フランス旅行と云えば、何といっても「花の都パリ Paris」・・・・・
我々日本人にとって、太平洋の楽園「ハワイ」の ヨーロッパ版 のようなもので、何度旅行しても飽きることのないのが「憧れの都」パリです。
1970年代から1990年代は日本人観光客がわんさとなだれ込んで「日本人観光客が来ないとパリの観光業が成り立たない」と云われた程でした。
最近では、主役が交代して、中国人、韓国人がパリの観光業にとって一番の上得意様となっているようです。
1999年1月にユーロが導入されてから15年目となりますが、近年はパリのホテル代は恐らく世界一と云われるほどバカ高くなっています。
凱旋門、エッフェル塔、ルーブル、オペラ、サンジェルマン地区などの便利のいい場所は年々価格が上昇してちょっといいところに泊まろうと思った
ら季節関係なく、一泊ツインベット5万円以上するし、朝食も別料金のホテルが多くなりました。
昨年9月、パリを旅行して戻ってきたオージーが 「エビアンの水One Bottle が5ユーロだった」と嘆いていました。 *1ユーロ Eur¥130
それはホテルレストランでも、酒場BAR でもなく、単なる街頭のキオクス Kiosqueで買った値段だったというのです。お水一本の値段が¥650するとは正気の沙汰ではないですよね・・・・しかも小サイズのペットボトルですよ。
残念ながら、これはもう「ぼったくり・・・追いはぎ」の世界です。 有名観光地の “驕り(おごり)“ です。
“しょせん、一生に一度しか来ない お客さん、おのぼりさん″ と判断して、高を括る風潮が根底にあるように思えます。
我々日本人には、PARISはもう “行き尽くした” “卒業した” という声も多く聞かれます。パリ郊外の名所、ベルサユー宮殿、ロワール、シャルトル、フオンテーヌブローなど行き尽くした・・・という方にお勧めは・・・・
何といっても ・・・・・モン・サン・ミッシェル でしょう・・・・
パリから西北へ350km
モン・サン・ミッシェルは、ノルマンディー
地方南部・ブルターニュ
との境に近い 潮の干満の差が最も激しい所として知られるサン・マロ湾にあります。
潮の満ち引きの差は15 m以上ある場所なのですが、そこにモン・サン・ミッシェル修道院(「大天使ミカエルの丘」の意味)のピナクル塔が忽然と現れます。1979年「モン・サン・ミッシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産に登録され、1994年にはラムサール条約登録地にもなりました。
湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩でできた小島は満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に表れる道路で陸と繋がっていました。
ところが、自然堤防の影響により、島の周囲が砂洲
化しつつあり、フランス政府観光局が中心となって、元の「島」の状態に戻す工事が行われています。
この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民
のケルト人
が信仰する聖地であったのですが、中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を
集めてきました。 そして、百年戦争
の期間は地理的にイギリス、フランスの国境、島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目を果たす運命も経験しました。
すぐ北側はイギリス海峡です。 第二次世界大戦時、ノルマンディー上陸作戦のバトルポイントともなりました。
モン・サン・ミッシェルが修道院を創設して以来、1千年以上も歴史がありますが、中世には「監獄」としての役目を果たしたこともあります。
この寺院、毎年、年間350万人の観光客が訪れています。
モン・サン・ミッシェル寺院入場料9EUR、外国人のためのオーデオガイド 別途 4.5EUR、そして寺院内に入ると4つの博物館共通入場料 別途18EUR、 それ以外に寺院内の多くのレストラン、BAR、喫茶店、ホテル、みやげ店などの「みかじめ料」(取締り監督料) の特別収入・・・・などなど・・・これらを併せると年間収入は何十億円、さぞかし修道院長は笑いが止まらないことでしょう。
加えて、世界遺産にも登録された「フランスの遺産」なので、今回の島周辺の自然道路の取り壊し、改修工事はすべて国の予算で実行されます。
その見返りに、モン・サン・ミッシェル寺院側が数名の政治家に政治献金したとの噂、その構図は日本の政界にも共通点があります。
