宮城県北部の大崎市で、市が資金を拠出して運営する日本語学校が開校しました。地元への定着を目指す取り組みで、農家の担い手不足を背景に、地元の高齢者からも歓迎の声が上がっているそうです。しかし、宮城県知事選挙の際には、このような案件はまったく議論に上りませんでした。やはり、「多文化共生」という耳ざわりの良い言葉のもと、実質的な移民政策が静かに進行しているように見えます。(誰も「移民」とは口にしませんが、実態としてはそれにほかなりません)。私が最も違和感を覚えるのは、次のような構図です。地元の若者には「地域のルールを守れ」と厳しく求め、それに馴染めない者はまるで“非国民”のように扱って排除する。ところが、自らの地域が疲弊し始めると、今度は「戻ってこない若者が悪い」と言い、結局は外国人労働者に頼って自らの体制を維持しようとする。そうした人々は、自分たちの行動が結局は地域の首を絞めていることに気づかないまま、「自分の代で何とか持てばいい」と考えているのかもしれません。未来を担う世代のことなど、視野に入っていないように見えます。
このまま外国人の人口が増えていけば、やがては参政権の要求など、より強い主張が出てくる可能性もあります。土地や住宅が買収され、地域が事実上の治外法権化していく懸念も否めません。大崎市が長年育んできた地域独自の文化が、外国文化と共生する形で融合していけば理想的ですが、現実的には急速に失われていく可能性が高いと感じます。文化財は国際的に高値で取引されますからね。こうして日本各地に「外国のような地区」が点在し、当初は「日本にいながら海外気分を味わえる」とマスコミが持ち上げるでしょう。しかし最終的には、それが全国に広がり、日本の伝統文化そのものが薄れていく未来が見えてきます。
地域に担い手がいないのは、東京一極集中が最大の原因です。東京が若者を吸い上げている限り、地方の人手不足は解決しません。東京に税制優遇を与えるのではなく、むしろ逆転構造をつくるべきです。地方でしっかりと稼げる仕組みを整えれば、無理に外国人を呼び込む必要はありません。それでも人手が足りないのなら、移民は東京に集約すればよい。東京こそが、理想的な「多文化共生の都市」となるはずです。まずは、宮城県がこの先どのような道をたどるのか今後を追いかけていきましょう。
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