昔から、嫁と姑の仲に代表されるように「 犬猿の仲」というセリフがあります。 もし、嫁姑の仲がよければ世間にめずらしがられて、二人揃ってテレビにも出演するとか・・・・「ええ恰好しいの東京人」を毛嫌いする関西人と、「ガラの悪い大阪人・関西人」は大嫌い!・・・・と関西人を蔑む、みくだす関東人の態度を比較すれば一目瞭然、まるで水と油、すでに、400年も前の昔から、言語、風俗、習慣の違いからまったくソリがあいません。
我々関西人が一番傷つく言葉は・・・・関東人は面と向かっては ^o^ ニコニコするのに、陰に廻ると「私は関西人が嫌なの!」と抜けぬけと言い放すことです。だから関西人は「関東の人は虫が好かん」とかいって、負けずに反撃するのです。・・・・という事は、やはり「犬猿の仲」と云われても仕方がないですね・・・
昔の人は 誠に的を得た諺を残しますね・・・・
「 京都十代,東京三代,大阪一代」…その土地の人間になりきるのは「京都では十代」(10年) かかるが東京は三代、大阪は一代でよいという意味です。私は現役時代 京都支店に勤務した経験があり、京都人の気質をある程度知っているので、この意味がよく分かります。
つまり、他府県から京都に移住して住み始めても、向こう三軒両隣の人々と朝夕のご挨拶ができる迄に、最低10年以上かかるという意味です。
まともに挨拶をするだけで10年も要する土地柄なので、お友達として近所づきあいをするまでに、それから先、あと何年かかるか全くわからないということです。私の会社の先輩家族が同じような境遇を受けたので、ウソ偽りに話ではありません。 では、なぜ京都人がそんなに他人に冷たいのか? と云えば・・・・悲惨な歴史にあります。 つまり、京の都の人々が 静かに暮らしているのに、保元の乱、平治の乱、応仁の乱、そして、幕末には鳥羽伏見の戦いなどで、よそ者がなだれ込んできて市内各地で戦闘、京都の町がその都度大きく破壊されました。 親子何代にも渡りこのような戦場と化してしまうと、土地の人間以外には閉鎖的にならざるを得ないのです。
つまり、よそ者(京都人以外)に対して、表むきはニコニコ(差しさわりのない笑顔)なのですが、本心は(警戒心)排他的なのです。
“あなたは大阪の人間でしょう・・・ 何れ大阪にお帰りになる人でしょう・・・” という具合で、お付き合いはあくまでも表面的で「腹心の友」にはなりえません。
勿論、京都人と云っても、山陰地方、滋賀県(近江)から都に住みついた人、都の中心から外れた、大原、嵐山、鞍馬、高雄地区の住民との気質はまた異なりますので、すべて「話半分」としてお聞き下さい。 少なくとも大原、鞍馬地区の人々は温かい心で、よそ者を歓迎してくれました。 歴史的にみて、よそ者に破壊されたことがないからでしょう。
京都人が大阪人などよそ者を警戒して受け入れないのは、歴史的にみてある程度仕方のないことですが、もう一方で、京都人は「部落差別をする冷たい人」という批判があります。JR京都駅東側から鴨川の西側までの一帯に広がる崇仁(すうじん)同和地区と呼ばれるこのエリアは日本有数の被差別部落のひとつで知られています。※「部落」という言葉にはもともと差別的な意味合いは無いので使用させていただきます。
江戸時代の士農工商という身分制度が敷かれていた時代、さらにそれらの下にエタ、非人という最下層に設定された階層がありました。 戦いに敗れた武将を処刑にしたり屠殺場の雑務に従事させられ、居住地も強制的に指定された時代があったのです。 なかでも高瀬川の下流、七条から九条にかけてのこの崇仁地区が、最大規模の賤民居住地域でした。
さらに、1945年前後、戦前・戦後に、冷遇を受けた韓国・朝鮮人たちが隣接の「東九条地区」に住みつき電気、水道もない貧しい地区となり寂れた町となりました。
現在は部落差別地域というのは、ほとんど存在しなくなっていますが確かに、わが国の「高度成長期時代」(1960年~1970年) 以降でも、差別地域と差別はあったのは確かです。しかしながら、京都人を弁護する訳ではありませんが「部落」を差別するのは、東北、関東を除いた他、関西地区でも一般的に “差別思想” があり、一概に京都人ばかりを責められません。
