小室哲哉とエディ・ジョブソンとの関係性について
前のブログで書いてなかったので、元に戻りますね。
1989年12月9日にリリースされた、全曲小室哲哉自身のボーカル入りとしては唯一のソロアルバム
「Digitalian is eating breakfast」
EPIC/SONY RECORDS ESCB 1013
1989年3月、TM NETWORKのコンサート・ツアー中に宇都宮隆が怪我をして、その後のツアーがキャンセルになってしまい、1週間程休みができた小室哲哉は、なんとその期間中に5つも曲をつくってしまったらしい。
それきっかけでこのソロアルバム構想が生まれたそうで。
全編に渡りシンクラヴィアが使われているこのアルバムを作るにあたって、小室哲哉がやりたかったことは、ただただ「シンクラヴィアの使い方がわかるようになりたい!」ってことだったらしい。
ここでシンクラヴィアって何?
という人、大丈夫です。殆どの人は知りません。
シンクラヴィア
シンクラヴィアはシンクラヴィア・シンセサイザーとも呼ばれ、FM音源のシンセサイザー、音源、サンプラー、シーケンサー、ミキサー、コンピューター端末、鍵盤等を抱合した、今でいうデジタル・オーディオ・ワークステーションのことを指すらしい。
いわゆる現代でいうProToolsの走りのようなもの。
1977年に発売されたシンクラヴィアⅠ、
シンクラヴィアⅠ
1980年にはシンクラヴィアII、1984年にはシンクラヴィアⅢが発売され、アメリカのミュージシャンや映画音楽製作者に人気を博したらしい。
当時シンクラヴィアはなんと数千万〜1億円(!!!)もしたらしい。
当時ミュージシャン日向大介(後年ドラマ「ロング・バケーション」のサントラを担当しヒット)が丁度シンクラヴィアを買った、というのを聞いた小室哲哉が凄くシンクラヴィアを使いたくて、日向大介の全面協力の元にこのソロアルバムを作ったそうな。
小室哲哉はこのアルバムで本格的にシンクラヴィアを導入、ドラムとベース、パッドのマスターは全てシンクラヴィアを使ったとのこと。
レコーディングに実際に使われたシンクラヴィア
実は1980年代末にはこのシンクラヴィア、DX7などのシンセサイザーやパソコンを使用したMIDIシーケンサーといった安価で高機能な機器に駆逐された訳で。
じゃ、なんで小室哲哉はシンクラヴィアを使いたかったのか。
もちろん、それらの機材より音や性能といったものは格段にシンクラヴィアが上だったから、というのは前提だけど、もっとミーハーな理由もあったんじゃないか、という予想。
〈エディ・ジョブソンのその後〉
1980年にU.K.が分裂すると、ジョブソンはソロアルバムの制作に着手。
そのかたわら、片足でフルートを吹くので有名なイアン・アンダーソン率いるイングランドのバンド、ジェスロ・タルのアルバム「A」に参加。
1980年8月29日発売
JETHRO TULL
「A」
中央がイアン・アンダーソン(ボーカル、フルート)、右端がエディ・ジョブソン
1983年4月1日にようやく初のソロアルバム
「THE GREEN ALBUM」を発売。
「THE GREEN ALBUM」
U.K.の残り香があって、
このアルバムはかなり好きですね〜。
このアルバムを聴いた元タンジェリン・ドリームのピーター・バウマンが1984年に設立した、
当時流行りつつあった環境音楽、アンビエント・ミュージックのレーベル「プライヴェート・ミュージック」に誘われてアルバムを作成。
翌年1985年に発売したのが、エディ・ジョブソンがシンクラヴィアだけで作り上げた先駆的アルバム、
「テーマ・オブ・シークレッツ」
だったという訳。
残念ながらAPPLE MUSICではこのセカンド・ソロアルバムは聴けません。
こちらはSONY MUSICで聴けるんだそう。
シンクラヴィアの音とはどんな音か。このアルバムを聴くとわかります。youtubeよりも推奨。
蛇足ですが、
エディ・ジョブソンのお師匠様のフランク・ザッパも1年後、シンクラヴィアを使ったアルバムを出したそうで。
1986年11月15日発売
FRANK ZAPPA
「JAZZ FROM HELL」
さらにもうひとつ。
この小室哲哉のソロアルバム
「Digitalian is eating breakfast」。
ゲスト・ギタリストが招聘されてるんですけど、
そのギタリストとは、
当時デュラン・デュランに在籍していた
ウォーレン・ククルロ(元ミッシング・パーソンズ)
だったという、綺麗なオチとなってます。
以上の状況証拠から
多分小室哲哉はかなりU.K.が好きだったんじゃないかな、と推測。
小室哲哉ですら、
好きならオタはどこまでも応援する、ってことですからね。
ご本人は畏れ多い、となったのなら、かなり高感度高いですね〜。
小室哲哉本人も当時人気相当凄かっただろうから。
ある一方向から、小室哲哉とU.K.人脈を中心に描いてみましたが、あくまでも妄想の域です。
ご容赦を。
実はこのアルバム、
ジャパニーズ・ガールズ・プログレッシブ・ロックの先駆者、
VELVET PΛWとも後々関連してくるんです。
それはまた、次回の講釈で。
(下巻・完)