ニホンジンよ、5年前を覚えているか? ~追憶(上)~ | PTD ~ Pilot To Dispatch ~

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ヒコーキオヤジのひとりごと
 空の話、ときどきタイのネタ…

 そういえばあの日も金曜日だった。
まっすぐ走れないような揺れの中、
避難路を確保するために私が叩き
割った職場の自動ドアの非常解放
ボタンのカバーはまだ割れたままだ。
 
 波打つ滑走路に息を失い、舗装が
完全に割れたと思った一瞬。
 
 その後の怒涛のような世界からの
支援の手。特筆すべきは太平洋を
挟んだ向こう側の「友人」…
 
ともだち

 いち早く現場に向かった空母。
艦内の食料や、自らの私物までも
差し出した海の男たち。
 
 そんな物資を乗せた救援ヘリからの
物資投下を「航空法に違反している」と
中止させようとした時の国土交通大臣。
 
 理不尽な妨害にウィットを利かせ、
「緊急着陸」で報いた空母ヘリ部隊。
次々と校庭や空き地に「緊急着陸」し、
「申し訳ありません、このままでは機体が
重すぎて再離陸できません。搭載物を
『捨てさせて』ください」 と言い残し、
水や食料を下ろして舞い上がるヘリ。
 
 「瓦礫をどける重機を入れる計画を
2~3日中に策定を…」なんて政府が
言ってた矢先に空挺部隊を降下させ、
手でヘリが降りられる隙間を作り、
増えていく人員と道具で隙間を広げ、
次から次へと資材を運び込み、翌日には
滑走路を使用可能にし、空軍の飛行機で
管制機材まで運び込み、わずか1日半で
仙台空港を再開港させてしまった海兵隊。
 
 空だって負けてはいない。滑走路が
1本、日に3便しかなかった花巻空港に
空中待機便が出るほどの物資輸送機を
送り、「ERO (Engine Running Off-Load)」と
呼ばれる方法でエンジンを回したまま
短時間で物資をおろし、そのまま横田へ
とんぼ返りするC-130たち。
 
 ついには自衛隊も政府を無視して
「Joint Task Force SENDAI」を設置し、
米軍との共同作戦に打って出た。
 
 100%完璧なヤツなどいない。
いい面も、悪い面もあるだろう。
でも、困ったときに手を差し伸べて
くれた友の恩は忘れてはいけない。
 
 足踏みしている場合じゃないだろう。
世界中の友に早く全快した姿を見せる
ためにも、我々日本人が5年前のあの日に
立ち返ろう。2020年という、絶好の機会が
ある。それまでに… 被災地への思いを
もういちど、皆の心に。