「絶対」の落とし穴 | PTD ~ Pilot To Dispatch ~

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ヒコーキオヤジのひとりごと
 空の話、ときどきタイのネタ…

 那須で起きた雪崩遭難事故。
将来のある若い命が失われた。

 雪崩が起こるとわかっていて
そこで訓練する奴はいないから、
ある意味、彼らは不運な事態に
巻き込まれてしまったのだろうと
思っていた… 最初は…
 
 そんな印象が一気に変わったのは、
教育委員会だかの会見。今回の
雪山訓練を統括した「偉い人」
(当然彼は生還している)が、
 
「絶対に安全だと思ったので
(ラッセル訓練を)決行した」

と会見で語っているのをニュースで
見て、(あぁ、これは人災だ)と感じた。
私が嫌いな単語「絶対」が、ことも
あろうに指導者の口から出てきたからだ。
 
 この世に「絶対」などというものは
ない。特に自然を相手に行動を
起こすときはそうだ。「絶対」ということは
『絶対に』ない。他人の命を預かる
場合は特に、「絶対」ではなく、
「~が起こるかもしれない。そうしたら
~する」という心構えが必要である。
それも、2重、3重に。
 
 今回の事故も、「雪崩が起きるかも
しれない」という心構えがあったら、
ビーコンは持参しただろうし、万が一の
時に捜索に来てもらえるように、周囲に
「どこで何をしているか」を周知させて
いただろう。
 
 「『絶対に』雪崩は起きない」という
判断がどこからきたのか?
警察や教育関係者は、その心理の
奥にメスを入れ、そのような判断を
導いた背景を解明し、今後に
つなげなければならない。
そうでなければ、雪崩ではなくても、
第二、第三の「~は絶対に起こらないと
思っていた」という人災が再発する。
 
 フライトでもそうなのだが、事前に
「ここでこうなったらどうする」
「その上こんなことが起きたらどうする?」
といった緊急時のシミュレーションを
何回もやる。機長も、先生も一緒。
人の命を預かって引率するわけだから、
ありとあらゆる異常事態を予測し、
備えておかなければならない。
 
 「絶対に」… ということは

 『絶対に』ないのだ!