荻原 浩  明日の記憶



kotokoさんこの記事で知って、図書館で借りて読みました。

渡辺謙主演で、映画も公開されているようですね。

若年性アルツハイマーにかかった男性(50才)が、あらゆるものごとを忘れゆく日常にあらがい、絶望し、ラストはそんな自分を受容していくという物語。

夫婦愛の物語でもあります。


すぐ連想したのは、「アルジャーノンに花束を」

実際読んでいくと、作者による、「アルジャーノン」へのオマージュが見受けられます。

主人公がつける日記の部分とか、

主人公が自分から介護施設を見に行って、保護者のほうに勘違いされるところとか、

主に「忘れゆく日々」がどんなものかを、効果的に描くところに入ってますね。


でも、さすがに本文全体を「アルジャーノン」同様の、「全ての文章がどんどん稚拙になっていき、そのままラスト」という描写で徹底する、というのは無理だったらしく、

(そりゃそうだ。あの書き方は、半端な労力じゃ済まないし、それじゃオマージュじゃなくて、パクリになっちゃいますから)

主人公の一人称で語られる本文は、最期まで基本的に破綻せず、丁寧な(文学的)描写になっています。

もちろん、漢字もろくに書けなくなり、家族の顔までもわからなくなってしまう、アルツハイマー患者が、

そういうきちんとした言葉で、最期まで自分のことを物語れるか、というと、現実には、まあ無理なわけで、それは小説世界でだけ通用する、要するに「嘘」です。

作者が、本来三人称で描いた方が「正しい」描写になったはずのこの小説を、一人称で書いたのも、その「嘘」を、効果的に演出するために、だと思います。

(三人称では、「主人公が同じ内容の言葉(文章)を繰り返す」とか、「以前は知っていたけれども、今は知らない(忘れてしまっている)誰か」などのプロット上の技巧(描写上のトリック)が使えなくなってしまいますから)


あ、断わっておきますが、そういう「嘘」をオレはけしからん、と言っているわけじゃあないんですよ。

そもそも嘘を嘘とわからせずに、最期まで読者を(現実にはあり得ない)物語世界にトリップさせてしまうのが、作家のつとめなわけで、

そう言う意味で、実は大きな「嘘」を使いつつ、それでも、きちんと読者(オレ)を最期まで引っ張っていくことのできる作者は、大嘘つき、つまりとても上手い作家さんだと思います。

例えば同じ手法使って、下手な人が書けば、「痴呆患者が、こんな高度な内省できるわけないじゃん!」と、読者に突っ込まれてしまうわけですから。


闘病フィクション、夫婦愛の物語として、感動作になっていると思うし、

(若年性)アルツハイマー、認知症に関する、啓蒙書にもなっている本だと思います。


この本を読んで、アルツハイマー予防の本を、図書館に予約しました(笑)