大空のDNA:MRJの挑戦/1 国産初のジェット旅客機 | 航空業界ブログ

大空のDNA:MRJの挑戦/1 国産初のジェット旅客機

スカイブルーの作業服を着た男女数十人が一心にパソコンのキーボードをたたく。伝統ある大学の校舎かと見まがうクリーム色の古風な4階建てビルの一室。ありふれた事務作業のように見えるが、実は国産初のジェット旅客機「三菱リージョナルジェット」(MRJ)=1面NEWSLINEに完成予想模型=設計に取り組む最前線だ。図面はすべてコンピューターの中で組み上がっていく。


 名古屋市港区の三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所大江工場の時計台本館。08年4月に誕生した三菱航空機が進めるMRJの設計作業が大詰めを迎え、いよいよ年内に試作機製造が始まる。


 三菱重工で航空宇宙事業本部長を務め、三菱航空機初代社長に就いた戸田信雄社長(63)は「日本人のDNAの中には航空機を作る潜在的な能力がある。やり始めたからには100年ビジネスの覚悟でやる」と意気込む。

 時計台本館は1937年に完成した。かつて世界一周飛行に成功したニッポン号や、零戦もこの地で設計された。41年12月8日の太平洋戦争開戦の朝、零戦を設計した堀越二郎技師が屋上から港を眺めながら「横綱に挑むようなものだな」とつぶやいたという逸話も残る。1階の大部屋には現在、MRJのモックアップ(実物大模型)や小型模型が並ぶ。流線型の胴体に二つのジェットエンジン。「貴婦人」と形容された優美なニッポン号の遺伝子を受け継ぐ未来形のようだ。


 国産旅客機に日本企業が挑むのは双発プロペラ機・YS11以来、約半世紀ぶり。世界の旅客機市場は今、大型機はボーイング(米国)とエアバス(フランスなど)が二分、小型のリージョナルジェットはボンバルディア(カナダ)とエンブラエル(ブラジル)が分け合い寡占状態にある。


 20年以上ボーイングのジャンボ機製造などの一翼を担ってきた三菱重工があえて自前の小型機生産に乗り出す。戸田社長は「一部を担っているだけでは基幹的な産業とするには不十分。我々の能力も備わってきた。参入しようとしている70~90席の領域は今伸びていくところで、この好機に乗らないと市場を失っていく」と話す。今後20年間に全世界で5000機以上の新規需要が見込まれるという。MRJは最新技術を駆使して燃費の良さと環境性能、客室の快適さで勝負する。


 主翼や胴体の構造など大きな骨組みは固まり、今はビスの一本一本やアンテナの形など細部を決める作業に取り掛かっている。11年には試作機が初飛行するスケジュールだ。


 「開発費は千数百億円。後発メーカーなので厳しい競争環境の中で耐えていかなければならない。航空機が日本のこれからを担う産業に育っていく礎になればいい」。戸田社長は冬の空を見上げた。

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 ニッポン号に搭乗した新聞社航空部長の大原武夫親善使節は「ニッポン旅日記」に記す。「日本の航空工業と航空技術とは、今や正に世界のトップに来ている。今回のニッポンの飛行は、このことを世界に向かって実証したのだといえよう」。ニッポン号の世界一周飛行から70年。そのDNAを受け継ぐMRJの開発が佳境を迎えている。現場の声を通して、日本の空の未来に迫る。



客室乗務員