幕末の日本、凄惨を極めた北越戊辰戦争
徳川慶喜が大政奉還したにもかかわらず、
どうして日本中が二分して戦わなければならなかったのか?
各地で展開された痛ましい戦争の記憶は今も私たちに語りかける。
・・・何故、越後長岡のような小藩が
薩摩長州のような大藩と 戦わなければならなかったのか?
幕末の長岡藩の家老 河井継之助率いる長岡藩士は 果敢に西軍と戦って敗れた。
敗れた河井継之助ら長岡藩士とその家族・家来たちの多くは
険しい山を越えて福島側に逃れた。
福島県只見町は 河井継之助が最後の12日間を過ごした場所である。
激しい戦闘で負傷した河井継之助。
化膿した傷から身体中に毒素がまわり、全軍の指揮をとることができなくなった。
険しい山道を
やっとの思いでたどり着いた地が只見町。
人口僅か数千人の山間の集落に
河井継之助ら 長岡からの難民が押し寄せた。
そのかず、1万とも2万ともいわれる。
戦いに敗れ、着の身着のままで山を越えて来た長岡藩士とその家族たちに対し
只見町の人たちは言葉に尽くせないほど、温かく接してくれた。
自らの食糧を分け与えるばかりでなく、農民のとっては命よりも大切・・・と言われる「来年の種籾」までも提供して
長岡から逃れて来た人々の食糧としてくれたという。
只見町の地で力尽きて落命した長岡の人の墓をつくり、今日迄
法要を欠かさず、150年もの間、守ってくださっている。
福島県只見町の皆さんの温かい心遣いには胸が熱くなる。
今回、長岡の『河井継之助記念館』の研修旅行で
福島県只見町の『河井継之助記念館』へ行ってきた。
大型バスで 険しい山道を走ること約3時間弱。
当時は今とは比較にならない大変な道のりだったに違いない。
美しい風景と 只見町の人たちの優しい心遣い。
間違いなく星空も美しいと思う。

