コチュジャンを食べたことがありますか? その1 | SKYのブログ

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オーストラリア、シドニーから

「韓国料理」と聞いただけで 一種の拒否反応を示す人もいますが、外国に住むと、日本人の口に合った外食レストラン探しに苦労します。


海外旅行中であれば、その土地の名物料理とか、普段めったに食べられない料理を優先して探します。しかしながら、長年海外に住んでいる我々は、まず、適当な「日本食レストラン」がなければ、次に「中華料理店」を探します。


中華料理が食べたくない日には、その次に「韓国料理店」を探します。 日本では「焼肉料理」が定着しているので昔ほど嫌う人は少なくなりました。

つまり、個人差がありますが「日本料理」「中華料理」「イタリア料理」「韓国料理」「タイ料理」「ベトナム料理」が順当な序列となります。


伝統、格式、権威主義に興味のないオージー達(豪州人)は「フランス料理」をあまり好まず、この地では人気がありません。もしあったとしても、大衆的レストランに属するBrasserie ブラッセリエ 又は Bistro ビストロ という肩の凝らないお食事処です。

 

「ローストビーフ」で有名なイギリスですが、和食の様に多彩なメニューがないため、シドニーには「英国料理店」看板を見たことがありません。

つまり、英国以外の国では「英国料理店」というのは滅多にありません。しいて英国風料理といえば 魚の天ぷら Fish & Tipsでしょう・・・

フィッシュ・アンド・チップスは、白身魚にコロモをつけ、油で揚げた白身魚のフライに、チップスと呼ばれるフライドポテトを一緒に合わせて出すという単純な食べ物。味覚オンチのイギリス人の国民食・ファーストフードです。 揚げ物なので毎日食べるとメタポ調になるのですが、とにかく単純にしてめちゃ美味しい。


シドニー郊外をドライブして近隣の街に入りレストラン探しをすると、どの街角でもファーストフードとしても君臨、Take Away(お持ち帰り)としても重宝されています。但し、日本からの大事なお客様・VIPをお誘いする店としては多少躊躇しますが、他に適当なレストランがなければ仕方なし・・・ 余談はさておき・・・・・

男性諸氏には全く興味のない話かもしれませんが、「コチュジャン」を食べたことがありますか?“何ですか? コチュジャン? そんな食材は聞いたことも食べたこともありません! “ ・・・・でしょうね・・・大体の男性は・・・・今日の話題は、韓国の基本調味料の話です。

この地、シドニーでは、中国産の食材は中身に何が入っているか不信感が強くて、日本国内同様、日本人社会には余り人気がないようです。

しかしながら、Made in Korea は車、テレビ、冷蔵庫など家電製品を含めてオージーには価格面の安さで人気があります。

(ガンコ一徹の日本人は韓国車、テレビ、冷蔵庫は無視、多少高くても他の日本製メーカー品を無理をしてでも選ぶ傾向にあります)

しかし、食べ物は別儀と考えている日本人が多くなりました。

コチュジャンとは「韓国唐辛子みそ」・・・・日本のみそ、しょうゆに相当する韓国の基本調味料です。 キムチの素にもなるもので、あのビビンバ、チゲ鍋にも欠かせない調味料なのです。

主原料は大豆、もち米、唐辛子、塩などでつくる発酵食品、韓国製瓶詰のふたを取って味見すると、一言で云えば「甘辛のとうがらしミソ」という感じで、

中国産の豆板醤(とうばんちゃ)よりも少し甘いイメージです。 “甘辛い”という表現の方がアタリかも?

辛さ、甘み、香ばしいさ、酸っぱさなど、さまざまな味がひとつになった韓国独特の製品で、料理の味付けに加えたり、そのまま各種料理につけても召し上がれます。日本のみそに酷似しているので、日本のエバラ食品、江崎グリコ(株)日出味噌なども Made in Japan として日本国内で発売しています。

日本 の唐辛子と同じ赤みを帯びた色で、甘辛い味に特徴があるので「唐辛子味噌」として定着しつつあります。

コチュジャンは唐辛子(コチュ、고추)の (調味料)の意味。コチュは、苦椒(コチョ、고초)が訛ったものと云われています。

特に日本では麦芽 水飴 )、砂糖 を加える場合が多いので、韓国製よりも日本製の方が少し甘みが強いと云われています。

ビビンバ のほか、鍋物 煮物 炒め物 和え物 から薬味 などにも用い、そのまま生野菜 につけたり、直接飯に混ぜこんで食べたり。用途がきわめて広く頻繁に用いられるため、日常の食事に欠かせない調味料となっています。

シドニーでは おいしい韓国料理店は 別名「韓国村」と呼ばれている 「Eastwood イーストウッド」という街にたくさん出店しています。

道路の両側至る所に “ハングル文字” の看板が掲げられているので、思わずここは韓国の何処かの地方レストラン街か? と勘違いさせられます。


一番驚くことは、料理を注文すると、注文もしないのに「前菜鉢」(バンチャン)6品から12品(おかわり自由)が提供されます。

ソウル、東京、シドニー・・・・・食べる場所は違っても、前菜鉢の数の多少の違いはあってもサービス内容はだいたい一緒のようです。

バンチャンの必須はキムチ、その他、ほうれん草の胡麻和え、ワカメ、ナムルやジョンなど、お店によって種類も様々なので何がでてくるのかも楽しみのひとつです。韓国料理は “辛い” との理由で一切食するのを「拒否」する人も多いのですが・・・ホントーはそんなに辛い物ばかりではありません。

