聖ヴァレンタイン(司祭、牧師)は、
もともと菓子を配る人ではなかった。
三世紀、ローマ帝国。
皇帝は命じた。
「兵士は結婚してはならない」
家庭を持てば、剣が鈍るからだ。
国家にとって、個人の幸福は後回しだった。
それでも彼は、若者たちを結婚させていた。
密かに。
祈りと誓いだけを頼りに。
法に逆らったのではなく、命令よりも、
人が人を想うことを優先しただけだ。
やがて見つかり、捕らえられるが、助かる道は用意されていた。ローマ宗教へ改宗すれば、命は残る。
彼は、首を振った。
信じてきたものを捨ててまで、
生き延びる理由はなかった。
処刑された日。
二月十四日。
【Valentinus — February 14 —】
高潔の倫理と商業化
それは、
愛を祝う言葉になる前に、
愛のために沈黙を選んだ人の名だった。
だからこの日は、
甘いだけでは終わらない。
チョコレートの奥に、
剣より重い選択をした一人がいる。
そして、時代は流れる。
血の匂いは消え、
かわりに甘い香りが街を満たした。
バレンタインデーは、
誰かに何かを「渡す日」だと思われている。
「チョコレート」
「言葉」
「好意」
あるいは、
「沈黙」
でも私は、
この日は「自分の温度を確かめる日」なんじゃないかと思う。
渡したいと思う相手がいるか。
渡さなくても平気でいられるか。
街は甘い匂いで満ちている。デパートの特設コーナー、限定パッケージ、"想いを伝える勇気"という都合のいいコピー。
だけど、想いはいつだって、
そんなに都合よく形にならない。
伝えられなかった言葉。
渡さなかった気持ち。
受け取る覚悟が持てなかった自分。
それらは全部、バレンタインデーが
商品にもサービスにもできなかった部分だ。
カミュが言う不条理のように、
理由はないのに、心だけが動く日。
幸福かどうかは分からない。
報われるかどうかも分からない。
それでも、
誰かを思い浮かべてしまった時点で、
この日はもう、成立している。
チョコがあってもなくてもいい。
恋があってもなくてもいい。
ただ一つ確かなのは、心が少しだけ、
自分から外へ出ようとしたということ。
VALENTINE
それは贈り物の日じゃない。
自分が、まだ誰かを想えているかを
静かに確かめる日なのではないか。