突き詰めて行くと、自分の音楽の核をなしているのは「歌」であることは確かです。

ピアノや他の楽器に親しむような環境にはなかったから、歌の好きな両親や叔父の影響で、専ら歌謡曲やミュージカル映画などのナンバーを聴いたり口ずさんだりする子ども時代でした。

加えてウィーン少年合唱団風なボーイソプラノだったので、学芸会でソロをしたり、新聞社主催のコンクールに出場したり、「歌う」という面で多少目立っていたかもしれません。

 

高校で合唱活動に足を突っ込んだことがきっかけで、後に声楽を志すことになるのですが、歌そのものにのめり込んだ末、というより、人より多少良い声帯を持っていたので、手っ取り早く音楽で食っていくための近道になると考えていたふしがある。

 

そのため演奏家のメンタリティが不足していた。何より人前で歌うことに喜びを感じないのです。何かしらのナルシズム・自己陶酔が伴わなければ、いい歌など歌えないはずです。大学院修了時の面談で、I教授がいみじくも「あなたは教える側の方が向いている」とおっしゃったのは図星だったのでしょう。それは演奏家としての熱の欠如を見抜いてらしたのだと思います。

 

で結局私は教員になりました。その傍ら、合唱指導にも携わり、子どもたちの音楽会や合唱団の演奏会に追われながら、あっという間に数十年が過ぎました。その間多少は歌も歌いましたが相変わらずのめりこむことなく、自分の歌の録音を聴くのも好きになれませんでした。

 

リタイアしたころから、私の心境に変化が起こりました。合唱団の一員に復帰して歌うようになってから、肩の力が抜けてきたのです。大学のグリークラブで好きなように歌っていた頃の闊達な気分がよみがえってきました。そうだそうだ、これからは好きな歌を好きなように歌おう。そう心底思うようになり、以前より研究したかった発声法を合唱の練習をしながら試したり、歌うことを大いに楽しむようになっていったのです。

 

しかし、せっかくよみがえった歌う喜びが、今度はコロナによって奪われてしまいました。

その無聊の日々を慰めるためYouTube検索していた時、あるバリトン歌手に目が止まりました。

ディミトリー・ホロストフスキーです。彼については以前ブログで紹介しております。

 

 

なんといっても声が素晴らしい。そしてそれが一番大事なことなのですが、彼は歌うことが大好きなのです。聴いていて爽快なのは、素晴らしい声で嬉々として歌う彼の様子がこちらに伝わるからです。それが如実に表れている演奏動画がこれです。

 

 

私は宝箱を見つけた思いでした。あんな声は出せる訳はないけど、たのしく歌う境地には近づけるのではないか。とにかく無性に歌いたくなりました。

ホロストフスキーはロシア民謡は当然として、なぜかカンツオーネやイタリア民謡も好んで歌っている。声域的に近いのでイメージもつかみやすい。伴奏譜を作成したりして何曲か挑戦しました。

 

私の「歌の旅」の案内人は勿論ディミトリー・ホロストフスキーです。彼はもう55歳で亡くなっていましたが、たくさんのマップと羅針盤を残してくれている。それを辿りながら、私は自分なりのペースで歌の旅を続けたいと思うのです。

 

ホロストフスキーを発見したちょうど1年後、今度はピアノの思想家と呼びたいような異色のピアニストに出会うことになります。

(②に続く)