストラ) 2008年:成城合唱団 ベルリオーズ「ファウストの劫罰」 ☆パルテノン多摩・人見記念講堂私が常任指揮者に就任してから2008年までの18年間で、小澤さんの指揮する10回の公演に関わりました。ほぼ2年に1回の演奏会です。成城合唱団はもちろん、私にとっても夢のような18年間でした。しかも、1992年の第一回から毎年サイトウ・キネン・フェスティバル松本を楽しんできたのですから、至福の時代といっても過言ではありません。
成城合唱団における私の最初のミッションは、ブラームスの大曲『ドイツ・レクイエム』でした。成城合唱団はその成立ちの経緯から、オーケストラ付き合唱作品を主たるレパートリーとして演奏活動を続けてきましたが、『ドイツ・レクイエム』はこの時が初めての取り組みです。ラテン語のテキスト(ミサ典礼文)で作曲された一般的なレクイエムとは異なり、『ドイツ・レクイエム』はマルティン・ルターが翻訳したドイツ語の聖書からブラームス自身が選んだ詩句を用いたレクイエムです。全7楽章からなる長大な構成(演奏時間:約1時間15分)で、すべてに合唱が関わり、その出来が演奏の評価を大きく左右するといった、合唱団にとってはアンサンブルの技量と心身共にスタミナが問われる難曲です。一番の課題はドイツ語でした。ハイドンの『四季』『天地創造』バッハ『マタイ受難曲』など、歌う側、聴く側が内容を理解しやすいようにと日本語訳詞での演奏をポリシーとしてきた成城合唱団は、ベートヴェンの第九交響曲を除いてドイツ語での歌唱経験があまりなく、特に若い団員にとっては難物だったのです。読譜はもちろん、合唱団全体がよどみなくドイツ語で歌えるところまで鍛錬することが合唱指揮者としてのミッションです。譜読みが一通り終わった頃でしたか、小澤さんが練習を見てくださる機会がありました。私はてっきり小澤さんご自身が合唱の指導をなさるものだと思っていましたが、発声練習後、そのまま私が一曲目から振って小澤さんはそれを見守る形で進行しました。全曲通した後、合唱団へ若干のアドヴァイスをされて練習は終了。私に特にコメントはなく、一番気になる私の合唱指揮者としての適否についてはわからずじまいでした。何も指摘がないこと自体が小澤さんの指揮者としての厳しさと受け止め、本番指揮者と合唱指揮者の関係性をひしひしと感じました。後にも先にも小澤さんの前で指揮をしたのはこの時だけでしたので、まさしく私のテストだったのです。今日まで続けてこれたので一応は合格だったと勝手に思っているのですが、結局小澤さんには伺わずじまいでした。私を常任指揮者に推挙し、何かとバックアップしてくださった成城合唱団の重鎮Kさんと奥様から、後に、小澤さんが「彼は当たりだね」とおっしゃっていた旨お聞きしました。(当時使ったドイツ・レクイエムの楽譜。メモ書きがさすがに多く、使い込んだ形跡が各ページに残っています。)私はこのブログの初めから「小澤さん」と呼んでいますが、それは仕事とプライベートの間にある厳しさと親しさのギャップや乖離を、たとえば「小澤先生」という呼び方では表現できないと感じるからです。歌手として小澤さんの前に立つときは、厳しいというより温かく励ましてくれるメンターのようでしたから、雰囲気にギャップはありませんでした。しかし、対合唱指揮者となると表情が変わります。合唱団の古手の男性の団員たちは「セイジ」と呼び捨てで、女性の多くは「セイジさん」と呼んでいました。そのフレンドリーな雰囲気の中で、どうお呼びしたらよいか、いつも少し迷いました。何故なら、小澤さんと私の音楽を創り上げるプロセスでは、間柄は師弟ではなく、あくまでも本番指揮者と合唱指揮者です。問わず語らずの中で、音楽の仕事の厳しさを示してくださったのだと思います。私は心の内では小澤さんを師として、練習や本番での言動と後ろ姿から実に多くのことを学びましたが、それは「私(ひそかに)淑(よしとする)」ということでした。1990年10月、3年近い練習期間を経て、関東各地で4回の公演を行いました。小澤征爾指揮:新日本フィルハーモニー交響楽団 Sop.斉田 正子 Bas.多田羅廸夫 成城合唱団演奏会本番での合唱指揮者の仕事は、カーテンコールで小澤さんに呼ばれてソリストたちと一緒に舞台でお辞儀をすることくらいです。「容易ならざる光栄」(室生犀星の詩「あさきよめ」より)でした。
