昨日はラゾーナ川崎で沢田聖子さんの
ライブに参戦。久しぶりの彼女のライブに、懐かしい
顔をたくさん見かけて、なんとなく長い休みが終わって
教室に戻ってきたような、そんな懐かしさを覚えた。
ステージ上では相変わらず表情豊かな聖子さん。
しっとりとしたラブソングを2曲歌った時には、いったい
この人幾つなんだろう? と思わせるくらい、少女の
顔を覗かせたり、そうかと思うとギタリストを巻き込んでの
毒舌トークでは歳相応の笑顔になる。
届きそうで、手が届かない。わかっているようで、
なかなか彼女の心の本音はわからない。デビュー35年、
ひたすらずっと追っかけてきた大御所のファンの方たち
でさえ相変わらず彼女に翻弄され続けている。
(え? それは違うんじゃない?)とは思っても、
それはこちらからは伝わらない。終演後の短い会話の
中ではとても伝えられるものでもないし…
確かに彼女の楽曲も、そしてフレーズの間にある彼女の
思いも、それが私の人生を等身大に映し出してくれて
いるようで、かけがえのないものではあるのだが、それを
どういった「姿勢」で受け取るかはこちらの裁量な話。
だから、あえて昨夜は彼女のまん前の席で、私が真剣に
物事を聞くときの癖、典型的な姿、頭を垂れて腕組みを
しながら聴かせていただいた。それは私なりの真剣な姿勢。
「相手を聴く」姿勢。リスペクトの姿勢。
もちろん、ステージは素晴らしいものだったし、一期一会の
楽曲たちの生の音響に酔いしれた珠玉の時間だった。
そんなくだらん意地を張った昨夜。届きそうで手の
届かない距離のもどかしさ、伝わらない思いの
せつなさを感じながら、夜のラゾーナを駅へ…