数年前、『河井継之助記念館の友の会』の集まりで、こんな話をさせていただいたことがある。
「司馬遼太郎の『峠』の中に
河井継之助が自身のことを「鴉」にたとえている描写がある。
通常の鳥は太陽を背にして飛ぶけれど、鴉だけは違う。
太陽に向かって飛ぶ鴉こそ
自分自身と同じなのだ・・・と
河井継之助は時代が大きく変わるのを予見して
自らの命を燃やし尽くすかのような活躍をする・・・そのイメージを 司馬遼太郎は「鴉」と重ねて描写されたのだと思う」
・・・でも、なんで
「鴉」なんだろう?
私はそのヒントが
当時の東洋の宇宙觀?によるものではないかと考えて
『東西天文学史』を持参して
勉強会の最中に自説を話させていただいた。
『鴉』は太陽に住むと考えられていた神の使いであり、
河井継之助は 日本を新しい時代に誘う神の使いを自身に重ねていたのではないか・・・?
司馬遼太郎はそんなことを考えて
河井継之助を「鴉」にたとえさせたのではないか?
館長の稲川明雄先生は 素人の私の稚拙な意見を目を細めながら聞いてくださった。
勉強会・・・といっても、稲川明雄先生の独演会になってものつまらないので
毎回 何かネタを持ち込んでは
稲川先生に質問するのが楽しくて仕方なかった。
この時の話をもとにして、河井継之助記念館の会報に 2度ほど記事を書かせて頂いた。
稲川先生はあれこれ注文をつけられることもなく、素人の私の文章をにこにこしながら褒めたくださった。
稲川先生から見ると、アマチュア天文家の視点そのものが面白いのだそうだ。
稲川明雄先生は有名な郷土史研究者の方なのに 少しも威張ったところはなく、終始腰の低い方だった。
残念ながら、コロナ禍の直前、2019年12月に 鬼籍に入られてしまった。
