ヤマイに関わってると、無意識のうちに区別の境界線が崩れてしまいます。
それが月日がながければ長いほど、患者さん本人も、その周りにも。
そういう時はある程度のせんびきが必要になるのではないでしょうか。
この見方を変えてみるだけでも、お互いに気持ちよくコミュニケーションが作ることができるかもしれません。
[1]事実と解釈
事実は1つですが、解釈はいくつにも捉えることができます。
ちなみに和田裕美さんの『陽転思考』関係の本にも、「事実はひとつ、考え方は2つ」という言葉をよく言ってます。
例えば、『お医者さんに病名を告げられた』という場合…ここで言う『事実』は「お医者さんに病名を告げられた」ことです。だけど、「余命●年」「もう治らない」など思い込むのは『(自分なりの)解釈』です。ちなみに、先ほどの『陽転思考』の場合だとこの事実に対しての「よかったこと」を必死で探すように考えていくので、「この不調が何なのか、わかってよかった」など出てきたりします。
(※和田裕美さんの「陽転思考」関係の本はかなりおすすめなので読む価値あります)
[2]無力と微力
無力は力がないことです。
しかし、「無力だ」と自分で思い込んでも少しずつでもいいのでやっていくことが、結果としてつながっていきます。
例えば、『ヤマイの影響で、声を出すのができない』という場合…最初は「できない」という部分にフォーカスしてしまい、自分自身で思い込んでしまいます。しかし、日々のリハビリなどで出なかった声が少しずつ出るようになるのです。これが『微力』となります。
ただし、がんばろうとして必死でやり続けるとバテてしまうこともあるので、カスタネットを叩くように「タン・タン・タン」と休みを入れるようにしてみましょう(フラメンコのようにエンドレスで叩き過ぎるとこれもまたつらい)
[3]ヘルプとサポート
よく間違えます。ヘルプはできないのを前提に相手が何らかのアクションを起こすことですが、サポートはできることを前提に協力してあげることです。
例えば、ヤマイの影響でやらなきゃいけないことが思うようにできないことがあります。『ヘルプ』はひとりでは食事ができない状態にあった時、誰かの介助があって初めてできるようになったことなど、『サポート』はリハビリなど残存機能を活かした形で行っていくことだといえます。
一見、似てるような言葉かもしれませんが実際はそうではありません。
うまく使い分けることでまた違うのもしれません。
