先日、12/6は地味に誕生日だった。

なにわのモーツアルトと同じ日だとか。あと久石譲と。元モー娘の保田圭も一緒だとかなんとか。


ようやく21歳になった。

最近どこに行っても24,5歳としか言われないから、ちょっと近づいてきてホッとしている。

そんなに老けてみえるのかな、私。



去年のハタチになった時は今日から大人なんやな~と思ったりしたし、

ライブの日で、打ち上げの席で、対バン相手も含めた大人数で祝ってもらった。

もうあれから1年が経ったか。


今年は静かに迎え(やっぱり居眠りしながら)、ごく普通な感じ。

夜はバイトの友だちの家に飲みに行っていたが、全員忘れていた笑。

そしてメールも極端に少なかった。。

まぁ、あまり気にしないけど若干寂しい笑。

だんだん少なくなっていくんかな。

mixiでみんな後から取ってつけたように「おめでとう」とコメントをくれた笑

別にいいのに(こんな私は非常にひねくれていると自分でも思う)



年を重ねるにつれてほんとに親のありがたさが心からわかってきた気がする。

母からのメールが、普通にシンプルな言葉やけど、感動した。
父もめったに会えないけどやっぱり連絡をくれたし。


誕生日やからって何も特別なことはなくて、
今生きてることというか、産んでもらって生かせてもらってること、
毎日やりたいことやらせてもらえる環境にいること、
毎日感謝せなあかんのに、たまに忘れてしまってるからほんまあかんなて思った。


これからどんどん時間が加速していって、

さらに年を重ねることが特別なことに感じなくなるのかもしれへんけど、
せめて毎年この日は一つの区切りとして自分がこの場にいられることを色々考えなおす日にしたいです。



1カット

街を歩く女子高生を見て時々思うんよね。


誰と誰が付き合ってるとか、誰が誰に「告った」とか、テスト範囲が広すぎるとか、


あの頃はそんなことで騒いで笑って笑いまくって怒って泣いて


でも、あの頃はそれが全てで、大問題だったし、見えてる世界の範囲も狭かった。


今となってはそれが全部キラキラして見えるんよね


思い出になってしまった今は、嫌な事を都合よく忘れてしまってるんかと思うけど、

たとえ世界の範囲が狭くても、少なくとも何にでもなれる、どこでもいけるっていう希望に満ち溢れてたと思うから



女子高生って最強。恐いものなんてなかったんじゃないかな。





別に今も希望はあるし、夢もある


より具体的に。 手の届くところまで来てるかもしれないし、方角も見据えてる



それは当たり前だし、喜ばしいことなんかもしれないけど、現実的過ぎて時々興ざめする自分がいる。



って、そんな自分がわがままでびっくりするんやけどね。

こんな風にきれい(だと思い込んでる)な思い出を振り返るのがまだまだ子どもなんかもしれんけど。


私が昔に比べて冷めたのも、良い意味でも悪い意味でも社会で生きていくために大人になっていく準備だったんかもしれないし、そんな自分は嫌いじゃない。



ただ、失ってしまったものが

思い出と合わさってキラキラして、時々欲しくなるのかな。




鍵盤



ほんまに欲張りや。







別に暗い気分になってるわけじゃない。後ろ向きになってるわけでも全くない。


ちょっとぼんやり考えてみただけ。そんなときもある。



見守る銀杏


もうすぐ秋も終わりです。

私は強い強いって思って、毎日猛スピードで生きてきた
強くなくちゃ生きていけない


甘えられる人もいないし、私はそんな甘えるようなか弱い女じゃない


別に甘える子が弱いって決め付けてるわけじゃないけど、
私は一人でも自分の足でしっかり立って走っていくんやって

いつの間にかそんな風に思うようになって、走ってた


でも、私は強いと思い込んでただけで、ほんとは強くなんかなかった

やっぱり大事な友達を失いそうになったり、失うまでいかなくても距離ができてしまいそうになったら
ものすごく恐くて恐くて、すぐに震えだして、気が付いたら涙が止まらなかった



その失いそうになるっていう原因も自分の無神経さだったりしたら
ほんとに情けなくて、悔しくて



やっぱり自分の弱さを知らないといけない
正面から見つめないといけない


でないとただ単に尖って、突っ張って生きてるだけだな


一人で立ってなんてほんとにただの傲慢にしかすぎへん



「弱さを知ってるから強い」


っていう言葉の意味、実感としてやっとわかった



結局、当たり前やけど一人では生きていくことはできないんや


だから、周りを大切にする優しさを持って強くならないと、
その強さは一人よがりで意味がない



誰もいない