控訴審第一回口頭弁論が、来月7月20日に迫りました。

学際セミナー/学術大会のご報告とかで、しばらく、SLAPP訴訟の話題はお休みしていたのですが、再び、ぼちぼち、ぐずぐずとつぶやいていきます............。

 

この裁判、はっきり言ってすごくわかりにくいです。

 

なんだかわからんが知っている人が当事者なので応援をしたい....とか、

 

よくわからんが気に食わない奴が相手方なので批判したい....とか、

 

対岸の火事はおもしろい、意地悪く高見の見物をしたい....とか、

 

と思ってられるほとんどの方々が、おそらくこの裁判でなにが争われているのかを納得されてないんじゃないかと思います。

 

このことについて、以前に説明を試みました。↓

http://ameblo.jp/slapp-nyan/entry-12278319032.html

 

ですが、半世紀に渡る「心の専門家」の国家資格問題に関わる大規模抗争・周辺部の小競り合い・指導的立場の人たちレベルのいざこざの歴史がごちゃまぜになっている事態をひと言で言えとなると............難しい。

 

それらに絡んでさらに複雑で錯綜した中に生じて来た諸々の事案群の細部を無視することになると、とても危険なのですが、敢えて一断面から申しましょう。それは.....

「臨床心理士」と「医療心理師=公認心理師」との軋轢の背景となる、<資格>概念の捉え方の異なりが、大本のひとつにあるように思われます。

 

<資格>を、万人が各々の努力その他に依って取得可能な「免状」と捉えるのか、生得的な謂わば天命に類するものと捉えるのか、後者の典型はシャマンであると言えば、にゃんがお伝えしたいことがもう少し伝わりやすくなるかもしれません。

そして、(また再び分りにくくしてしまいそうですが、)公認心理師はプリーストになる事さえ難しいと危惧します。

 

公認心理師資格推進の支持に靡いた臨床心理士の人々が、これから自らが名乗る資格の名称から廃却した「臨床」の語の重みを、だんだんと悔やみや痛みとともに受けとめていかねばならない時代が迫って来ているように思えてなりません。

 

(つづく)