ご近所2か所の河津桜です。なかなか良い天気に恵まれませんでしたが、何とかカメラに納めました。そして、お内裏様それにしても、いつまで飾るんだろう。孫は男の子ばかりで、引き継いでくれる宛てはこれからもなさそう。といって、一年に数日のお出ましでも、無くなったら多分寂しいだろうな。ま、しばらく片づけないで、行く末を考えながら眺めていましょうか。
1985年9月、小澤さんはベルリオーズ『ファウストの劫罰』で、征悦くんとの親子共演を実現しました。 小澤征爾指揮:新日本フィルハーモニー 合唱:成城合唱団、成城学園初等学校合唱部成城学園五十周年記念講堂(現澤柳記念講堂)でのカーテンコールそして同公演で私はブランデル役を歌わせていただきました。小澤さんに出会えたからこその僥倖、それ以外の何ものでもありません。左端が小澤さん、私は右から2番目、一番右は木村俊光氏振り返ってみれば、以下のように1985(昭和60)年はその後の人生をほぼ決定づけた年と云って良いと思います。・成城学園初等学校音楽専科非常勤講師(4年目)契約更新・成城短期大学《音楽実習》講師拝命・東京農工大学・女子美術大学混声合唱団常任指揮者就任成城学園との縁が深まっていくのが感じられます。また、合唱指導機会の広がりも予感します。『マタイ受難曲』と『ファウストの劫罰』の児童合唱の指導を通して、成城合唱団とも親交を深め、1985年の後半くらいからヴォイストレーナーとして、時々練習に参加するようになりました。1987年のヴェルディの『聖歌四篇』の公演(小澤=新日フィル)では東京混声合唱団、成城合唱団に交じって合唱に参加しています。1988年、長年成城合唱団の指導を続けてらした宮本昭嘉氏(東京混声合唱団指揮者)の退任に伴い、常任指揮者に就任しました。それ以前から指揮者不在時などに代役を務めておりましたので、一時の穴埋めのような感覚でスタートしました。就任のご挨拶のため、小澤さんの成城のご自宅へ伺いました。普通の日本家屋とは異なるヨーロッパ調の広々としたエントランスホールで、にこやかによろしくとおっしゃる小澤さんに、何かモゴモゴとご挨拶したような気がします。学校や演奏会などで度々お目にかかっていましたが、この時初めて「世界の小澤」のオーラをひしひしと実感したのだと思います。私の指導した結果を受けて、小澤さんが直前の数回の練習で本番を迎えることになるので、責任の重大さは云うまでもありません。私が成城学園に骨を埋めることを密かに決意した瞬間でした。
1982年4月、成城学園初等学校の非常勤の音楽教師になりました。確か週3日の勤務で、課外活動の合唱部の指導も職務のうちでした。成城学園についての予備知識はほぼ皆無でしたので、学園全体の個性的な気風には驚くことが多かったことを覚えています。初等学校は特に変わっていました。実験研究学校を標榜し、「散歩の時間」「遊びの時間」「劇の時間」などが正規の授業として実施され、年間3回開催される「劇の会」など他校にない行事が多種行われていて、田舎の公立育ちの私にはかなりのカルチャーショックでした。専科の音楽教育も一風変わっていて、「音楽の会」が年に2回あることも驚きですが、入学式・卒業式がほぼ子どもたちの歌で進行する斬新さにはいたく感動しました。一方、戸惑ったのは歌唱時の発声で、ほぼ地声が推奨されていたことです。頭声的な発声を是として初等音楽教育を学んできた者としては、子どもたちをどう指導したらよいのか。そんな板挟みを切実に感じたのは、成城学園の卒業生をメンバーとする成城合唱団から、マタイ受難曲の子どものコーラスを初等学校の合唱部で、というオファーがあったからです。しかも翌年の2月の演奏会で、と。同期に着任した西谷さんと途方にくれて顔を見合わせました。発声はどうしたらいいんだろう。この演奏会の仕掛け人は小澤征爾さんでした。当時、お嬢さんの征良さんが5年生、征悦くんが3年生に在学しており、マタイ受難曲でのお嬢さんとの共演を熱望していたのです。子煩悩な小澤さんは帰国するたびに学園を訪れ、時々ふらりと授業を見に来るといった具合で、私が担当していた征良さんの音楽の授業にも2、3度、それも突然いらした記憶があります。