おはようございます。
丁寧な暮らしに憧れる。
日々殺伐と暮らしているので、
丁寧な暮らしに憧れてしまう。
丁寧な暮らしをイメージした時に、
思い出されるのは、母の姿。
母は、おそらく丁寧な暮らしをしていたのだと思う。
子供服を手作りし、既製品でもボタンを姉妹の好きなタイプに付け替えてくれたり、
今でも手編みの靴下を私達夫婦に編んでくれる、我が家の冬の定番。
姿が見えないと思ったら、庭でハーブを積んでいたり、
暑い日は、レモネードやミントティーを入れてくれる。
寒い夜は、チャイ。母の淹れる飲み物は本当に美味しい。
スキー授業の時に、母が持たせてくれた温かい紅茶は、いまでも忘れられないぐらい。
何でも手作りする人で、それが当たり前だと思っていました。
少し大人になったある時、「母のようにはなれないな」と悟った。
母が何かを丁寧に行う姿に、私は若干の苛立ちを感じるようになってしまった。
母の行動は、「効率的」ではないのだ。
そして、時々息切れする母の些細な手抜きや疲れて休んでいる姿を、
受け入れられなかった。
疲れるくらいなら、最初からきちんとペース配分して効率良くタスクをこなせるように工夫しろ、何年主婦やってるんだ、そいうことを私や父は思ってしまうのだ。
でも、母には通じない。
何というか、時間軸が違うのだ。
長いこと専業主婦でいて、時々気まぐれにパートに行ったりする。
なぜ採用されるのか不思議。
家族は母のペースに翻弄される。
母は、いつだって真剣なのだ。
でも、やっぱり、外の世界とのずれはある。
とはいえ、母は彼女の世界の優先順位と価値観で生きている。
そして、彼女の食事や手編みの靴下、紅茶は美味しい。
殺伐とした娘の心にも、「丁寧のたね」が根付いている。
わたしは、わたしらしい暮らしをつくっていこう。