SKYのブログ -110ページ目

SKYのブログ

オーストラリア、シドニーから

冷戦末期の国際政治で大きな存在感を示した サッチャー元英首相 がロンドン市内のホテルで脳卒中にて死去。享年87歳。

先月、ロンドンのセント・ポール大聖堂に、世界各国の要人約2000名を招待して 葬儀がしめやかに執り行われました。

英国で初の女性首相となったサッチャー元首相、妥協を嫌い、強い性格と政治姿勢で「鉄の女」または「日々戦う女」とも呼ばれました。

イングランド東部の町で生まれ、食料雑貨商の娘として育ったサッチャー氏は、英オックスフォード大学時代から積極的に政治活動に参加しながら

下院議員、教育科学相を経て1975年に保守党党首となり、1979年から1990年まで英国初の女性首相として政権を担ったことはご存じの通りです。

10年以上英国のトップの座にいたサッチャー首相は在任中に二つの大きな政治決断を迫られました・・・・その一つは・・・・・1982年勃発の「フォークランド紛争」でフォークランド諸島を巡って争った3か月戦争です。
アルゼンチン軍が英国領土、フォークランド諸島へ侵攻。イギリス、サッチャー政権は毅然たる武力対決を決定し、即時フォークランド近海を戦闘地点として封鎖。
封鎖海域外を航行していたアルゼンチン巡洋艦 ベルグラノ号がサッチャー 氏の攻撃命令により撃沈されて300人の乗員が犠牲になりました。

「戦闘をやめることもできたのに、むしろ激化させた」「情け容赦のない非情な首相」とアルゼンチン側から非難を浴びましたが・・・・英国側に言わせれば、「突然戦争を仕掛けたのはばかなアルゼンチン」・・・・両国のミゾは埋まらず只今も冷戦状態です。

その2 サッチャー首相、苦渋の選択「香港の返還」・・・

中国人・香港人にとって忘れられないのは「香港返還」を決断した張本人であることです。 本日のサッチャー元首相の葬儀に関して・・・・

「中英関係の発展、特に香港返還問題の平和的な解決に重要な貢献をした・・・・・深い哀悼の意を・・・・」との中国側のコメントですが

・・・・・・・裏話は別のようです。 

私のゴルフ友達の香港系豪州人Charles 夫妻は1994年に豪州に移住しましたが、「1997年香港返還後のライフスタイルの変化」についての家族の意見が分かれ 今だに カナダ、香港、豪州と3か所に両親、息子、娘達が別々に暮らしています。彼のセリフでは皮肉をこめて・・・・・「サッチャーのせいで多くの人々が人生を翻弄された・・・」といいます。

我々日本人は、ただ単に 「99年間の租借地・香港の期限が1997年に契約切れになるので中国側に返還した」と解釈していたのですが、実は英国が租借していたのは香港北部、郊外の「新界」だけで、香港島と九龍半島は割譲された英国領なので返還の必要はなかったというのです。

ところが当時の中国の「最高実力者」だった鄧小平1980年以降、香港の全面返還に執念を燃やしていました。

みずからのブレーンを新界に送り 密かに「水攻め戦法」を背景に英国側をゆさぶったのです。

そして香港島 に対する中国の「食料と飲料水の供給方針が変更」がされるかもしれないと、新界からロンドンにそれとなく自然に浸透するように画策します。返還前、当時、食料や水などほぼ全てを中国大陸から輸入していたので、人口が600万人を突破した香港では「新界」の水源なしには香港島、九龍の植民地経営は不可能だったからです。そして、新界を返還した場合、香港島、九龍半島先端の英国領だけでは経済的にやっていけないのは明らかでした。

もう一つの理由は、植民地・香港の経営が赤字だったことです。毎年、毎年、英国政府が国家予算にて香港行政の赤字を穴埋めしていました。

1982年と1983年 には巨額の赤字をだした香港。このような高依存度では、中国が本当に水や食料を止めてしまったら、別の手だてがありません。

中国政府が英国政府に与えたこの「奇策戦法」の衝撃は大きく、加えて 万一の場合中国政府は戦争も辞さないという態度でした。
不幸にも英国本国の経済も停滞中、ここで返還しないという宣言をした場合のデメリットは大きいと考えて、サッチャー首相は香港地区すべての返還の決断。