大阪、京都、奈良、兵庫、福岡などは「部落」の多い街として知られていますが、わたくしが約20年間住んだ奈良(法隆寺の近く)の住宅街でも他人事ではありませんでした。
土地の値段が高い大阪から多くのサラリーマンが大阪より少し値段の安い奈良の住宅地に引越しをしたのです。 幸い我々の新興住宅地は「古い因習・しがらみ」は全くなかったのですが、長年奈良に住んでいる古い地区の人は、近所付き合いがとても大切で、出産祝い、結婚祝い、新改築の手伝い、選挙応援、水害時の世話など少しでも怠ると「村八分」にされると聞きました。
まったく、次元の低いおろかな話しですが、となり近所に相手にされなくなると他の街に引越する以外に道はありません。
また、居住する地区によっては、「土地の価格が極端に安い場所」があったり、土地柄の悪い地域にたまたま住んでいたら(本人さえ知らない・・・)、結婚相手の母親が戸籍・素性調査を行い、「部落出身地域」に住んでいるという事で結婚を反対されたということもあるのです。
奈良の都が平城京におかれたのは、長岡京に都が移るまでの、わずか74年ほどだったので「選民思想」を持っている人は京都人程いませんが、死語化しつつある「部落差別問題」「同和問題」が今でもまだ残っています。 それは “時代遅れだ” といくら叫んでも古い因習、しきたりはたやすく消え去りません。
もっと簡単な話・・・・もしあなたの親族、身内の誰かが生涯の伴侶を得たとします。「アメリカ人・オーストラリア人と結婚します」ならまだしも許せますが「朝鮮人・ユダヤ人と結婚します」とならばどうでしょうか? “ちょっと考えなおしてくれない?” とふと心のどこか隅で「人種差別思想」が働くでしょう? 曰く“世間体が悪い” “無理をしてそこまでしなくても” と批判的な発言がでるのです・・・・そんなとき、人間には「排他意識」が生まれています。
「選民思想」の話に戻りましょう・・・・
同じく、神戸支店に勤務した同僚の話では、「貴方は大阪の人間でしょう」と云って相手にされず差別されてしまいます。 航空機のない時代には、洋行船舶からの文化、文明の入口だったので ファッションの発祥の地でもあり、神戸人は “垢抜け” しているとも云われます。 だから神戸人からみると大阪人はダサイのです。大阪の住民でも、ちょっとおしゃれなファッションセンスのある若者は、わざわざ電車に乗って神戸までショッピングに出かけます。
同じく、横浜も東の文明の入り口、開港の地という自尊心があり、浜っこは、神戸っこと同じく、誇り高く、田舎から出てきた東京人の集まり(集団)をバカにする傾向があります。しかも、横浜にはおしゃれで洗練されたイメージがあり、京都、神戸と同じく「選民意識」を強く持っています。
この極めて特異な考え方、「自分たちが選ばれた(優秀な)存在である」とする選民思想は、イコール「エリート」的風潮の表れに過ぎず、時には、ムカつくことがあります。
そうです。京都、神戸、横浜の人間には、時には、誰もが、勘違いするほど、鼻持ちならない輩が多いのは事実なのです。
「 京都の着倒れ、大阪の食い倒れ、江戸の買い倒れ」…
京都は着物にカネを使って,大阪は食べるモノにカネを使って,江戸は女郎買いで身上をつぶす・・・・という話もずいぶん昔から云われています。
「東男に京女(あずまおとこにきょうおんな)」という諺もあります。男らしくて粋なのは江戸っ子で、美しく女らしいのは京都の女である、という意味で、この取り合わせがお似合いであるとされたのです。「京女に江戸男」とも云います。 反対に 昔から「東女に京男」は水と油で相性が合わないのでダメといいます。 なぜ??言葉のアクセントで「関東の女はキツイ! 関西の女はやさしい、柔らかい・・・」と具合に何となく聞こえるのでしょう。
こんな話もあります・・・・
「 東京と大阪と名古屋の男が一緒に食事をした。食事が終わって席を立つとき、東京の男は,いかにカッコよくみんなの分を払おうかと思って席を立ち、大阪の男はいかにワリカンにもっていこうかと思って席を立つ。そして,名古屋の男はどうお礼を言おうかと思って席を立つ」…東京人のエエカッコシイを,大阪人の金に細かいことを,名古屋人の金にうるさいことを誇張している言葉ですが、ある意味でアタリと考えます。 もちろん “ある一面” の話です・・・
