こんにちは😃


今日は旦那様が3泊4日の入院生活をおえて帰ってきました。



入院するのは高校生の時ぶりだったらしくって「ずっと寝てる病院生活はつらいなぁ💦」
自分が経験して人の痛みが初めて理解できるんだろうね。
術後に自由に動けないのがしんどかったみたいです。


人として一つレベルが上がったね😂アップ






夕刊を読んでいたら目に入った記事



やまゆり園の事件です。まだ記憶に新しいのに4年も経つなんて。




この記事を読んでいて思い出したことがあります。
それはけいくんの発達の遅れに気付いたばかりの頃の話です。18年ほど前の話です。



通っていた療育センターの隣に成人の知的障害のある方の入所施設があります。
その施設から毎日定時になるとゾロゾロと人が出てきます。


知的障害のある人と職員らしき人の団体様。

15人くらいかな?


どうやらお散歩の時間のようです。

でも私の知ってるお散歩とは違って話し声もや笑い声も聞こえてこない。


聞こえてくる声は「危ないよ」「もっとこっち」「そっちには行かないで」など職員の注意する声ばかり。


その光景は今も目に焼き付いています。


全然楽しそうじゃないお散歩。
お散歩というよりもただ歩いているだけって感じ。



その施設でお祭りがあったので、参加してみました。
その日は残念ながら雨で外ではなくて施設内でのお祭りになりました。


古い建物なので陰湿な雰囲気が余計恐怖をあおりました。(今は新しい建物も立ちました)



学校のような建物で薄暗い感じ。



時々、部屋から聞こえてくる叫び声や走る音や壁を叩く音。
時折見える入居者さんの姿に私は強い衝撃を受けました。




そして、怖くなりました。





私の中の恐怖心が余計におどろおどろしく見えたのかもしれないですが、まだ知的障害というものをよくわかっていないときだったので本当にショックだったんです。



着ている服もジャージやスエット。みんなおんなじように見えました。




そんな姿をみて思わず療育センターの先生に聞きました。


「うちのけいくんも将来彼らのようになるのですか?施設で暮らすのですか?」



私は怖くて仕方ありませんでした。
その場所が刑務所のようにも見えたのです。(刑務所も見たことありませんが)
※現在はかなり改善されて小ユニットになったり明るくって温かみのある施設もたくさんあります。




先生はちょっと微笑みながら優しく答えてくれました。

「だから小さい頃から通える療育センターを作ったのよ。そして、みんなにいろんなこと経験してもらうのよ。お母さんも子供たちもね。彼らは小さい頃教育も十分に受けられなかった人もいるの。お家の中だけで過ごしたりおうちの事情でここで暮らす人もいるんだよ」



その言葉を聞いて少しほっとしたような気持ちになりました。


『療育していけばきっと大丈夫』

それから必死で療育をしました。
本当に必死。無我夢中と言ってもいいくらい。



けいくんには楽しく暮らして欲しい。
笑っていて欲しい。


そんな思いでただただひたすらに無我夢中でした。



でも、療育だけではだめなんです。
療育は決して障害のある子の障害をなくすことではなくて、その子の生活を少しでも豊かにしていくためのもの。



私は療育を勘違いしてました。
 

療育=特訓や訓練みたいに思っていたんですね。


それに気がついたとき、ようやく肩の力が抜けました。


目の前のこの子ととにかく一緒にいてよかった、楽しいと思えることをいっぱいしようって思ったんです。



それからは私が楽しいって思うことをどんどん巻き込んでやっていきました。
あちこち出かけて、いろんなグループに入っては顔出して、一緒に遊んだり、なんかのイベントがあれば積極的に参加してました。


そのおかげでたくさんのお母さんたちや友達に会うことができましたラブ





その時間は今でも宝物です!


何かするって本当に勇気が入りました。
知らない人と会うことや一緒に出かけたり遊んだりすることもいつもいつも毎回「えいや!」って勇気を出していました。




そのおかげでこんなに笑顔溢れる瞬間もたくさんありましたデレデレ(5年前くらいの写真が出てきましたドキドキ




笑顔があるって、楽しいって、やっぱり大事だし、みんな本当に暖かいハート




たとえ離れて暮らすことになったとしても、安心できる場所で自分の思いをちゃんと伝えられて、みんなと笑顔で過ごしてくれるならそんなに嬉しいことはない。



施設がいいとか、悪いとか。
そんな単純なことではないんだよね。
施設が必要なこともあるし、別に施設に入ったから不幸なわけでもない。今は素晴らしいところもたくさんあります。



かえって親元にいた方が不幸な場合もある。



だからどっちかを否定したり批判するつもりもないけど、やまゆり園の事件をしって、やっぱり施設は嫌だなぁって思ったのが本音。




この記事にも書かれているけど、
「歩けなかった人が今は別の施設で軽作業している」

とのこと。


そう、対応の仕方や環境でやっぱり変わるんだよね。


障害は障害としてともに生きていくけど、外的要因の方が多いと思う。


イライラしたり怒りっぽかったりするのも、そこにはやっぱり何か原因があるんだよね。



それを障害者だからとか、入所してるからとか、支援を受けているからとか関係なくて、ちゃんと人としてこの子を見たときに、いろんな感情が出るのは当然なんだよね。



それが出せる場があるっていうのはある意味幸せなのかもしれない。



施設に入所している人は最初は暴れたり好き勝手やったりする人もいても、そのうちその環境に慣れたり、諦めたりして騒がなくなったりもするらしい。人手がないこともちゃんとわかってたりする。



そのかわり生き生きした姿は見られないのかも。



もし、私があのとき、あの施設で目がキラキラした人をみていたら考え方も変わったかもしれない。



最近の施設はだいぶ変わってきたようでお祭りとかにいくと、ニコニコしている人もいるし、楽しそうな人もいる。


だから一概に施設が嫌ってこともないんだけど、でもやっぱり今もあの光景が目に浮かんでしまう。




できることならけいくんが「楽しい。また行きたい」と思えるところであって欲しいなと思う。




我が子に幸せに暮らして欲しいと思うことは贅沢なことなんだろうか?
そう願うことはわがままなことなのだろうか?



わがままでも贅沢でもいい、私はやっぱりけいくんには楽しく、けいくんらしく過ごしてもらいたい。


そのためにできることをやっていく。やっぱり諦めたくないから。





多くの命を犠牲にしないとみんな知らなかったこと。

多くの尊い命が犠牲になって初めて動き始める。



今、国は大規模施設ではなく、小規模のグループホームを推進している。地域へと移行している。
建物の問題もあるかもしれないけどやっぱり一番大切なのは「人」なんだよね。




そんな人たちにこれからもたくさん出会っていきたいなぁと思います。






やまゆり園の事件で被害にあって亡くなられたり怪我をされた方。そして、たくさんの人が傷つきました。


この傷はこれからも先癒えることはないかもしれないけど、これからそんな悲しい思いをする人が一人でも少なくなりますように。


ご冥福をお祈りします。


決して忘れてはいけない出来事だと思います。