自分が生まれ育った土地が突然他の国に委譲されるとは? たとえば、あなたが札幌に生まれ育ち、住んでいたのに突然、来年から「北海道はロシア側の管轄権」・・・・と日本政府が発表したら、家族みんなパニック状態ですよね。 一家がまとまらなければチリチリばらばら離散家族になりかねませんね・・・

サッチャーの決断の余波で、香港が「共産化」されると “早やとちり または 疑心暗鬼” となった香港住民600万人の内、富裕層、知識人など約100万人が

カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカなどに脱出、さらに、英国の旅券を保持する約30万の住民が、英国への移住を希望して亡命。

以後 50年間「一国2制度原則 」で香港の現状 が維持されることになっていますが、再び2047年に住民は「共産化」された中国本土に呑み込まれる運命にあります。

今から16年から20年前に国外脱出した旧香港人も・・・「中国の共産化介入はない・・」と判断してカナダやオーストラリアなどで市民権や永住権を取ったのちにまた戻ってきた人も多いのですが、一度国を離れてまた、元の暮らしに戻ることは容易なことではありません。 家族の意思・思想が一致しないと困難です。

しかしながら、もし、英国本国の経済が停滞した状態でなくて、経済的に豊かで軍事力も整備されていたならば、状況は一変していたかも知れません。

フォークランド紛争勝利の後、時の勢いにまかせ「香港租借期限延長」を中国側に求めて、場合によっては一戦を交えたかもしれません。

しかし、現実は厳しく、もし紛争を起こせば、その戦後の香港の復興のために英国本国から多額の税金を投入することになっては英国本国の経済が破綻しかねないと考えたサッチャーは止む無く返還に合意せざるを得ませんでした。 それだけタイミング、返還時期が悪かったということでしょう。

サッチャー首相が鄧小平と会談の結果、香港返還を決意したのは1983年のことですが、それは租借期限が切れて、1997年中国に返還する14年も前の話です。そしてその返還までの間に数度香港を訪れたサッチャー首相はその都度「自分の政治生活の中で最大のミスを犯した」と後日、回顧録に追憶しています。

ところで・・・亡命(Asylum)ですが・・・古くは1789年 フランス革命時代から「亡命」という言葉が普及しはじめます。

毎年世界のどこかで亡命事件が勃発しています。 朝鮮動乱、キューバ革命、ベトナム戦争、レバノン内戦、ユーゴスラビア革命、ベルリンの壁撤去、天安門事件、ウイグル人亡命、チベット亡命政権、アフガニスタン内戦、ギリシャ内戦、ソ連崩壊などなど・・・いろいろな内乱、政変、革命、戦争の前後には、多くの「亡命者」や「難民」と呼ばれる人たちが発生します。
また、脱北者が北京の日本大使館、または日本人学校へ駆け込んで亡命を求めたりする事件も起きています。

我々には想像もつかない過酷な運命を生きている人々が必死に戦っているのです。難民のなかでも特に政治的弾圧や宗教・民族間の紛争などの理由で外国に逃れ、保護を求める人たちが「亡命者」と呼ばれています。

但し「難民&亡命者」を分ける明確なラインはありません。そもそも「難民条約」は、政治的亡命者を保護するためにつくられた条約です。

日本は1981年に「難民条約」を批准し、認定制度を設け、その後2004年までに330人の「条約難民」を認定しています。

が、日本は先進諸国から「難民鎖国」と非難されています。認定者数が格段に少ないからです。今、世界に難民は約2000万人もいます。

1990年から10年間の難民認定者数はドイツ約16万人、カナダ約13万人、アメリカ約8万人に対して、日本はわずか60人…。

亡命の「命」というのは戸籍のことです。 ですから、亡命とは、「戸籍を失う=自分の国を逃げ出して別の国に住む」ということなのです。

ただし、逃げ込まれたほうの国は、一般的にはその人を保護する義務はありません。だから追い出すことも基本的には自由にでき、その場合は「亡命者」は、どの国からも保護を受けられない人になります。
したがって、殺されても強盗されても、救済を求めることができないのです。そういう意味では、命がけの行動です。

