「音楽は言葉。特別な言葉といえるでしょう。

音楽は純粋な音の言語であり、音は言葉の前に生まれました。音楽の起源は遥か昔に遡り、言葉とは直接関係のないところから来ています。それでも音楽はいかなるフィルターを通さずに、私たちの心に深く響きます。今の時代は時間がどんどん制限され、私たちは沢山の言葉を話し、読み書きする様になっていますが、純粋な音の世界に近づくのは必ずしも簡単ではありません  

 

音の前には静寂があり、光の前には闇がありました。私はこれからみなさんに2分間の静寂を体験して頂きたいと思います。自分自身との繋がりを取り戻し、心にやすらぎをみつけ、音楽を最高のかたちで受け取ることができるようにするためです。

この音楽の旅があなたにとって素晴らしいものとなることを祈っています。それではどうぞみなさん目を閉じて2分間の沈黙をご体験ください。」

 

アレクサンダー・ガジェヴくんのリサイタルの前に行われる「静寂のセレモニー」に先立って、ガジェヴくん自身からのメッセージのことばです。

昨年9月8日の浜離宮朝日ホールでのリサイタルで初めて披露したこのセレモニーは、今回の日本各地でのリサイタルでも行われたようです。ヨーロッパでのリサイタルで同様のセレモニーが行われているかどうか寡聞にして知りませんが、間(マ)を大事にしてきた日本人の精神性に合致した導入だと感じました。

 

・音楽は純粋な音の言語であり、音は言葉の前に生まれました。

・音楽はいかなるフィルターを通さずに、私たちの心に深く響きます。

 

私がすぐに思ったのはショパンの音楽のことです。ピアノの詩人と称されるゆえんはガジェヴくんのことばに尽きています。言葉の具象性はないけれど、森羅万象とそれらを受け止めて感じる心の機微や湧いてくる感情が音楽によってつづられ、フィルターなしで心の奥底まで響く。それだけなら他の作曲家の作品にも言えることですが、私が特にショパンに言葉としての音楽を感じるのは、旋律の造りが「歌」のように感じるからです。ショパンは声楽作品をほとんど残していません。それはピアノ一本で存分に《歌い上げる》ことができたからではないでしょうか。詩はむしろ邪魔だったのかもしれない。

 

ショパンのメロディが「歌」のように感じる理由は2つあります。

まずはそのフレーズです。

フレーズとは旋律の一区切りを指します。声楽的にはブレスから次のブレスまでの一まとまりを一般的にひとフレーズとしますが、作曲者・演奏者の解釈によって異なります。ショパンの場合はピアノであってもブレスとして捉えるべき区切りが数多くあります。逆にいえばちゃんとブレスを感じて弾かないとショパンにならない。

2つ目は装飾的な旋律です。

声楽においてメリスマと呼ばれる1音節に複数の音をあてる手法を思わせる類似や日本のこぶしのような装飾音符は旋律の特性と合わせて「歌」を感じさせます。なによりメロディを口ずさみたくなること自体、歌唱的なフレーズの証拠です。

 

アレクサンダー・ガジェヴくんはイタリア生まれのせいか、歌が彼の音楽の根底にあるように思います。フレーズの持って行き方やtempo rubato、間の取り方などに「あぁ、この人には歌心があるな」と思わせるものがある。聴いていて彼の創り出す音楽の流れに安心して身を任せることができる。おそらく私の「歌心」と相性が良いのでしょう。

 

ガジェヴくんはまた、ショパン同様音楽で自身の世界観や生命観を歌うことができるピアニストであり、加えて演奏に美学・芸術論・哲学思想までも込めることができるピアニストです。そしてそれらを言葉として伝えることができる思想家でもある。

いずれ彼は、音楽論をテーマにした本を著すことになる、と私は期待しています。彼の地政学的・文化的出自から考えても、読み応えのある1冊になると確信しています。

 

 

稀代のバリトン歌手:ディミトリ―・ホロストフスキーと新世代のピアニスト:アレクサンダー・ガジェヴの2人は、私の内なる「歌」と呼応して、コロナ禍の中で未来への希望と生きがいを私に与えてくれました。ホロストフスキーには歌う喜びを、ガジェヴには音楽の深さを教わりました。

乾きつつあった心に水を与えてくれたこの出会いに感謝します。

 

 

自戒のため、詩人茨木のり子さんの作品を掲載します。

 

自分の感受性ぐらい

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性ぐらい

自分で守れ

ばかものよ