2015年は、公認心理師の国家資格法案が成立し、同年年末に、日本精神科病院協会の配下の人物に操られた人々が日本臨床心理学会の名称を用いて、同じ日本臨床心理学会の会員5名を、1000万円の損害賠償民事提訴した年でした。

 

この運営執行部内の紛争が、大きく表面化したのは、この年からさらにさかのぼること2年前の2013年8月10日の、「日本臨床心理学会21期役員選挙」でした。

 

この紛争は、単に、運営委員会のうちうちの派閥争いではありません。

むしろ、「日本」の「臨床心理学」の今後の在り方を、予言する<モデル>であったのではないかと思います。

 

 

その名称通り、日本の臨床心理学の草分けであったこの日本臨床心理学会は、ほんのちょっと前までは、「かつては、臨床心理学会という学会があった」と言われてしまうほどに影が薄く、細々と存続してきたフリをしてきました。

 

「敵をあざむくには、まず味方から」と言いますが、日本臨床心理学会の会員であっても、世間の目と同様に、この学会はじり貧だと思わされてきたのでした。だからこそ、この学会を再興しよう、もり立てよう、という気運も起こってきたわけです。

 

でも、これって、じつは、国家資格化をゲットするための政治運動体の隠れ蓑として、名前だけ学術団体を使っていた人たちにとっては、新人執行役員の人たちの元気いっぱいの頑張りは、ほとほとありがた迷惑でしかありませんでした。

 

 

だから、なんだかおかしな事件が次々と起こって、改革の熱意に燃えて新たに執行役員に加わった人たちが、次々に、結果的に排除されていったのです。

https://ameblo.jp/slapp-nyan/entry-12320242078.html

 

残ったのは、古くからの仲間思いの善意に満ちていて、古い顔なじみからの「おためごかし」にあっさりと動かされてしまう人か、または、客観的な事実としての実状を知ろうともしないで個人的に関わりが有る人の味方になっている人か、でした。

 

執行部がこんなふうですから、この学会はすでに、多様な考えの人たちを受け容れて包み込む力は、すっかり無くなっていたのです。

本来の学会の使命である社会貢献のための、学術の豊かさがやせ細って、それとともに、骨格があらわに浮き出してきました。

臨床心理・心理臨床全領域が共有する問題が、まるで縮尺図のように、日本臨床心理学会の葛藤状況に、くっきりと写し出されているかのようです。

 

 

「公認心理師」という日本初の心理専門職の国家資格化問題と、切り離しては考えられないのが医療との関わりであることは、誰もが認めることです。

 

このブログではこれまでにも、この裁判の複雑な背景についての説明を、いろいろな方向から試みてきたのですが、全心協(日本精神科病院協会)派と20期改革派との違いを、医療との関わりに限って言えば、以下のように、言えると思います。

 

旧来多選(=全心協に乗っ取られ)派は、薬を必需とする専門領域との共存関係、これまでのこの持ちつ持たれつの間柄を大事に維持することで、自分たちの専門性を存立したいと望む人たちです。

この人たちは、欧米の精神保健医療の動向をお手本として、それらにならいながら、基本的な姿勢としては、今有る医療保健福祉制度の下で、可能な限りの改革を一歩一歩進めていこう、という立場です。

ですから、精神科医をはじめ医療者との関係は <対等ではなく>、自分たちの仕事が成り立つには、医師からの支持と保護が必須であると、認めています。

 

 

これに対し、改革を志す私たちの側は、風土に相応しい臨床心理学の在り方や、民俗的な信仰のこころを理解し、土着宗教的・霊的な療しの実践者であっても医療者であっても同等に、恊働研究として付き合い、その付き合いを通して、実践の知を広げていくことを目指していました。

このような立場からは、「近代医療」は、多様な癒しの方法の中での一つの選択肢でしかなく、必要に応じて恊働することもある、という位置づけでした。

つまり、<医療との対等な関係性>を築き上げる事を目指していたのです。

 

お気付きでしょうか、これはヒアリング・ヴォイシズ運動の中核の考えに通じるものでした。また、公認心理師法が成立したこの2015年には、斎藤環さんが、日本に初めてオープン・ダイアローグ(支援される人、支援する人々が専門職も含めてみなが対等に語り合う治療方法)を本格的に紹介した本を刊行されています。

 

 

だから、ほんとうは、この日本臨床心理学会が、<医療との対等な関係にあっての癒しの方法>を、日本で一番最初に提言できたはずでした。....ただし、全心協=日本精神科病院協会が執行部を乗っ取っていなかったら、のはなしです。

 

このように20期運営委員会の中には、運営委員会内での、精神医療との関係性への考え方が大きく異なる2つの立場がせめぎ合っていたのです。

そして、主に全心協派が占める古くから長く運営委員を務めてこられた政治活動の運動員の人たちと、新たに運営委員会に加わった学術団体としての改革を目指す人たちとの間には、何かにつけて、きしみが生じることがさけられなかったのです。

 

この常にくすぶり続ける葛藤状況を、裏で上手にあおって利用することで、運営委員会内の人間関係を、巧みに操る人がいらっしゃいました。

 

 

運営委員会のメンバーは、みなで同じ頂上をめざしている筈なのに、選ぶ登山口やコースが違う人同士の人間関係が、ことごとく壊れて行きました。

そのエージェントご本人かその人がちょいと力を加えたドミノの駒の人たち同士で耳打ちし合う情報の内容、尾ひれの付け方のさじ加減を操ることで、お互いに信頼を持てなくさせられ、心のつながりがバラバラに分断されていきました

 

「分割して統治せよ」を地でいかれる、本職の官僚(今は定年退職されていて、某有名私大2校の兼任講師でいらっしゃいます。)としても、たいへんに政治力に秀でた方が、暗躍されていたのです。

 

 

2013年の8.10役員選挙のシナリオ(裏台本)の要所には、その方の傑出した演出が施されていたのではないでしょうか。

ところが、あにはからんや、当日立候補したその方への無記名の信任投票では、その人が味方だと票を読んだ人たちの中にも、その方を信任していない人が出たようで、有権者総数を読み替える裏技で、辛くも首の皮一枚で、次期役員への当選を果たされたのでした。