(1979)
※『ザ・サウンドハウステープス2』収録バージョン。
※1980年2月16日、サウンズ誌掲載広告。端にプレイング・マンティスデビューシングル『ザ・サウンドハウステープスパート2』発売中との広告が。
※1980年2月前半にアイアン・メイデンとDJニール・ケイが帯同する「メタル・フォー・マタス」ツアー(58日間のU.K.ツアー)にプレイング・マンティスも参加する内容が書かれた記事。
ちなみにmathasとは、ヘヴィメタル好き、メタラーを指すスラング。元々は「お前の母ちゃんでべそ」的な意味らしいです。
Lovers To The Grave(1979)
※有名クラブ、マーキーでのライブ
※大変珍しいプレイング・マンティス6人時代の写真。スティーヴ・キャロル(g 左から2番目)脱退直前、バーニー・ショー(vo 真ん中)加入直後の1982年3月、本当に短い期間に撮られたと思われます。左はキーボードのジョン・バービン。
ゲイリー・ムーアの件については
以前少しこちらで書いています。
Turn The Tables
を発売した後
ライブもセカンドアルバム発売も出来ず
レコード会社と上手くいかずに
1983年末
プレイング・マンティス
という名前のバンドは
解散に。
そんな時
ライブ仲間で兄弟分のバンド
アイアン・メイデンにいた
クライヴ・バーがフリーに
なっていたことで
新しいバンド構想が立ち上がり、
クライヴのネームバリュー
を元に
クライヴ・バーズ・エスケイプ
が誕生したという訳です。
一方
ボーカルのバーニー・ショウ
は
プレイング・マンティス時代の
1982年3月頃に
加入する訳ですが、
元々は
NWOBHMバンドのひとつ
に数えられる
GRAND PRIX
(グランプリ)
というバンドのボーカル
でした。
GRAND PRIX
※真ん中がバーニー・ショウ。
1978年、
PARISとしてパブを中心に活動。
サッド・カフェやギラン
のツアーサポート経験あり。
1980年にバンド名を
グランプリに変更。
その時にカナダ🇨🇦から
バーニー・ショウ
を招集したようです。
その年の夏に
大手RCAレコードと契約。
すぐに
あの伝説的ライブ・フェス
レディング・フェスティバル '80
に参加。
※グランプリの他、アイアン・メイデン、プレイング・マンティス、サムソン、デフ・レパード、ガール、エンジェル・ウィッチ、タイガース・オブ・パンタン、スレッジハマー、レッド・アラートといったNWOBHMバンド、そしてUFO、ホワイト・スネイク、ブリザード・オブ・オズ(オジー・オズボーン)、ギラン、パット・トラバース・バンド、G-FORCE(ゲイリー・ムーア)、ロリー・ギャラガー、クロークス、バッジー、マグナムなど、80年のレディングはHR/HM一色でした。
同年ファースト・アルバム
『GRAND PRIX』
を発売。
GRAND PRIX - Feel Like I Do
※どちらも1stアルバム収録曲。聴いてわかる通り、他のNWOBHMバンドと比べてかなりカンサスやフォリナー、ジャーニー、といったプログレ・ハードやフュージョンに傾いたバンドでした。
1981年の後半に
バーニー・ショウは
バンドを脱退し、
翌年3月頃
プレイング・マンティスに
合流したという訳です。
話は
ストレイタス
に戻ります。
1984年
日本🇯🇵でアルバムを発売できたものの
現地イギリス🇬🇧や
ヨーロッパでの活動は
当時では
難しかったようで、
翌85年には
成功を得ることなく
バンドは解散してしまいます。
時代はさらに進み
1990年。
NWOBHM
10周年で
これまで忘れ去られ埋もれていた
NWOBHMバンド達の
CDリイシュー化が
日本🇯🇵中心に進む中、
NWOBHM蒐集家でも有名
ご存知メタリカのドラマー
ラーズ・ウルリッヒ
が編纂した
NWOBHMコンピレーションの
歴史的決定打
『NWOBHM '79 Revisited』
が同年発売され、
一気にNWOBHM再評価
の機運が高まる中
なんと
プレイング・マンティスの
ティノ(g)&クリス(b)のトロイ兄弟
と
元アイアン・メイデンの
ポール・ディアノ(vo)
と
デニス・ストラットン(g)
そして
NWOBHMバンド
WEAPON(ウェポン)の
ブルース・ビスランド(dr)
による奇跡のバンドが
1990年4月18日
中野サンプラザで行われた
NWOBHM10周年記念コンサートの
1日だけのスペシャルバンド
として来日。
大盛況に終わるわけです。
そのコンサートはライブ録音され、
後に日本🇯🇵のみで
公式CD化されます。
1990年6月21日発売
『ライブ!』
※ライブシューティングから2ヶ月でCDリリースする素早さ。当時の日本🇯🇵のレコード会社はやはり凄い!
その後
世界的に
NWOBHMは
再評価されて
いくことになります。
個人的には
複数のメタル雑誌が
NWOBHMを特集した
1987年から
NWOBHM
を少しずつ中古レコード屋
で探し始めていました。
"最後のライブ"と銘打った
このライブでしたが、
このコンサートで
プレイング・マンティスは
復活します。
ポール・ディアノを除いたメンバー
で1991年、
日本🇯🇵のポニーキャニオンと
直接契約。
再結成を果たし、
同年アルバムをリリースします。
またも日本🇯🇵のみの
契約となった
プレイング・マンティス
ですが、
今回はバンドは
軌道に乗り、
今もメンバーを変えながらも
バリバリの現役。
今年新アルバムを
発表しましたね。
現在のPRAYING MANTIS
こちらは
涙無くしては見れない
奇跡のライブ動画です。
Children Of The Earth (1995年 Live)
1995年8月19日発売、
プレイング・マンティス
4枚目のフルアルバム
『To The Power Of Ten』
発売に伴う日本公演は、
メンバーの
ブルース・ビスランド
(dr 元 WEAPON)
※左端がブルース・ビスランド(dr)
が負傷したため、
代役としてツアーに参加したのが
クライヴ・バー
その人でした。
ボーカル: ゲイリー・バーデン
(元マイケル・シェンカーグループ)
ギター: ティノ・トロイ
ギター: デニス・ストラットン
ベース: クリス・トロイ
ドラム: クライヴ・バー
このメンバーの並びを見ているだけで、
めくるめく歴史絵巻が、
ぐるぐる🌀と頭の中を
駆け巡り泣きそうになります
・・・😢
最後に
1995年の日本公演の最大のハイライト
これまで
何があっても
ずっと応援してくれていた
日本🇯🇵のファンに
対する
メンバー達からの
最大限の感謝が
力強く
本当に素晴らしい演奏。
こちらにガンガンと
伝わってきます。
メンバーも
本当に楽しそうです。
ティノ・トロイが
デニス・ストラットンの肩に
笑いながら
手をのせるシーンには
おもわず涙しました。
当時このライブを
観に行った方は
神ライブ
を観たことになりますね。
めっちゃ羨ましいです。
感動が押し寄せる
こちらのライブを💁
1993年5月21日発売
PRAYING MANTIS
3枚目のスタジオアルバム
『A Cry For The New World』
収録曲より
PRAYING MANTIS - Letting Go
それでは!
IRON MAIDEN in Japan 1981から