ブレーメンのWalle地区にあるStolper Stein 躓き石です。「つまずきの石」プロジェクトは1995年から始まり、2004年からはブレーメンを含むドイツと他のヨーロッパ諸国におけるナチスの暴虐の犠牲者を記念しているものです。歩道に埋め込まれたブロックには、ナチスの暴君の犠牲になったユダヤ人や同性愛者、政治的に迫害された人々の名前と誕生日、そしてなぜその人が死ななければならなかったのかが刻まれています。少し盛り上がっているため、足に引っかかることが多く、その都度、歩みを止めてその石を見つめて「ユダヤ人大虐殺」の惨事を考え、黒い歴史が風化しないようにしているものです。
ブレーメンには、782カ所もの躓き石が設けられているそうです。ヨーロッパでは、1千3百カ所以上にあり、このような記念ブロックは7万個以上埋め込まれているのだとか。
さて、11月9日は「ポログロムの夜」と呼ばれて、今から80年以上も前のこの日、ドイツでユダヤ人の大虐殺が始まった日です。
市内の躓き石には、献花が…。
1938年11月9日から10日にかけての帝国ポグロムの夜には、ドイツ全土でユダヤ教の礼拝堂シナゴーグが破壊され、ユダヤ人の商店や墓地がナチス党によって襲撃され火が放たれました。数何千人ものユダヤ人が虐待され、逮捕され、殺された日なのです。
10×10×10cmのコンクリートブロックの「躓き石」には、真鍮のプレートが付けられ、かつて犠牲者が住んでいた家の前の舗道に埋め込まれています。
私が祈りを捧げた場所はブレーメンのWalle地区にある石です。
刻印されている名前から、インターネットで情報を検索すると、彼らユダヤ人家族の不条理に終わった人生を思い描くことが出来ます。
レベッカ・フックスさん女性、そしてその家族の躓き石です。
ユダヤ人のフックス家は、WalleのVegesacker Straßeで葉巻屋を営み、店の隣には小さなアパートがあり、子どもはいなかったものの夫婦仲睦まじく暮らしていたそうです。ご主人のサミュエルはタバコ製品を訪問販売し、妻レベッカは石鹸製品を近所で売って、細々と生計を立てていました。天気の良い日には、お客さんと店の外で、いつもおしゃべりに花を咲かせていたという回顧録もあるそうです。
サミュエル・フックスは白髪でスリム、レベッカ・フックスは背が低くふくよかな女性だったと、かつての隣人は話しているとのこと。彼らは敬虔なユダヤ教徒で、非常に親切で、みんなから慕われていました。
ところが、ヒットラーが政権を牛耳るにしたがって、ユダヤ人差別があからさまに激しくなっていきました。サミュエル・フックスは1938年11月9日/10日の帝国ポグロムの夜に逮捕されました。近所の人が暗闇の中で60歳近い彼を発見し、彼は「ほとんど服を着ておらず、裸足」だったそうです。店は封鎖され、鍵は警察が没収しました。倉庫は1938年末に17リンギットで売却され、1939年1月14日、小売店と紳士服店は商業登記を抹消されました。
夫婦はしばらくの間、別々に暮らしていたのですが、1942年6月1日から、彼らは最終的にWalle地区のユダヤ人老人ホームの別棟に住むようになりました。1942年7月23日、彼らはチェコスロバキアのテレジエンシュタット・ゲットーに、1943年9月6日にはアウシュヴィッツ絶滅収容所に強制送還され、殺害されたそうです。
人間の自由と尊厳を無視し、奪い去った人類の歴史の中でも大惨事です。
中東戦争は始まって6週間となりました。ユダヤの歴史を、またもや大きく揺るがす民族の争いです。ドイツで暮らしていると、アラブ系の市民が身近にいます。私の知り合いのアラバー達は、どの人も朗らかで静かです。政治的な苦労を強いられて、ドイツにやってきたため、ヨーロッパでの自由な暮らしに深く感謝をしています。
いずれにしても、イスラエル紛争は、我々の生活にも影響を与えるできごとであり、パレスチナ人の同僚、イラン人のご近所さんの憤りを見るなり、私の平和を願う心は強まるばかりです。躓き石を前にして、命を奪われたユダヤ人の、そしてガザの犠牲者の冥福を祈りました。


