もともとの情報が行きつけの(王家の紋章関連の)二次サイトさんトコのブログだったんで、ジャンルがこちらになりました(笑)♪
と、まぁ、ジャンルがコレな理由は、とりあえずおいといて・・・。
2月の初旬、エジプトから、とあるニュースが世界を駆け巡りました。
<ミイラ>と<墓>と<ウン千年も未発掘>。
確定している情報は、コレだけ。
4000年だの、2600年だの、BC640年だの、ワケのわかんない情報が錯綜しちゃってます。
・・・と、いうわけで、行ってみました。
毎度おなじみのBBC。
情報は2つでました。
コレ(※1)http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7879366.stm とコレ(※2)http://news.bbc.co.uk/cbbcnews/hi/newsid_7810000/newsid_7819700/7819783.stm 。
で、アタマがこんぐらがったので、ココ(※3http://guardians.net/hawass/Press%20Releases/new_discoveries_at_saqqara_06-08.htm )、ザヒ先生トコのサイトへ行って来ました(笑)♪
んで、コレによると、事情は○○○なことだったらしい・・・。
あぁ、もう、このサッカーラがらみはややこしい・・・orz。
ってゆーか、絶対、えぢで発信された最初の情報が、ややこしいんだと、思う・・・(爆死)。
以下がsloth訳です。原文は上述のURLをクリックして、とんでください。
(※1)
ミイラ室がえぢで発見
埋葬室がカイロ近辺で見つかった
エジプト考古学者たちが20体以上のミイラを少なくとも2600年以上にも溯る埋葬室に見つけた
8つの木製と石製の柩(sarcophagi(pl)/sarcophagus(sing)直訳すると『遺体食い』(笑)♪)をサッカーラの現場での発掘中に発見したと、エジプトの考古学者の長であるザヒ・ハワーッスは言った。
ある漆喰で封印されている石灰岩製の柩は、4000年以上もたっていると考えられている。
カイロの南にあるサッカーラの死者の都市での何十年もに亘る発掘にもかかわらず、新しい発見はしょっちゅう起きる。
特派員はそのような無傷の埋葬所が未発掘であるのは珍しいと言っている。
壁沿いの窪みにみつけらられたミイラのうち22体は、紀元前640年からその墓にいたとハワーッス氏は語る。
とある木製の柩は古の時代より空けられていないが、政府生命によると最初にそこにたどり着いたのは古代の墓泥棒だったと当局の人間は語る。
ミイラは、既に開けられてしまった柩からのみ発見され、より多くのミイラを他のからみつけたいと望んでいると、考古学者達は言った。
ハワーッス氏は70数パーセントのエジプトの古代の遺跡が眠ったままだと言っている。
(※2)
新しい女性のミイラがエジプトで発見
驚くべきことに4300年前に支配した女王に属すると思われるあるミイラのremains(遺跡か遺体だと思うんだけど・・・)は、エジプトで暴かれていなかった。
考古学者は、女王Seshestetの遺体を、去年見つけられたサッカーラのとあるピラミッドで発見した。
その女王の名前は彼女の遺跡にはなかったが、えぢのトップ考古学者のザヒ・ハワーッスは『すべての徴は彼女がSeshestetであると示している』と言った。
専門家はSeshestet女王はえぢを11年間支配したと信じている。
彼女はほんの少しだけいた女性のファラオである。
歴史家はSeshestet女王はえぢを11年間統治した数少ない女性のファラオであると信じている。
ハワーッス氏は、亜麻布や陶器や黄金に包まれているremainsが見つけられた、石で作られた特別な柩を開けるのに5時間かかったといった。
しかし、ファラオの柩にふつう納められている全ての貴重品は墓泥棒にすでに盗まれていた。
(※3)
サッカーラで新発見
文化省のファルーク・ホスニ閣下は考古学者たちの間ではAnubieionに関連付けられている大通りとして知られているスフィンクスの大通りのとある区画で考古学最高評議(SCA)の総事務長であるザヒ・ハワーッス博士に率いられたエジプトの考古学的mission(計画?任務?)により実行された発掘中に未確認のピラミッドの上部構造がサッカーラで発見されたと、今日公表した
文化相は、以前よりローマ時代の原稿や文書に述べられていたサッカーラにあるアピス牛のネクロポリス(死者の都市)であるセラペイオン(聖域)の隣にあるこの通りが発掘されたと、説明した。
ハワーッス博士はフランス人考古学者Auguste Marietteが1850年に見つけたスフィンクスの通りの、その西側の拡張部分がセラペイオンへ導いたと、述べた
その通りは東のAnubieionへも伸びていた。
ハワーッス博士はプトレマイオス朝迄溯るその通りのもう一区画は最近の発掘の最中に見つけられたと、付け加える。
それはナイル渓谷とかつて渓谷の反対にあったAnubieionの門の領域に届くほど東まで伸びていた。
そのシゴトでは、新しく発見された通りの区画はアヌビス寺院の南端だろうと示唆するプトレマイオス五世(204-180BC)との刻印で飾られた石灰岩のブロックを発掘した。
ハワーッス博士は、ドイツ人考古学者Karl Richard Lepsiusによって述べられ、XXIXという数字を与えられたピラミッドの、上部構造はあった、とも言った。
このピラミッドは長い間砂で覆われていて、第六王朝の最初の王(c.2374-2354 BC)Teti一世のピラミッドの隣にあるそれが最近の発掘により発掘されるまでエジプト考古学者の誰一人として突き止めることに成功しなかった。ピラミッドの入り口、その壁や埋葬室も又発見された。埋葬室の中には
埋葬室の北の壁であろう白い石灰岩のブロックが、柩の蓋とカノプス壺を収める櫃として使われた窪みと共に見つかった。
その新しく見つかったピラミッドは中王国時代とされる一方、幾つかのエジプト考古学者は古王国時代にまで溯ると信じている。ピラミッドの持ち主の名を示すカルトゥーシュがないという事実にもかかわらず、ハワーッスは第五王朝のMenkauhor王に属するものだろうと信じている。
・・・はぁ。疲れた・・・。
つまり、サッカーラという遺跡地区は、色んな時代の遺跡がぐちゃまらにあるってことが、まず、最初の混乱の元だって、コトかよ・・・(怒)。
で、えぢ側の人間が情報を発信する際に、ケアーとかフォローとかすっ飛ばしてくれたから、情報を受け取った側が目いっぱい混乱する羽目になったんじゃんか~~~w(T△T)w!!!
・・・ま、ね。
<流石、えぢ。やっぱ、えぢ。>ってな、感想をより強く持った事件だったな~・・・orz。
このサッカーラ発掘情報・・・(爆)。