東京と大阪では、どちらが良いかという判断を抜きにして、風土が違い、住んでいる人の気質も違います。生活習慣の違いで顕著なのは買物で、大阪では値切る(店屋は勉強する)交渉をするのが一般的ですが、東京では殆どしません。
「 東京人はいかに高かったかを自慢し,大阪人はいかに安く買ったかを自慢する」「 京都は過去に生き、東京は現代に生き、神戸は未来に生きる。そして大阪は今日の夕方まで生きる」 大阪人は短気、軽率、おっちょこちょいなのです。外国人からみれば、単に日本人、韓国人、中国人という具合に簡単に気質を結論付けますが、同じ日本人でも、微妙な気質の違いがありますね。
話しは、本題に入りますが・・・・ 東京人は大阪人が嫌いです。 大阪人は東京人が嫌いです。 そもそもの原因は1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦い<天下分け目の合戦>からです。
天下取りの野望に燃える徳川のオッサンが、云いがかりをつけて、秀頼を脅し、戦いをしかけ、挙句の果てに自害させて、すべての権力を関東に持ち去ったからです。「冬の陣」「夏の陣」以来、関西人は豊臣家に同情しているのです。「関ヶ原の戦い」が原因で東京の幕府の人はずっと大阪を排斥、抑圧してきたのは事実。 関東人(徳川)と関西人(豊臣)が相互に軽蔑している原因もこれなのです。
徳川の本体が関ヶ原に遅参していたのは関西の好機、もし、あの時に、若干19歳の若造、小早川秀秋大将の寝返りさえなかったら、関西軍は勝利を収めていたはず・・・・あの日以来、なにもかも歯車が合わないのです。 東京男は大阪男の言葉を嫌います。 “ほんまなかいな” “アホかいな” “そうかいな” など柔い表現が生理的に嫌いなのです。
そして、大阪男は東京男の “だめなんだよ!” “バカ!” “ ”OOしちゃってネ“ という言葉を聞くと虫唾が走ります。 関東弁・関西弁はともに苦手に思ったり、キツく感じたりするのです。 食べ物を比べても、東京ラーメン、ソバ、味噌汁など食べると味が濃くて、関西人はとても馴染めなく、素直に受け入れられません。
私が初めて東京で色の濃いラーメンの汁を吸ったとき、余りにもまずくて吐きだしそうになりました。 ホントーなのです。言葉、食べ物が合わないと、何もかも合わないと思うようになり、性格的にも合わないのではないかとあれこれ迷うようになります。
私も苦い経験があります。 入社早々、東京・板橋の中央研修所で「1か月研修会」がありこの間、缶詰め状態で社業の勉強に励みました。
最初に困ったのが関西弁。関東出身の同級生達は、私がちょっと関西弁をしゃべっただけで、一笑して小馬鹿にするのです。
関西人は関東人の勝ち誇ったような(プライドが高いと感じさせるような)高圧的態度が許せません。 当然、すぐに言葉の壁にぶち当たり口喧嘩となりました。今から思っても腹が立つほど傍若無人、傲慢な態度でした。 大阪生まれの私は、あの日以来、関東人が好きになれません。
現在では、大企業の本社は殆ど関東に集中しており、首都圏東京は「人、物、金」の3権力、プラス「情報」を握っています。
残念ながら最終的に関西は東京に歯が立ちません。 新しく「情報」が加わったため東京に優る “時間とスピード” がないと勝利者にはなれません。
日本の大企業の多くは大阪が発祥の地で、しかも「商人の天国」なのに、時代の流れと共に、「本社部門」はほとんど関東にもっていかれました。
大阪の上場企業の東京本社移転はすでに1960年代から始まっており、1970年代には「複数本社制」導入(東京本社・大阪本社)という形で多くの一流商社、大手銀行などが関東に拠点を移してしまいました。
本社機能を東京に移すと、大阪は自然と “地盤沈下” するのは当たり前。 おっちょこちょいの大阪の商人(アキンド)です。
ところが、京都の大手企業は冷静沈着、まったく動きません。
京セラ、日本電産、オムロン、任天堂、ローム、島津製作所、宝ホールデング、ワコール、ニッセンなどなど・・・・すべて京都の地で勝負しています。
京都人も東京が嫌いなのです・・・なぜなら、天使様(天皇)を誘拐して江戸城に持ち去ったからです・・・・