以前シェアした2つの動画が気になってもう一度見た。
携挙の夢 * レフト・ビハインド * 取り残されて by Mary Barnett
いずれも「ゆるし」に関する警告である。
心の中で「ゆるさない思い」があると、神もゆるしてくれない。
'もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。 もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。 '
マタイによる福音書 6:14-15 https://my.bible.com/bible/81/MAT.6.14-15
コロナ禍で客層が悪化し、毎日ブチギレているのだが
神は私の醜さを明らかにしてくださっていると感じる。
このブログを書くことで、自分と向き合うことができるようになった。
何のメリットもないのに、誰かに伝えたくて始めたブログだが、
神は私のためにこの機会を益としてくださった。
(もちろん、真理を求める人が読んでいる人がいるなら、神は真実な方で、
万事を益としてくださる方であるから、このブログも用いてくださるだろう。)
こんな醜い状態では神の前に立てない。聖書を読み、祈らなくては。
以前、何回か聖書を通読しているのだが、最近は全くしていない。
それも毎日ブチギレる原因になっているのだろう。
なまぬるいクリスチャンの地獄の証言*Christian woman went to hell for vanity
クリスチャンの行く地獄もあるのだ・・・。
今のままでは完全に地獄行きである。
あなたが転落する理由/神を知らない理由 by Servants of Christ
全くの正論。倒されまくる人生である。(悪い思いは悪魔が持ってくる)
YouTubeでクリスチャンの証を見るのもいいが、
基本的にはやはり聖書を読み、聖霊に満たされることが最重要である。
最近ずっと、心から離れない聖書箇所がある。
'そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。 その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。 思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。 しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。 花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。 ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。 すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。 そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。 しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。 ' マタイによる福音書 25:1-13 https://my.bible.com/bible/81/MAT.25.1-13
花嫁が、あかりを用意して花婿を出迎える準備をするたとえ話である。
このたとえ話は、教会では「油」=「聖霊」だと学ぶ。
キリストを信じた時に、全てのクリスチャンに「聖霊」が宿るのだが、
このたとえ話のおとめは全て「花嫁」であり、クリスチャンではないか!!
改めてじっくり読むとショッキングである。
ということはクリスチャンで「聖霊」が宿っていても、あかりが消えかかり、
追加の「油」が必要になり買いに出るということは、「聖霊」について学び直し、
「聖霊」に満たされる必要があるということではないか?
花婿の迎え(携挙)が遅れ、眠ってしまい(霊的に眠る)、
夜中(世の終わり)になり、突然花婿がやって来る(携挙)。
霊的に眠り、「聖霊」に満たされていない場合、
改めて聖書を読み直していく。しかし間に合わず花婿がやって来るのだ。
その後、地上では7年の患難時代を通るが、
携挙されたクリスチャンは7年の婚宴に入る。そんなの嫌だぁああああ!!!
「ノンクリスチャンが今から聖書を読み始めても遅い」という意味で
この聖書箇所が心から離れないのだとばかり思っていたが、
こうやって記事にしていくと、私自身に語られていると気づく。
まさか「聖霊」に満たされていない自分に対する警告だったとは...。
(聖霊は心のうちに静かに語りかけてくるのである。聞こうとしないと聞こえないボリュームなのだ。)
・・・私は完全に眠っているクリスチャンであった。
毎日ブチギレつつも、仕方ないと思っていた。
しかし、本当は解決策を知っていた。「聖書」を読むことである。
聖霊が静かに語ってくれるのに無視し続けていたのだ。
神の恵みのゆえに起こされた。今ならまだ間に合う。
これからはYouTubeを見る時間を減らし、聖書を読もう。