思想と物語のあいだ* -3ページ目

思想と物語のあいだ*

映画や神話、社会の出来事を通して、「人は何によって定義されるのか」を考える場所。思想と物語のあいだから、生き方の輪郭を探ります。

聖ヴァレンタイン(司祭、牧師)は、

もともと菓子を配る人ではなかった。



三世紀、ローマ帝国。


皇帝は命じた。


「兵士は結婚してはならない」


家庭を持てば、剣が鈍るからだ。


国家にとって、個人の幸福は後回しだった。


それでも彼は、若者たちを結婚させていた。


密かに。

祈りと誓いだけを頼りに。


法に逆らったのではなく、命令よりも、

人が人を想うことを優先しただけだ。


やがて見つかり、捕らえられるが、助かる道は用意されていた。ローマ宗教へ改宗すれば、命は残る。



彼は、首を振った。



信じてきたものを捨ててまで、

生き延びる理由はなかった。



処刑された日。

二月十四日。




【Valentinus — February 14 —】

高潔の倫理と商業化




それは、


愛を祝う言葉になる前に、

愛のために沈黙を選んだ人の名だった。


だからこの日は、

甘いだけでは終わらない。


チョコレートの奥に、

剣より重い選択をした一人がいる。


そして、時代は流れる。


血の匂いは消え、

かわりに甘い香りが街を満たした。


バレンタインデーは、

誰かに何かを「渡す日」だと思われている。


「チョコレート」

「言葉」

「好意」


あるいは、

「沈黙」


でも私は、

この日は「自分の温度を確かめる日」なんじゃないかと思う。


渡したいと思う相手がいるか。

渡さなくても平気でいられるか。


街は甘い匂いで満ちている。デパートの特設コーナー、限定パッケージ、"想いを伝える勇気"という都合のいいコピー。


だけど、想いはいつだって、

そんなに都合よく形にならない。


伝えられなかった言葉。

渡さなかった気持ち。

受け取る覚悟が持てなかった自分。


それらは全部、バレンタインデーが

商品にもサービスにもできなかった部分だ。



カミュが言う不条理のように、

理由はないのに、心だけが動く日。


幸福かどうかは分からない。

報われるかどうかも分からない。


それでも、


誰かを思い浮かべてしまった時点で、

この日はもう、成立している。


チョコがあってもなくてもいい。

恋があってもなくてもいい。


ただ一つ確かなのは、心が少しだけ、

自分から外へ出ようとしたということ。



VALENTINE



それは贈り物の日じゃない。



自分が、まだ誰かを想えているかを

静かに確かめる日なのではないか。