Ginza澄海汗まみれ奮闘記 -4ページ目

Ginza澄海汗まみれ奮闘記

Ginza澄海店長増田の奮闘記です。

Ginza澄海 汗まみれ奮闘記

このブログは、

私、店長増田が引き起こす、
毎日のすったもんだの奮闘記です。

おかげさまで、今月3周年を迎えることが出来ました。

それを機に、
澄海の軌跡を綴っていきたいと思うようになりました。

ほとんどが、
悲しいことに失敗談になるかと思いますが、

読んでいただけたら、嬉しいです。

最初に、少しだけ、
自己紹介をさせて下さい。

1977年6月12日生まれ。

神奈川の箱根出身。

箱根という立地条件から、

学生時から、
旅館やホテルでお皿洗いの
アルバイトをしていました。

そこで
料理人の方達の理不尽さを見て、

将来、
絶対料理人になんてならない、

と誓っていました…

●なぜ、
料理人になってしまったのか

大学卒業後、

就職活動は1回もせず、
何も決めないまま実家に帰りました。

突然、
山梨のペンションに就職。

理由は、
大好きなフライフィッシングが
毎日出来そうだったからです。

最初は、
ただ釣りがしたかったから
という不純な動機です。

そこのオーナーシェフは、
元帝国ホテルの料理人でした。

完全に予定外の
フランス料理の道に入ってしまいました…

そのオーナーから、
料理以外にも仕事をするスタンスなど、
社会人に必要な全てを叩き込んで頂きました。

8年間お世話になって退職。

すでに、
フランス料理の虜になっていた自分にとって、
料理以外の仕事が無意味なものに感じてしまい、
退職を決意しました。

自分を育てて下さった感謝の気持ちを忘れて。

若気の至りだったと思います。

そして、

静岡に引っ越しして、結婚。

清水の澄海(スカイ)という
飲食店をリニューアルする際の
店長をやらないかという
お話をもらい、即決断。

たくさんの明るい展望を持ちながらのオープンでしたが、
夢と現実のギャップを思い知らされました。


●明るい日々の予定が地獄の日々に…

連日の売り上げゼロ。

仕込んでも仕込んでも、
自分の料理を食べてくれるお客様が来ません。

初めてチラシを作り、
開店前、閉店後、休日、
とにかくチラシを配りました。

気付くと空が明るくなっていた日も…

しかし、
全くチラシの効果が出ません。

自分が苦労して配ったチラシが
道に捨てられているのを見た時は本当に悲しくなりました。

しかも、何枚も、何度も…

寝る間も惜しんで配ったチラシが、
スタッフと協力して配ったチラシが、
読まれることなく捨てられていました。

“うちの店なんて魅力ないんだ”

“だいたい自分の料理なんて食べてくれる人いない”

“自分は世の中に必要とされてないんだ”

完全に自分の存在価値を否定され、
その悩みも誰にも言えず…

もう、辞めよう…

こんな苦しい思い、嫌だ…

何度も何度もそう思いました。

自分の決断は間違えだったのか…
と
悩みながらもチラシを配っていたある日、
心労で倒れてしまいました。

意識がもうろうとする中の点滴…
全く覚えていませんが、無意識の中、
看護師さんに名刺を渡して、

か細い声で、

“一度店に来て下さい”
と言っていたらしいです。

後日、
リピーターになってくれた看護師さんが笑って話してくれました。

さらに、
売り上げが上がらない状況で
娘が産まれました。

父親になった焦り、
売り上げが上がらない状況でも
信頼してくれるオーナー、
付いてきてくれるスタッフ、

様々な想いが交錯し、
腹をくくりました。

『絶対に売り上げを伸ばす!』
と心に刻みました。

●状況が変わり始める。

そんなある日、

あるチラシが目に止まりました。

これだ!

と思いました。

チラシのノウハウを
必死に勉強しました。

そして、
出来上がったチラシを
配った翌日、

『チラシを見たんですけど…』

そのチラシを片手に来店される
お客様が急に増えました。

チラシで来店されたお客様には、全力で抱きしめてしまいそうになるのを必死でこらえました。

コツコツ、コツコツやり続け、
少しずつ売り上げが上がり始めました。


お陰様で、今では、
連日の満席になりました。

やはり、
コツコツは最強だと思っています。

次回から、
もう少し“コツコツ”を詳しく、書いていきます。

澄海ホームページ
http://ginzasky.net