患難中携挙説として紹介されたパウロ秋元氏を検索。

こちらのサイトを見つけたので、引用しつつ検証してみようと思う。

https://tokyo.antioch.jp/onsei/archive/201102w2/20110206.html

 

ヨハネの黙示録は順を追って読んでいかなくてはいけない書物である。

2・3章は地上の教会について

4・5章は患難時代の前に天に挙げられた(携挙された)教会について

6〜18章が患難時代について書かれている。

 

そのことを踏まえて、リンク先を読んでいこう。

 

黙示録の時代が非常に近づいて来ていることを思わされますが、今日は携挙のことをお話しします。
黙示録の時代は7年間あります。その7年目にオリーブ山にイエス・キリストが再臨されます。これを地上再臨と言います。そして、この時代の後半を大患難時代と言います。また、7年間全体で患難時代と言われています。

 ▶︎患難時代、もしくは大患難時代は前半・後半で呼び方が変わるわけではない。

  後半が更に厳しい時代になるが「大患難時代」は後半だけのことではない。

  7年間全体で「患難時代」もしくは「大患難時代」という。

 

今、それが非常に近づいています。マタイ24:9からクリスチャンに言われていることがあります。それは全ての国々の人に憎まれる、つまり迫害を受けるということです。全ての国々に迫害が起こるのです。

 ▶︎いつの時代にもクリスチャンの迫害はなくならないが、

  全ての人に憎まれる、迫害を受けるのは患難時代である。

 

黙示録6:9には第五の封印のことが書かれています。この個所は迫害、

殉教が起こることを言っています。これは患難時代の前半です。

 ▶︎6章では患難時代前半に殉教死した人たちの魂が天の祭壇の下にいる。

 

その後が7つのラッパです。黙示録13:7には大患難時代の反キリストによる迫害のことがでてきます。反キリストがクリスチャンに打ち勝ってしまうのです。

 ▶︎黙示録6章のことを語っていたと思ったらいきなり13章に飛ぶ。飛びすぎ。

  13章は患難時代の中間、後半に入る頃の出来事である。

  反キリストが自分を神とし、ユダヤ人やクリスチャンへの迫害が激しくなる。

 

黙示録12:7~9節には大患難時代に入る直前のことが書いてあります。サタンが天から落とされるため、この時代に地上にいるクリスチャンは大変なことになります。勿論、御言葉における奇跡やみわざを見るでしょうが、できるならば、この時代にいたくありません。

 ▶︎そしてまた13章から12章に戻る。天からサタンが地に落とされ、

  残り3年半しかないことを知っているサタンはユダヤ人抹殺しようと躍起になる。

  (ユダヤ人は神との契約を持つ民族のため、絶滅させれば契約は果たされなくなり

   イエスの再臨とサタン自身が裁かれる予定が狂うだろうというサタンの思惑)

 

神様は患難時代にクリスチャンに特別な守りを与えようとしています。それが携挙です。では、携挙はいつ起こるかというと患難前、患難中、患難後の三つの説があります。多くの方々は患難前に起こると考えています。でも、これは間違いです。

 ▶︎患難前携挙説が間違いだと言い切っているが、主張は以下の通り。

 

Ⅰテサロニケ4:16を見るとラッパがポイントになっています。患難前にはラッパの音はないのです。

 ▶︎1テサロニケ4:16の携挙のラッパは「神のラッパ」であり、

 患難時代に鳴らされる7つのラッパの裁きは「御使いのラッパ」である。

 その違いもわからないで患難前携挙説を間違いだと?

 

さらに、黙示録4:1~2、これはヨハネのことで、私達が携挙されるのではないのです。また、ラッパのような声といった場合、ラッパではないのです。ですから、患難前の根拠はないのです。

 ▶︎また一気に黙示録の最初に戻っている。黙示録4:1~2はヨハネのことだが、

 3~最後まで黙示録4章は冒頭でも述べた通り、患難時代が始まる前の記述である。

 (4・5章は患難時代の前に天に挙げられた教会について書かれている)

 

