お金を与えていれば子どもは育つのか。

ちゃんと手をかけ思いをかけてやらないと育たない。
育たないというか、必然的にそういう作業が必要になってきますよね。
住むとこも必要で掃除もしなくちゃ
体をつくる時期だしお料理も良いもの食べさせたい
着るものも汚れれば洗う
学校の行事、地域のこと、
うちだったら2人のバレーボールの事もあります。

実際何ヶ月も毎日3〜4時間しか寝てません。
朝早くお弁当作らなきゃ
仕事もバタバタ
急いで帰って夕飯下ごしらえしてら体育館へ
お姉も帰りが遅い
寝るのも遅い
時間に追われて休む暇なし。
悩んでも同じ親として相談できる相方もいないから
全て最終的には自分で考え決めないといけない責任。

もっと色々。色々。色々。

正直、疲れてしまった。

体も心もクタクタです。

休みたいです。


誰か1日だけでもかわって。
仕事も家事も何もかも
ちょっとお休みさせて欲しい。

休みたい。


子どもの頃ムーミンがあまり好きでなかったです。
でも今はなんだか好きです。
スナフキンも苦手だったんです。
世を儚んでる気がして後ろ向きな感じが苦手でした。
今はとっても好きです。
あんな風なミニマニストにはなれないけど
生き方は今は好きかなぁ
私も大人になったなぁー

この世にはいくら考えてもわからない、
でも、長く生きることで解かってくる事がたくさんあると思う
君たちも大人になればわかるさ。
ある意味で、大人は子どもよりももっと子どもみたいになることがあるんだよ

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多分、私は少し勉強が得意だったと今振り返ると思います。
90点台以上しかほぼほぼ取らないし
学年でもトップクラス。
でもそんな自分に何の価値も見出せませんでした。
誰にも点数を言う事も無く
ひた隠しに隠してた。恥ずかしかった。
だって

親は私の点数に全く興味が無く
どんないい点数、100点でも褒められる事も無かったから。
誰からも何も評価されなかった。

勉強が出来ても認められる事は無いんだと
無意識で思っていたんだと思います。 
頑張って良い点数を取っても何の価値も無いという風に学んでしまいました。

ある人が最近 実はな…って教えてくれた事。
私と知り合って最初は私の事が苦手だったそうです。
何故って私がその人に比べて偏差値が高い学校を出ていたから。
頭が良いから感じが悪い、見下されてる気がする、引け目を感じる
そんな風に思ってたそうです。
その方は学歴に多分コンプレックがあるみたい。
親御さんに学力の事で評価されなかったという過去があるそうです。

学力で評価されなかった

これ、
私と一緒なんです。

その方は勉強が出来ないから評価されない
という概念が築かれていて
その学力を私が持っていると思ってしまったため
無意識で私に対して苦手意識を持ってしまった。
自分が欲しくて持っていなくて
持っていないが為に評価されず愛されず
欲して止まない学力を持った人間であると認識してしまった私が苦手だったんです。

私は
学力があろうが評価されないという概念があるので
学力や学歴に対する価値概念が著しく低いです。
学力の事で自分に価値を全く見出していません。求めてもいません。あっても仕方ないと思っています。
なので、学力や学歴の有る無しなど
ほんとーにどうでも良い事なのです。
そんなものあったって
誰も褒めてくれへんで⁉︎って根本的に心底思ってるから。

なのでその方の苦手意識は
私にとって問題にならない部分で起こっていて
私は  学歴で判断する人、見下す人
と思われていたのですが
私自身はその全く逆なのです。
問題はその方のただの幻想、思い込みです。
学力などどーでもいい私がその方を見下す筈も無く
本当にそんな事頭の隅にも無かったのですから。
それどころか、立派に手に職を持ち唯一無二のお仕事をなさっている事に敬意を持ち、羨ましいとさえ思っているのですから。

評価されなかった
褒めて貰えなかった
そんな経験から
お互いに奇妙な価値概念が築き上げられ
人生において些細で不必要な誤解を生んでしまったわけです。

私は今、日本でも最高レベルの学歴をお持ちの方々と一緒にお仕事してますが
特に羨ましいとも何とも思わず
逆に見下している自分がいます。
学歴が高い自分は立派な人間だと思っている
と私は思い込んでいて、それに対する嫌悪感です。
どんなに勉強ができても、それイコール人間の価値では無いのにこの人達は自分が立派であると信じて止まない、くだらない…と。
歪んだ感覚だと理解しています。いけない事です。わかっていますが、潜在的意識なので、そんな自分も認めていこうと思います。
勉強が出来るのはその人の特徴で
走るのが早いだとか、歌がうまいだとか
そんなのと一緒なのです。

そもそも論になりますが
問題は

評価されなかった

事から起こっています。
でも

そもそも評価される必要は無い
評価されたいと思う必要はないのです。

だってそれは
人のものさしで自分を測るという事だから。

私の価値は私が決めて良いのです。
人に評価されないから価値が無い訳ではない。
なのに評価される事を求め続けてきたんです。そして評価されないと投げやりになるなんて、ちょっと笑ってしまいます。

でも子どもは純粋だから純粋であるが故に
人の評価で自分の価値を決めていくものだと思います。
逆に言えば評価してあげる事で自尊心を養う事ができるのかな。
何でもかんでも誉めたたえる子育ては私には出来ないけど
その子その子の良い部分にフォーカスして気付いてやる、伝えてやる事で
育ちのお手伝いができるかもって思います。


子どもの褒め方について考えてました。
ところで見つけましま。
うちの子はもう10歳以上だけど
こういう褒め方を心掛けると子どもの自尊心を少しでも育んでやれるかな。
真っ新な状態で生まれてきて
なーんにも知らなくて
自分が何者かもわからない赤ちゃんが
あなたの名前は◯◯△△よ△△ちゃん🎶
って言われるから
いつの間にか自分は△△なんだーと思うわけで。
その後、あなたは
優しいね
冷たいね
賢いね
鈍臭い子だね
悪い子だね
よく気がつくね
弱いね
我慢強いね
色々人から思われ言われる事で
その情報を元にセルフイメージが確立されるそうです。
全部 他者から見た自分のイメージ。
他者のイメージをセルフイメージとして持っていて
ネガティブな情報を入れられると
素直な純粋な人ほどあたかもそれが真実の自分であると誤解しちゃう。

私の事も見る人によって全くの別人で
それはよく感じます。
気が強い付き合いづらい人とか思ってる人もいるだろうし
気を使う割に空回ってる人とか(笑)
無口な大人しい人
色んな私があちこちでいて、冷静に考えると笑えます。
全部私で全部私じゃありません。
私の事理解してくれてるなぁって思うのは
子ども達と、あと1人だけ。

で、それで良いのです。普通です。

私の心の動きは私しか知らないから
真実の私は私しか知らなくてそれで良いのです。
自分で自分を認められたらそれで良いのです。

理解されない
なんだか誤解されてると感じても
それはそれで別に気にしなくても良いわけで。
だって皆誤解してるから
良い風に誤解してるか悪い風に誤解してるかそれだけです。

息子の事も理解してる人はほとんどいない
身内ですら分かってないし
私だって理解できてるかどうかわからない。
でも、あなたはあなたで素敵だよって
そのままのあなたが大好きで仕方ないんだよって事は
私の心の動きなので真実です。
その真実はちゃーんと伝えたなと思ってます。