評判通り気さくで腰の低い偉ぶらない方で、若輩の二人の音楽教師に「指揮者も色々いて、オケの音を聴いていないのもいるんですよ」 ―ーえっ?何を聴いて指揮してるんですか?「自分の頭の中で鳴っている音ですね」こんなお話をして下さったことをよく覚えています。その時は、指揮者は今鳴っている音をよく聴くべしというアドバイスとして受け止めましたが、ことはなかなか深遠で、自分では何も音を出さない指揮者が自分の求める音楽をどのように表出するのかという観点から、ただよく聴くだけではスコアをなぞるだけの演奏になりかねない、と、指揮者ならではの課題をおっしゃったのではないかと、今になって思ったりします。小澤さんと私は、保護者とお子様の担当教師、本番指揮者と合唱指揮者、指揮者と歌い手、の3通りの関わり方が交錯しながらこの40年余を過ごしてきました。素晴らしい40年間でした。だが申し訳ない40年間でもありました。少なくても、小澤さんがいらしたから今の私があることは確かです。2024/2/11 旧ミュージックホール 成城合唱団定期練習小澤さんの遺影をピアノに飾り、黙禱とフォーレのレクイエムのアニュス・デイを歌いました。小澤さんの死去によって私の中にポッカリとできた空洞を、このようなささやかな想い出で、少しですが、埋めようと思います。
映画『PERFECT DAYS』の中の特に印象に残ったシーンで、普段寡黙な平山さんが笑顔で姪に、珍しく断言するように言った「こんどはこんど、今は今」という言葉が、ロードムービーと評されるこの作品の真髄だと胸落ちしました。番組等映像作品の構成・演出業であり、若いころからヴィム・ヴェンダース監督の作品を観てきた映画評論家の荻野洋一氏のコラムを読んで、この言葉の意味するところをより明確に捉えることができたように思えます。氏の《“客人”の映画作家ヴィム・ヴェンダース “スランプ”を経て『PERFECT DAYS』に至るまで》と題したコラムから引用します。“客人”の映画作家ヴィム・ヴェンダース “スランプ”を経て『PERFECT DAYS』に至るまでヴィム・ヴェンダース監督が100%日本資本のもと全編東京ロケを敢行した『PERFECT DAYS』(2023年)が、日本映画として米アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされた。3月10日の授賞式でもし受賞を果たすと、濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』(2021年)以来2年ぶりの日本映画受賞となる…realsound.jp 筆者(荻野洋一氏)は文頭でもヴェンダースがつねに「客人」であることに意識的な映画作家だと述べた。 その「客人」たる資質が十二分に発揮されたのが、今回の『PERFECT DAYS』ではないか。本作の最大のテーマである「木漏れ日」にしてもそうだが、すべては過ぎゆくかりそめであり、責任を取ろうにも振り返る間もなく事物はあっというまに後ろへ去っていってしまう。主人公に何人かの人々がからんでくるが、結局のところ彼らは主人公の横を通り過ぎたにすぎない。主人公もセンチメンタルになるのはその当日の晩までであり、次の朝にはカラッとして前だけを見ている。あらゆるノスタルジーがこの無粋な男からは抜け落ちている。彼の視界ではバックミラーは黒く塗りつぶされている。 (中略) 『PERFECT DAYS』における首都高速の異様な光景も、東京スカイツリーの変な形状も、いくどとなく自転車で渡る桜橋も、隅田川の美しい水景も、『まわり道』※の水路と同じである。日本財団のしかけたトイレ事業はこれらの光景に比べれば、何者でもない。主人公の役所広司はこれらのトイレで用をたすことさえしないだろう。これらのトイレたちも過ぎゆく「客人」の往来する雑踏の変種にすぎない。 ※ヴェンダース監督のロードムービー作品(1975年製作)平山さんの朝起きてから寝るまでの毎日の行程は判で押したように定まっています。場面の現場が移り変わっていくというロードムービーの特徴は備えていません。それなのにロードムービーの味わいを感じるのは、平山さんがおそらくは敢て選んだと思われる孤独な暮らしから生じるささやかな波紋と一期一会の日々が、美しい光景とともに丁寧に描かれているからでしょう。