(200)N.W.O.B.H.M.この一曲(アイアン・メイデン関連スピンオフ) | skyp2tの音楽が好き!

skyp2tの音楽が好き!

80年〜00年代の邦楽・洋楽が大好き!
いいなと思ってる曲を勝手に紹介してま〜す


今回は

NWOBHM

アイアン・メイデン関連話

スピンオフ



GRAND  PRIX

(グランプリ)

についての話です。




アイアン・メイデン

元ドラマー

クライヴ・バー

※メジャー初期アイアン・メイデン

左端がクライヴ・バー



NWOBHMバンドの

プレイング・マンティス

のメンバーと結成したバンド


STRATUS(ストレイタス)


のボーカル、

バーニー・ショウ
ストレイタス加入前に
在籍していた
NWOBHMバンド、

それが
GRAND  PRIX
(グランプリ)

GRAND  PRIX(グランプリ)

バーニー・ショウ(vo)在籍時




バーニーは1978年に

カナダ🇨🇦から招聘され、


グランプリの前身、

パリスというバンドから

ボーカルを務めていました。


1980年に

バンドはグランプリと名を変え、

メジャーレーベル

RCAレコード

と契約するのですが、



このグランプリという

名前になった経緯が

変わっていて、


・・・


パリスとして

契約を結ぶために

バンドメンバーが


RCAレコード

ビルのエレベーターに

乗っているとき、



※あくまでイメージです。



マネージャーから、


「君達はもうパリスなんかじゃない、

これから君たちはグランプリだ!

と唐突に言われ、


???


なんのことやら分からないまま

エレベーターが

最上階に着き、


ドアが開くと、


目の前に

という垂れ幕が

かかっていた

そうで。


本人達は


パリスの名前で

ファンを一生懸命

増やしてきたのに・・・


とガッカリしたとか。



同年

1stアルバムを発売。


GRAND  PRIX (1980)



翌1981年


セカンド・アルバムの

レコーディング中、


バーニー・ショウ

ボーカルパートを

全て録音した後に突如解雇され、


(楽曲への関与が少なかったことが理由、

と後に楽曲作りのキーマンで

キーボード担当のフィル・ランソン

が語っています)



アイルランド🇮🇪ダブリン出身の

新ボーカリスト

Robin McAuley

(ロビン・マッコーリー)


が新たにボーカルパートを

録音し直したあと


1982年に

アルバム

There for None to See


をリリースします。



ファーストアルバムが

カンサスジャーニーフォリナー


といったプログレ・ハード系に

おもいっきり振れて

いたのに比べ、


セカンドアルバムは


よりプログレッシブ・ロック

に寄った


落ち着いたAOR感の強い

かなり渋味のある

作りになってます。


これはこれでなかなか

良いんですけど、

若干地味ですかね。



ロビン・マッコーリー在籍時の

グランプリ

※右から2番目がロビン・マッコーリー




ロビン・マッコーリー

加入してすぐ


80年以来2回目の

レディング・ロックフェスティバル '82

に出演。



※81年のレディングではやや出演バンド数を減らしたNWOBHMバンドでしたが、82年はグランプリの他、アイアン・メイデンを筆頭にタイガース・オブ・パンタンプレイング・マンティスタンクスタンピードチャイナタウンテラプレイン(後のサンダー)、オーバー・キル(あのスラッシュバンドとは別)、オーレロック・ゴッデススパイダーといったNWOBHMバンドや、マイケル・シェンカーグループゲイリー・ムーアバーニー・トーメバーニー・マースデンズ・SOS(元ホワイト・スネイクのギタリストのバンド)、バッジーの他、アメリカ🇺🇸からはトゥイステッド・シスターY&Tブラックフット、日本🇯🇵からB時代のBOW WOW、フランス🇫🇷からトラスト、スペイン🇪🇸からバロン・ロジョ等、なんとも垂涎のラインナップでした。



この模様は

公式コンピアルバムとして

発売されました。



READING ROCK VOLUME ONE

(1982)