私の初めての海外旅行は韓国でした。 1968年(昭和43年)OSAKA YMCA 団員6名の親善交流団YOUTH DELEGATES TOUR 9日間の旅に参加したのです。日韓国交正常化 (日韓基本条約締結1965) からわずか3年後、 関西空港はまだなくて、海外旅行は大阪伊丹空港からの飛行機でしたが、ジェット機でなくて、まだプロペラ機の時代、海外旅行にはまだ規制が厳しく持ち出し金も$500ドル以内という具合で現在のように無制限の時代ではありませんでした。

大阪伊丹空港からの離陸が大幅に遅れた結果、ソウル空港乗換後目的地、韓国第3の都市 大邱行き(テグ TEGU)の接続最終便に乗り遅れました。

ソウル空港の所長がたまたまYMCAのメンバーであったコネを生かして、釜山行きの最終便を、この日に限って我々の為に大邱空港に臨時着陸許可をしてくれました。


おかげで、翌日から予定されていた(韓国最初の女子大として有名な)「梨花女子大学サマーキャンプ」に予定通り間に合って楽しく参加できました。

その際に提供された食事「ビビンバ」「キムチ」「チゲ鍋料理」などでした・・・・赤い色をしたミソのようなものを食べたのですが、今から思えばそれは間違いもなく韓国の基本調味料「コチュジャン」だったのです。当時は予備知識もなく、また食材には関心がない頃でした。


梨花女子大のほか、地元の大学生もキャンプに合流していたので、和やかな雰囲気。 男女とも青年の目は清く澄んで、希望に満ちて、昇り竜のような、たのもしい印象と“これから先は日本に追いつけ、追い越せ” というメッセジーを強く感じました。 

翌日、大邱駅から釜山に行くため大邱駅で列車待ちをしていた時の光景を今でも忘れません。 1945年終戦、韓国を占領していた日本軍人、家族が完全撤退してからその“国交断絶” の空白期間が23年。 日本人が誰もいなくなった土地に「6名の日本人」が突然姿をあらわしたのです。


駅のホームに上がった時、眼下の広場には、韓国人数人しかいなかったのですが、恐らく誰かが・・・「日本人のグループが駅のホームにいる」と告げたでしょう・・・周辺の住民が三々五々集まり、釜山行きの列車がホームに入るまでの20分程の間に何百人の群衆に膨れ上がりました。

不思議なことに すべての人が「むくち」「無表情」・・・笑顔もなく、怒りの態度もなく・・・ただ珍しそうに我々を凝視していたのです。


言葉がわかりませんでしたが、その人々の心中は・・・・・(おそらく)、懐かしい日本人だ!と思う人、日本人に敵意を抱いている人など・・・・

襲われるとは思わなかったのですが、同行していた女性の団員は “とても恐ろしかった“ と後日回顧しておられました。

想像して下さい。 見ず知らずの何百人の人々から、頭の上から足元の先まで、無表情でジロジロみられる場面を・・・・・かなり緊張しますヨ。

ホントーの人数は百人前後だったかも知れませんが、私には何百人、何千人にも見えました。 


群衆の殆どは日本語の教育を受けたので、日本語を喋れる人も多くいたはずです・・・懐古感、拒否感、友好感、敵対感・・・・いろいろな感情が入り乱れた瞬間だったと思います。35年間も日本に併合(占領)されて弾圧された民族のうらみ、つらみも多々あるでしょうが、日本侵略軍が韓国民すべてに平等の教育制度を確立したことなどは、歴史的事実であり後の「韓国教育分野」では友好的にとらえられています。

あれから71年・・・・グローバル企業として、サムスン電子、LG 電子、現代自動車が世界に進出して日本企業と互角に競い合っています。

家電製品、エレクトロニクス、自動車の分野で日本を追い越すのは時間の問題ともいえます。 造船業、鉄鋼業においてはもうすでに追い越されています。


世界最大の造船所は現代、第2位 サムソン、第3位 大宇 とすべて韓国勢、 鉄鋼はポスコ(POSCO)が世界ランキング第3位など・・・・

日本に住んでいると余り脅威を感じないでしょうが、東南アジアに住んでいる日本人は韓国人にいろいろな分野で追い越されていることを実感します。


“韓国人は根性が悪い” “性格が合わない” “商売のやり方が汚い” ・・・・日本人はいろいろ非難、中傷を繰返していますが、あと数十年先には彼らに脱帽する日が来るでしょう。我々世代の日本人は、韓国人に優越思想を抱いているのは事実です(・・そういう教育を受けたから)・・・・・豊臣秀吉も武将達に新たな恩賞を与える為に朝鮮出兵を敢行するというバカげたことをしたのです・・・・

反対にもし、日本が韓国に35年間、支配占領されていたとしたらどうでしょう?  平和を取り戻した後、すんなりと韓国人を受け入れるのは難しいと思います。

日本政府も「竹島、慰安婦、歴史認識」などで、只今、韓国と冷戦状態ですが、根気よく努力して説得する以外に方法がなさそうです。