「一期一会」という言葉の意はもう二度と出会えないということです。 (白鷺に出会いました。ここでは初めて。白鷺はちょっと嫌がってましたね。寒い日だったので、岸に上がって暖を取っていたのでしょう。邪魔して悪いことをしました。)ヴェンダース夫人はインタビューで「平山はヴェンダースそのもの」と語っています。荻野洋一氏のいう「客人」とは過去に囚われず、他者とのしがらみに縛られずに生きる人々のことを指していると思われます。こんどはこんど、今は今、と未来の自分を縛らない気ままな暮らしが「客人」の特権です。「客人」は何ものにもとらわれないことを決意した人です。しかし、迷うでしょうし、揺れもするでしょう。ですから迷いや揺らぎの種を少なくするために、生活はシンプルにならざるを得ないでのです。(散歩コースの農家のお宅の白梅)「身も心も軽くなって、旅をしているような新鮮な心で毎日を送りたい。」この映画に共感し、感動した人たちは、こんな風に思ったのかもしれません。「80歳くらいまで生きるとして、あなたの人生は、たった4000週間だ。」という文章ではじまった『限りある時間の使い方』というオリバー・バークマンの著書を思い出しました。慌てて計算して私の残された時間がたった250週くらいだと知った時、私は数ページをペラペラながめてから、この本を読み続けることをやめてしまいました。もっと優先順位の高いことに専念したいからです。(蠟梅:割と地味な存在ですが、この日この時間は青空の元、美しく愛らしく咲いておりました。)
ガジェヴィスタの分も多少は配慮してメニューを考えるんだけど、明後日分までとなると、まあ、元気が続きません。しかも、ほとんど自分の食べたいもの中心なので、もうワンパターンになりかけている。ウイークデイはほぼ家にいるから、朝昼夕食のメニューを考えなければならないのです。朝:薬を飲むために食べる⇒パクっと食べられるパンかバナナあたり ・ゆで卵が理想だけど前夜作り忘れる ・レーズンパンが好き(干しブドウがたくさん入ってるやつ)昼:昨夕の残りを食べる⇒残りご飯はわりとチャーハンにしちゃう ・卵は必須(目玉焼、オムレツ、スクランブルドエッグ等) ・納豆、漬物、佃煮、など ・そこに前日の残り物の肉か魚、煮物、味噌汁など ・麺類は案外少ない(蕎麦好きだけど)夕:翌日の昼食分を併せて作る⇒タンパク質は欠かせない ・肉⇒魚⇒肉の繰り返しになりがち 肉は豚肉多い、というより好き(バラ肉か肩ロース)【1/22 かつカレー・コールスローサラダ】※北海道から男爵イモを送っていただいたので、ジャガイモシリーズの夕ご飯メニューです。【1/22 おでん・ハンバーグ和風ソース】 ・ガジェヴィスタは鶏肉好きじゃないって(今日まで知らな かった!)新総料理長は案外好きなんだけどね、安いし ・ホッケの開き、鮭(生・塩)、シシャモ、たら、など やっぱり北の魚が好きかな、美味いニシンが食べたい!【1/24 ポテトサラダ・豚バラ肉温野菜サラダ】【1/25 ポテトグラタン・プルコギ】 ・味噌汁(鍋の日は別だけど)はいつもほしい 具を考えるのが面倒、豆腐、油揚げ、大根、ニンジン、わかめ、 なめこ、小松菜、玉ねぎ、長ネギ、くらいかな 味噌は白味噌派だけど、ガジェヴィスタのおかげで赤も【1/26 ベークドポテト・鳥もも肉のバター醬油ソテー】 ・サラダ&/or温野菜も常に サラダドレッシングはチョレギと胡麻がメイン(なんにでも) ポテトサラダ大好き(自作が一番だけど、出来合いもよく買う) キノコのガーリック炒めやもやし炒めはよくやるね 豆腐やがんもと根菜の煮物は好きだけど、あんまり作れてない 夏の冷ややっこは欠かせない(要するに大豆製品が好き)【1/28 ジャガ細切り中華炒め(サンラートースー)・豚しゃぶ】 ・そもそも、酒の肴を想定したメニュー多し、季節関係なく ビール、それもほとんど発泡酒(〇麦の青缶)ばかり 総料理長なのに、私はどうも味わいで飲むというより ゴクゴクと喉ごしで飲みたいタイプなんですね 赤ワインも好き(やっぱりややゴクゴク飲むほうかな) でも、家飲みは美味しく食べるために飲むって感じなので、 おなかがくちくなったらおしまい、悪酔いなしデス【1/29 おでん・簡単エビマヨ(気に入った!)】 男爵が残り少なくなってきたので、このシリーズはおしまい