次に、マタイ24:30~31でラッパが鳴っています。これはイエス様が再臨した時です。でも、携挙は助けですから、再臨の時と考えるのはだいぶずれていると感じます。

 ▶︎患難後携挙説はここの地上再臨と携挙を同一視するが、

  携挙は助けであり、「天に住む場所を用意してまた迎えに来る」

  と約束してくださったイエスの言葉が、患難後携挙説では無意味になる。

 

黙示録10:7には第七のラッパの時に奥義が成就すると書いてあります。奥義とは何かというと、Ⅰコリ15:51~52とⅠテサロニケ4:16に書いてあることです。つまり、この七つ目のラッパの時に携挙が起こってくると考えられます。

 ▶︎黙示録を行ったり来たりでわかりづらい。

  この「奥義」1コリ15:51~52と1テサ4:16の「携挙の奥義」のことではなく

  「サタンの奥義」のことである。
 (7つの鉢のさばきを含む第7のラッパにより神の奥義は「成就する」。

  不法の子によるサタンの奥義を破壊する7つのクライマックスのさばきが起こるということ。)

  参照記事:患難期前の出来事レジュメ(11)

 

問題は誰が携挙されるかです。教会ごとに携挙される、クリスチャンが携挙される、これは2つとも正しいのです。黙示録(2~3章)でほめられている教会はスミルナとフィラデルフィヤの2つです。スミルナは悪口を言われ、これからサタンの試しを受けるのですが、フィラデルフィヤは試しに合格したのです。問題は黙示録3:10で、これは患難時代のことを言っていますが、試練の時、フィラデルフィヤだけ守ると言っています。だから、教会はフィラデルフィヤをめざすのです。 

 ▶︎7つの教会は過去に実在した教会でもあり、今存在する教会の型でもある。

  うまく言えないが引用とリンクを貼っておく。

  「7つの手紙全てに勝利を得る者という言葉があります。 

  その教会に属する個人に対して宛てられた言葉で、

  その教会の問題に打ち勝つ者に約束される特別な祝福の言葉です。」

  参考記事:ヨハネの黙示録レジュメ(2)

 

それでは、フィラデルフィヤだからいいのかというと、マタイ25章に携挙される人とされない人が出てきます。もし携挙されなかったら、大患難時代に入ります。

 ▶︎携挙されない人はそもそも救われていない人なのではないか説。 

  過去記事参照携挙される人」はイエスキリストと「個人的な関係」を持つ人

 

私たちが携挙されるポイントとしてマタイ24章後半~25章に書いてあるので後で見ておいて下さい。それは、①キリストが来るのがまだまだだと言って勝手な生活をしない、②聖霊に満たされている、③賜物(御霊の賜物・実際的な賜物)をもって主に仕えることが条件です。しかし、一番重要なことが欠けています。それは目を覚ましていなさいということです。私達は再臨(世の終わり)が近いことを知って、そのことを覚えて生活するのです。神が言われている事柄に対する信仰の歩みです。おそらく、私達の時代に患難時代に入って行くと思われます。そのことをどうぞ覚えておいて下さい。

 ▶︎携挙の時期に関しては解釈がおかしいが、ポイントとしては正しい気がする。

  ずっと調べているが、誰が携挙されて残されるのか、今だにはっきりしない。

  この記事のように、携挙されるための条件をあげる人もいれば、

  イエスを信じて救われていれば無理やり携挙されるという人もいる。 

 

結論。

患難中携挙説を見てみたが、はっきり言って解釈がおかしい。

聖書にはハッキリと「神のラッパ」で携挙が起こると書いてあるのに

御使が鳴らす「7つのラッパ」で携挙が起こると言い張っている。

 

聖書を読むときは文脈が大事であるという。

何の話題なのか、誰について、誰に対して書かれているのか、

今回のこのメッセージを読んだだけでも黙示録を行ったり来たりしていて

文脈を無視している印象。めちゃくちゃである。

患難携挙説も間違いだったが、(参考記事:異端と自称クリスチャンの扱い方

患難携挙説も間違いなのだろう。

 

患難中携挙説を信じている人はいくつか載せた

「参考記事のレジュメ」を読むといいだろう。

(聖書の引用を含め、圧倒的情報量と文脈の解釈の正しさから

 参考記事のリンクを正しいと判断している。)