今回は
NWOBHM
アイアン・メイデン関連話
の
スピンオフ
GRAND PRIX
(グランプリ)
についての話です。
アイアン・メイデンの
元ドラマー
クライヴ・バー
※メジャー初期アイアン・メイデン。
左端がクライヴ・バー。
が
NWOBHMバンドの
プレイング・マンティス
のメンバーと結成したバンド
STRATUS(ストレイタス)
GRAND PRIX(グランプリ)
※バーニー・ショウ(vo)在籍時
バーニーは1978年に
カナダ🇨🇦から招聘され、
グランプリの前身、
パリスというバンドから
ボーカルを務めていました。
1980年に
バンドはグランプリと名を変え、
メジャーレーベル
RCAレコード
と契約するのですが、
このグランプリという
名前になった経緯が
変わっていて、
・・・
パリスとして
契約を結ぶために
バンドメンバーが
RCAレコードの
ビルのエレベーターに
乗っているとき、
マネージャーから、
「君達はもうパリスなんかじゃない、
これから君たちはグランプリだ!」
と唐突に言われ、
???
なんのことやら分からないまま
エレベーターが
最上階に着き、
ドアが開くと、
目の前に
という垂れ幕が
かかっていた
そうで。
本人達は
パリスの名前で
ファンを一生懸命
増やしてきたのに・・・
とガッカリしたとか。
同年
1stアルバムを発売。
GRAND PRIX (1980)
翌1981年
セカンド・アルバムの
レコーディング中、
バーニー・ショウは
ボーカルパートを
全て録音した後に突如解雇され、
(楽曲への関与が少なかったことが理由、
と後に楽曲作りのキーマンで
キーボード担当のフィル・ランソン
が語っています)
アイルランド🇮🇪ダブリン出身の
新ボーカリスト
Robin McAuley
(ロビン・マッコーリー)
が新たにボーカルパートを
録音し直したあと
1982年に
アルバム
『There for None to See』
をリリースします。
ファーストアルバムが
カンサスやジャーニー、フォリナー
といったプログレ・ハード系に
おもいっきり振れて
いたのに比べ、
セカンドアルバムは
よりプログレッシブ・ロック
に寄った
落ち着いたAOR感の強い
かなり渋味のある
作りになってます。
これはこれでなかなか
良いんですけど、
若干地味ですかね。
ロビン・マッコーリー在籍時の
グランプリ
ロビン・マッコーリーが
加入してすぐ
80年以来2回目の
レディング・ロックフェスティバル '82
に出演。
※81年のレディングではやや出演バンド数を減らしたNWOBHMバンドでしたが、82年はグランプリの他、アイアン・メイデンを筆頭にタイガース・オブ・パンタン、プレイング・マンティス、タンク、スタンピード、チャイナタウン、テラプレイン(後のサンダー)、オーバー・キル(あのスラッシュバンドとは別)、オーレ、ロック・ゴッデス、スパイダーといったNWOBHMバンドや、マイケル・シェンカーグループ、ゲイリー・ムーア、バーニー・トーメ、バーニー・マースデンズ・SOS(元ホワイト・スネイクのギタリストのバンド)、バッジーの他、アメリカ🇺🇸からはトゥイステッド・シスター、Y&T、ブラックフット、日本🇯🇵からB時代のBOW WOW、フランス🇫🇷からトラスト、スペイン🇪🇸からバロン・ロジョ等、なんとも垂涎のラインナップでした。
この模様は
公式コンピアルバムとして
発売されました。
READING ROCK VOLUME ONE
(1982)
ライブは好調だったという
グランプリ
しかし
RCAレコードは
セカンドアルバムに
かなりの資金を注ぎ込んだものの
思った程回収出来なかった
という理由で
バンドをあっけなく
契約解除します。
レディングフェスの出演バンドから
わかる通り
NWOBHMブームは
82年最高潮に達していた一方で、
この時代辺りから
青田買いで飽和状態だった
NWOBHMバンドの
レコード会社による
整理が始まることとなり、
グランプリも
その潮流に流された形に
なったんです。
「相当の傑作アルバムを作り上げた」
と自負していたバンドは
意気消沈↘︎😔
しかし
捨てる神あれば拾う神あり。
UFOやパット・ベネター、
ロリー・ギャラガーなど
ハードロックに強いものの
NWOBHMバンドがいなかった
メジャーレーベル、
クリサリスレコード
がバンドに興味を示し、
バンドは
即座にサイン✍️。
早速レコード会社は
1983年5月2日〜28日
のアイアン・メイデンの
UK🇬🇧ツアー
『WORLD PIECE TOUR』
のオープニング・アクトに
グランプリをブッキング。
ツアーが始まる前に
アルバムを作るよう指示
します。
バンドが
アルバムのテーマを思案中に
ドラム担当のアンディ・バーンが、
「日本🇯🇵をテーマに曲を作るってどう?」
と突如提案。
「それ、めっちゃ今時じゃないか😃」
とキーボードのフィル・ランソン
が同意し、
曲作りが開始されますが、
フィル・ランソン
テーマは決めたものの
実は日本🇯🇵について
全く知らず。
そこで
フィル・ランソン
時間が無いにも関わらず
まず
出来る限りたくさんの本📕を読んで
日本🇯🇵のことから
勉強を開始します。
そうやって完成させたのが
サードアルバム
『SAMURAI』
(1983)
なんです。
やっと曲紹介ができます。
それでは
大好きなこの曲
アルバムからの
リード曲を。


この曲、
元寇の史実に基づいて
歌詞がかなり正確に書かれていることが
驚きなんです。
1979年
アメリカ🇺🇸の社会学者
エズラ・ヴォーゲル
が発刊、
世界的にセンセーションを起こした
この本
この時代
日本🇯🇵は
エレクトロニクス大国。
世界的に成功した国として
紹介されました。
一方今のように
インターネットが
発達していない時代、
侍⚔️・忍者🥷
といった西洋から見たら
畏怖に満ちた
未知なる謎の国でもあった
わけです。
そんな
欧米から見た
不思議な国
日本🇯🇵
がアルバムジャケット
に強く現れているんじゃないかなと。
その後ロビン・マッコーリーは、
ゲイリー・バーデン
↓
グラハム・ボネット
↓
ゲイリー・バーデン
↓
レイ・ケネディ
とボーカルの変遷を繰り返した後、
1984年に解散した
マイケル・シェンカー・グループ
(MICHAEL SCHENKER GROUP)
に代わる
新バンド
マッコーリー・シェンカー・グループ
(McAULEY SCHENKER GROUP)
のフロントマンとなり
1987年
ファーストアルバム
『Perfect Timing』
を発売します。
MTV的POPな楽曲群に
賛否が分かれたアルバムですが
個人的にはかなりよく聴いた
アルバムです。
MSG(Mcauley Schenker Group)-
Gimme Your Love
アイアン・メイデン
プレイング・マンティス
マイケル・シェンカーグループ
の3つのバンドは
ということで
今紅白を観ながら
ブログを書いてます。
本年はブログを
ご覧頂き本当にありがとうございました
😭
来年も
皆様にとって良い年
でありますように。
それでは!