グランプリは2ndアルバム曲「Keep On Believin'
のライブバージョン収録。



ライブは好調だったという

グランプリ


しかし

RCAレコード


セカンドアルバムに

かなりの資金を注ぎ込んだものの

思った程回収出来なかった


という理由で


バンドをあっけなく

契約解除します。




レディングフェスの出演バンドから

わかる通り


NWOBHMブームは

82年最高潮に達していた一方で、


この時代辺りから

青田買いで飽和状態だった

NWOBHMバンドの

レコード会社による

整理が始まることとなり、



グランプリ

その潮流に流された形に

なったんです。



相当の傑作アルバムを作り上げた

と自負していたバンドは

意気消沈↘︎😔



しかし

捨てる神あれば拾う神あり。


UFOパット・ベネター

ロリー・ギャラガーなど

ハードロックに強いものの


NWOBHMバンドがいなかった

メジャーレーベル、


クリサリスレコード


がバンドに興味を示し、


バンドは

即座にサイン✍️。




早速レコード会社は

1983年5月2日〜28日

アイアン・メイデン

UK🇬🇧ツアー


WORLD PIECE TOUR


のオープニング・アクトに

グランプリをブッキング。


ツアーが始まる前に

アルバムを作るよう指示

します。


バンドが

アルバムのテーマを思案中に


ドラム担当のアンディ・バーンが、



「日本🇯🇵をテーマに曲を作るってどう?」



と突如提案。



「それ、めっちゃ今時じゃないか😃」



とキーボードのフィル・ランソン

が同意し、

曲作りが開始されますが、



フィル・ランソン



テーマは決めたものの

実は日本🇯🇵について

全く知らず。



そこで

フィル・ランソン


時間が無いにも関わらず

まず


出来る限りたくさんの本📕を読んで


日本🇯🇵のことから

勉強を開始します。




そうやって完成させたのが

サードアルバム


SAMURAI

(1983)



なんです。




やっと曲紹介ができます。



それでは

大好きなこの曲



アルバムからの

リード曲を。
















アルバムジャケット
と合わせ

サイバーパンクな
ヒーロー🦸‍♀️物映画って感じで

昔から大好きなんです。



この曲、鎌倉時代に


日本🇯🇵がモンゴル🇲🇳帝国

率いる

フビライ・ハン


から

2度攻撃を受けた


元寇(げんこう:蒙古襲来)


の話を元にしたものなんです。


元寇



当時の鎌倉武士達が
ヤバく
命知らずで最狂に強かったのが
よくわかり

目から鱗👀の
動画がこちら
【鎌倉武士団】日本のバーサーカー集団を絶対怒らせてはいけない。当時世界最強のモンゴル帝国を一蹴した鎌倉武士団がやばすぎた【ゆっくり解説】



この曲、


元寇の史実に基づいて

歌詞がかなり正確に書かれていることが

驚きなんです。


1979年

アメリカ🇺🇸の社会学者

エズラ・ヴォーゲル

が発刊、

世界的にセンセーションを起こした

この本


この時代


日本🇯🇵は

エレクトロニクス大国。

世界的に成功した国として

紹介されました。


一方今のように

インターネットが

発達していない時代、


侍⚔️・忍者🥷

といった西洋から見たら

畏怖に満ちた

未知なる謎の国でもあった

わけです。


そんな

欧米から見た


不思議な国

日本🇯🇵


がアルバムジャケット

に強く現れているんじゃないかなと。




その後ロビン・マッコーリーは、


ゲイリー・バーデン

グラハム・ボネット

ゲイリー・バーデン

レイ・ケネディ


とボーカルの変遷を繰り返した後、

1984年に解散した


マイケル・シェンカー・グループ

MICHAEL SCHENKER GROUP)


に代わる

新バンド


マッコーリー・シェンカー・グループ

(McAULEY SCHENKER GROUP)

のフロントマンとなり


1987年

ファーストアルバム

Perfect Timing




を発売します。


MTV的POPな楽曲群に

賛否が分かれたアルバムですが


個人的にはかなりよく聴いた

アルバムです。


MSG(Mcauley Schenker Group)-

アイアン・メイデン

プレイング・マンティス

マイケル・シェンカーグループ


の3つのバンドは

何かと関連性のある

バンドだったりします。




ちなみに

グランプリを解雇した側の

フィル・ランソン

解雇された側の

バーニー・ショウ


1986年に

一緒に

ユーライア・ヒープ

に加入。


今でも二人は

バンドメンバーです。






ということで

今紅白を観ながら

ブログを書いてます。



本年はブログを

ご覧頂き本当にありがとうございました

😭



来年も

皆様にとって良い年

でありますように。




それでは!