エゴについて、ちょっと腑に落ちたので語ります。
私はいつも頭の中で沢山のことを考えています。
空想もするし、世の中のことも考えるし。
思考ばっかりでなかなかうるさいのですが、これって「私」なのでしょうか?
実は私のなかに「私(エゴ)」がいるのではないか。
そんな気がしたのです。
頭の中でゴチャゴチャ考えたりしてるのはエゴという私で、とても弱い存在だと言うことです。
頭の中で主張するだけしかできない、か弱い小さな存在で、たまにはそれはインナーチャイルドとか言われたりするかもしれません。
でもそれは私であって私そのものではない。
私はもっと大きな存在で、「私(エゴ)」はほんの一部だったり別人だったりするんじゃないかと。
このエゴにエゴちゃんという別人格を与え、思考してるときに出てくるものをエゴちゃんの考えとする。
ふむふむ、エゴちゃんはそう思ってるんだね。
ほな大きな私はどうしようか。
こうして人格を与えることでエゴを小さくし、「私(エゴ)」を俯瞰して捉えることができるようになる。
エゴやインナーチャイルドよりも大きな大きな存在の私がいる。
エゴの声をきいてあげてもいいし、なだめてあげてもいい。
どんな選択するかは大きな私が決めることができる。
何が言いたいかって、エゴをもう一人の小さな自分として俯瞰して見る感覚ができると、
あ、この感情はエゴちゃんが思っていることなんだね、
って一旦私からは切り離して見れるって話。
もし思考がうるさいときには、
…(ごちゃごちゃごちゃ)…
「って私は考えてる、感じてるんだね。」
さあこの「私」を大きな私はどうする?
って神視点になれるかもというお話でした(^^)
このことが腑に落ちたのはYouTubeでみた
大瀧冬佳さんの動画です。
すごい分かりやすかったので。