歴史上の嫉妬 | はれ、ときどきフロンターレ

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夢推しサポーターで北の歴女・くーちゃんです。
この前のブログで「身内なのに嫉妬される」という話を書いたけど、歴史上での嫉妬ってどうだったのか…ということで。



時代背景によるのですが、根底にあるのはちっとも変わりません。
ただ、家族間ではなくコンプレックスが発展した形が大きいような気がします。
例えば、年末にテレビドラマでお馴染みの『忠臣蔵』では、「松の廊下刃傷事件」の理由として浅野内匠頭(あさのたくみのかみ:1667-1701)が吉良上野介(きらこうずけのすけ:1641-1703)に嫉妬したことだといわれています。
その理由については山内昌之氏の著書『嫉妬の世界史』では、「格下である吉良家が本来やるべきことじゃないことまでやってたから」ということだったそうです。ただ、『官位』という観点からでみたことであって、真実は謎のままといえます(これを使った創作が結構あるので、一概にいえないのです)

嫉妬の世界史 (新潮新書)

この嫉妬心は、権力者であればあるほど巨大なものだといえます。
たとえば、中国の明(1368-1644)の太祖・洪武帝(こうぶてい:1328-1398)は、1381年に『文字の獄(もんじのごく)』というのを行います。これは、もともと卑しい身分の出であった彼をイメージするからということで、バカにされたということで文人やこれまでの功臣を殺しました。
例えば、
「天に道あり」←「道」は「盗」と同音である。皇帝を「盗人」といってる。

「光天の下、天は聖人を生じ、世の為に則を作す」←「光」とは「坊主」を指し、皇帝(洪武帝)が僧侶だった経歴を謗っている。また「則」は「賊」と同音である。皇帝を「賊」だといってる。

こんなしょうもない形でいいがかりを付けられ、殺されたらたまったもんじゃないですよね。でも皇帝になったとはいえ、出自のことを言われるだけで、となると相当コンプレックスだったと思います。

しかし、嫉妬心というのは時にはエネルギーを与えるものだったりします。
マンガの神様といわれた手塚治虫(1928-1989)は、とんでもない嫉妬心の塊だといわれています。
例えば、『ゲゲゲの鬼太郎』の著者・水木しげる氏(1922-)が『墓場鬼太郎』を初めて見たとき衝撃を受けて自宅の階段から転げ落ちたという話もあり、それを意識した話もいくつか出しています。この他、直弟子だった石ノ森章太郎や『AKIRA』の大友克洋などに対しても「あなたが描くような絵は僕にも描けるんです」と放言していたといいますが、その分相手を認めているコメントもしていたそうです。

嫉妬というのは扱い方次第でどうにでもなる、ということなんでしょうねえ。