さて、前回遡ってしまった時間を戻して、
1988年1月、日本青年館で開催された
『CBSソニー・ラオックス・レディースコンテスト』全国大会でベルベット・パウは見事優勝し、CBS/ソニーからのメジャー・デビューの切符をとうとう手にします。
地区大会優勝の時のメンバー
この全国大会にはベルベット・パウと同じく、女性だけのプログレッシブ・ロックバンド『ロザリア(ROSALIA)』も参加していました。
1990年3月21日発売
1stミニアルバム『ジリオン・ティアーズ』
ROSALIA
〈上段左より〉
竹田"アン"幸代(g)、坂上伊織(vo)、
三浦奈緒美(key)、西田恵美子(dr)、藤本絵衣子(b)
この曲、昔から好きですねー。
ロザリアは、様々なコンテストでの優勝経験の後、1987年11月開催の『CBSソニー・ラオックス・レディースコンテスト』地区大会で優秀賞を獲得し本選出場を果たしたようです。
1989年にはメイド・イン・ジャパン・レコードプロデューサー、ヌメロ・ウエノ氏の元、期待のプログレッシブ・ロックバンドによるオムニバスCD『プロスペクティブ・フェイセス』に参加、
V.A. 『Prospective Faces』
当時既に有名だったジャパニーズ・プログレッシブ・ロックバンド、プロビデンス、オーガスト、ホワイト・ファング達と並んで1stミニアルバム未収録曲『殺意のドレス・アップ』を聴くことができます。
ファースト・ミニアルバムを発売した年、
平成バンドブームの火付け役となった
バンド勝ち抜きテレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称『イカ天』放映期間: 1989年2月11日〜1990年12月29日)
番組末期の1990年12月9日にテレビ出演。
このミニアルバムから楽曲『鏡』を演奏し合格はしましたが、いわゆる当時の音楽業界の有識者からなる審査員からは辛口コメントが続きました(その模様はYouTubeに上がっています)。
実は1990年5月にはベースが、6月には ギターとボーカルが相次いで脱退した時点でバンドは事実上活動停止状態に。テレビ出演は一度きりの再結成だったようです。
さてベルベット・パウですが、1989年9月30日に待望の1stアルバム
『ベルベット・パウ(VELVET PΛW)』
を満を持してリリースします。
実はコンテストで優勝してからメジャー・デビューに至るまでの資料があまりないため、どういった状況でセルフ・プロデュースでアルバムを作成したのか、正直いってよく分かりません。
これまで英語詞主体の作詞からメジャー・デビューにあたり日本語詞主体への転換をはかった、ということはどこかで読んだような気がします。
しかし個人として、この時期の現在唯一ともいえる資料が。
1990年(平成2年)2月1日発行のコンサートインフォメーションマガジン『TANK!』
という地域版『ぴあ』のような雑誌に、1stアルバムを発売してから約3ヶ月が経過したベルベット・パウのインタビュー記事が短いながらも掲載されています。
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7月にアルバム「VELVET PΛW」でデビューしたベルベット・パウ。
(中略)
ここ4年間の間に現在のメンバーとなり、サウンドも固まってきたという彼女達。
「最初はブリティッシュ・ハード・ロックに始まって、ちょっとファンキーに偏ったり、プログレに偏ったり、1〜2年程前までっていうのは、バンド内でプログレ全盛時代(笑)って感じの頃で、ライブにしても演奏して静かに聴いてもらって・・・・・・ちょっと内向的な感じだったんです。で、それだけじゃいけないな、もう少し外へ出て行く部分も必要だなって、バンドの中で思い始めて来た辺りから、曲の方向性も少しずつ変わってきて」((ボーカル須賀)直美)
作詞・作曲はドラムスの(桐生)千弘。彼女は音楽面でのリーダーでもある。
「色んな意味で前は"私達はプログレなのよ"っていうこだわりがあったんですね。そこに他と違う自分達のアイデンティティを求めてたっていうか。でも段々に執着しなくなって来て・・・・・・。プログレっていう言葉って、固定観念がありますよね。"あ、プログレ・バンドね"って思われてしまうと、凄く狭くなっちゃうのが嫌だなと思って。だから先入観なしで"どんなもんじゃい?"と思って聴いて頂いた方がいいんです(笑)」(千弘)
2月頃から2ndアルバムのレコーディングに入る予定で「1stと2ndを合わせたらいいライブが出来るっていうような内容になると思う」とのこと。2ndリリース後はライブの本数も増える予定。楽しみだね!!
(11/18 インタビュー)
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この資料から1stアルバム発売にあたり、これまでのプログレッシブ・ロック一辺倒の曲作り・演奏から、自ら自身が舵取りをして、より多くの人達の耳に入っていくように間口の広い音楽性にシフトしたということがわかります。
これは桐生千弘がバンドを始めたとき多大なる影響を受けたレッド・ツッペリン的な拡散性が根本にあり、ハード・ロックでありながらプログレッシブな実験的指向性を持っていたレッド・ツッペリンの魂は、その姿形は大きく違えども、ベルベット・パウにも宿っていたことが伺い知ることができます。
その後アルバムを出す毎に、外部プロデューサーや外部ライターを起用するといったよりジャパニーズ・ロック/ポップとの親和性を深めていくベルベット・パウではありますが、本日のお話はここまで。
最後にファースト・アルバムから1曲目を飾る、まだ英語詞比率が高い、ポップなのに複雑、当時の雑誌の評論に"こんなリズムじゃ踊れない"といわしめた、当時こんな曲は多分他になかった、ある意味プログレッシブなこの曲を。
GOSSIP,NOT LOGIC
それでは
にゃー