これだけ儲かっているのであれば、せめて島内レストランのテーブルとイスを広く取れと文句も云いたくなります。 とにかく毎日押し寄せる観光客を
レストラン内部の隅々まで、ぎゅうぎゅう詰めにするような商売は止めて、参拝客がゆっくり寛げる憩いの場所にして欲しいものです・・・・・
イギリス海峡に面した、ノルマンディー地方は第2次世界大戦の終り、フランスを占領していたドイツ軍を連合軍が侵攻した上陸地として世界的に有名になった場所ですが、10世紀初頭、当時、ノルマンディー地方を領有していたノルマンディー公はセーヌ川を上って、あちらこちらを荒らしながら、パリ近くまで侵攻した地方の豪族です。 さらには、11世紀になるとイギリス海峡を渡ってイングランド領を攻撃、全土を占領しました。
その後100年戦争などあり、両国の歴史はメチャメチアになり、紆余曲折、いろいろ政略結婚などで塗り替えられたのでイギリス国王の家系図は複雑ですが、現在の大英帝国のルーツはフランスにあるとも云えます。
昨年7月に故ダイアナ妃の長男、ウイリアム王子と同婦人キャサリンさんの間に生まれた長男の名前を聞いて納得がゆきました。
ジョージ・アレクサンダー・ルイ・オブ・ケンブリッジ王子 His Royal Highness Prince George Alexander Louis of Cambridge
英国王室は、なぜ、わざわざ、ルイスという名前を付けたのでしょうか? 歴史を調べても、英国にはルイスという名前の王様はかって存在しません。
英語読みはルイス LOUISですが、 フランス語読み “ルイ” といえばお判りの通り、フランス・ブルボン王朝ルイ13世、14世(太陽王)、15世、16世に代表されるルイLOUISとはフランス国王の象徴的な名前です。 誕生した新王子、ジョージA.ルイスは英国の王位継承順位第3位なのです。
マスコミは一切触れていませんが、“英国の遠い祖先はフランスです” と世界に宣言しているように思ったのは私だけでしょうか?
しかしながら、フランス北部にノルマンと云う名前の領地を得たノルマンデー公の祖先は 9世紀に北欧からやってきたノルマン人(バイキング)に由来します。早い話しが、現在のイギリス王室の元々のルーツは「北欧バイキング」「北方の蛮族」・・・・侵略者の家系なのです。
このような蛮族なので、隣のアイルランド北部の肥沃な土地を占領、ウエールズ北部のスコットランドにも侵攻、我が領土としました。
遠い将来、もし第3次世界大戦が勃発して英国が敗戦国になったら、アイルランド、スコットランド共に 英国から独立するのは間違いありません。
スコットランドでは、独立の是非を問う住民投票が今年2014年9月に行われるのを前に、スコットランド自治政府のアレックス・サモンド首相が英北部の
グラスゴーで独立スコットランドの基本理念「2016年3月が “離脱の日”をまとめた白書を先日発表し、英国政府は困惑しています。
断崖絶壁の上に建っている難攻不落の名城、あの堅固なエディンバラ城塞を攻め落としたイングランド軍はどう考えてみても 当時の“蛮族集団” だったと
今更ながらに思います。事実イングランド軍はかなり手古摺(てこず)り、夜陰に紛れて崖をよじ登って侵入を何回も試みたとか・・・・
仕事柄、世界のいろいろな城塞を訪れましたが、これほど凄い砦は見たことがありません。
スコットランドと云えば「スコッチウイスキー」ですね。 ウィスキー党にはたまらない場所。 現役時代にグラスゴーGlasgow郊外のウイスキー蒸留工場
出張見学に訪れた際に、製造工程の説明があったのですが、まったくチンプンかんぷん、殆ど英語がわかりませんでした。
俗に云うスコットランド訛の英語なので、日常会話でも聞き取りが難しいのにテクニカル用語を使った英語などわかるはずもなし、苦い思い出があります。
(若い頃、関連会社でスコッチウイスキーの輸入業務を担当、でも、ワイン以外は呑めないので、いまだに味がわかりません)
ホテルのレセプションの係員の英語も難解、日本で云う、鹿児島弁、東北弁のたぐいのローカル言葉で滞在中ず~と難儀をしました。
また、私の家内の親しい友人の旦那さんはアイルランド出身のオージーですが、ことあるごとに、アイルランドの肥沃な土地を英国に略奪されたことを嘆き今でも「イギリス嫌い」英国を目の敵に思っています。 おいしい部分のみ占領して、痩せた南部の土地のみをアイルランド人に残したため、食うに食えない民は祖国を捨てて近隣諸国、アメリカ、カナダなどに移民して長年にわたり悲惨な生活を強いられた原因はすべて英国にあると主張しています。