亡命するということは余程の事には違いないのですが、そもそも誰でも外国に自由に旅行に行ける国の人は、亡命するということはありません。
例えば日本人なら、わざわざ危険を冒して亡命する必要はありません。

“安倍政権はけしからんので亡命したい !” と願い出た場合、今の所、亡命先は「北朝鮮」ぐらいでしょう・・ほかの国は自由にゆけますから。

つまり資本主義国からの亡命先は共産圏しか考えられません。
亡命する人は、国籍離脱の自由が認められていない国の人、あるいは認められなかった人です。
今で言えば北朝鮮から韓国に亡命する、というような例です。  日本から北朝鮮へ亡命する輩はどこにもいないでしょう?
普通、亡命とは主に政治的な事情により政治家や軍人、スパイなどが他国に逃れることを意味し、一般人の場合は「難民」と認定されます。

日本が「亡命・難民鎖国」と非難される背景には、もし、受け皿を自由にしたら「在日韓国人、在日中国人」を日本人と認めるという議論に

発展するから、この先しめしがつかなくなる・・・という影の判断が政治の世界で動いているのです。

日本人の差別意識、レイシスト思想を根本的に解消する運動に国家を挙げて(・・・仮に始めた)実施したとしても・・・・・

・・・・・子子孫孫まで語り継がれ、平常思想に戻るのに約450年以上の歳月を要するそうです。 トホホ・・・の世界ですね・・・

ちなみに・・・・この国、オーストラリアは代表的な難民・亡命者の受入れ国です・・・押し寄せる難民認定の希望者の数は年々増え続け、去年、2012年、正規の難民認定者だけでも2万人、それに加えて正規以外のボートピープル (密航船 Boat People) 1万人をクリスマス島、マヌス島、ナウル、ダーウインなどの収容所施設に保護せざるを得ませんでした。

彼らは パキスタン、スリランカ、インドネシア、アフガニスタン、イラクなどイスラム系の人々ですが、密航者なのでパスポートも持ってなく

個人の犯罪歴、病歴などもまったくわからず、個人面接をして詳細を本人から確認するものの、その内容が真実か偽りか不明のまま。

それどころか、今年1月~4月迄にすでに3万人の「難民」Refugeeを受け入れています。 労働党、自由党の次の野党第三党のグリーン党 

が難民保護政策を唱えて大幅な難民の受け入れを強要したからです。しかも労働党党首のジュリア・ギラード首相のあと押しもあったようです。

現在の豪州女性首相 (労働党) ジュリア・ギラードは、理容師のボーイフレンドがいますが、それは表向き。彼女はレスビアン。且つ大学生時代は

バリバリの共産党員でした。 そんな訳にて人道的立場から「難民の受入れ容認派」の影の推進者です。

豪州では、今年9月に国政選挙があります。 野党、自由党のトニー・アボット党首は政権奪回をめざしています。 世論では、現在の労働党政権は崩壊して、次期は「自由党」の天下になると論評 (・・ほぼ70%確実 )していす。 シドニーを管轄するN.S.W. ではすでに自由党が昨年の選挙で16年ぶりに政権を奪回しています。 この波はさらに全土に広がる傾向にあります。

何れにしても、こうした難民の受け入れにかかるコストが今、大きな社会問題になっています。
施設に収容するコストは、2009年は、3億6,000万豪ドル、日本円で360億円だったのが、2011年には9億3,000万豪ドル、930億円相当、
ほぼ3倍にまで膨れあがっているのです。財政赤字に苦しむオーストラリア政府としては悩みの種です。
教育や福祉の予算の削減が検討されている中で、膨れあがる難民関連予算に国民から不満の声が上がっています。

難民の急増に歯止めがかけられなければ、2年後の難民政策にかかる予算は、今年の3.5倍の35億豪ドル、日本円にしておよそ3,500億円近くになるであろうという試算もあるからです。
このため野党の保守連合は、船で豪州を目指す難民は場合によっては元来た国に強制的に送還するべきだと、より強硬な難民対策を求めています。

ある調査によれば、難民と認定された新豪州人のほぼ80%は、就業する意思も乏しく、ポケットには多額の蓄財を保有、携帯電話を使って元の自国の

友達と交友を深めるというようなふるまい・・・・果たして、彼らは 本当の「難民」Refugee なのか? という声なき声が聞こえます。