3月頃に昨年の治療のことをつらつらと書いてました。

 

間が空いてすいません。

 

そこにも書きましたが…

2017年は2度採卵しまして…

1度目の初夏は採卵で受精に適した成熟し採取できた卵子は計12個。

その中から受精した卵子は3個で

最終的に子宮に戻せる受精卵(胚盤胞)は1個。

それを、職場の繁忙期が過ぎるのを待って、10月に戻すものの、

結果は妊娠に至らず。

 

で、行政から不妊治療の助成金、あと1回出るので

それを有り難く使わせていただくためにも

これで最後の採卵にしようと思い、11月に採卵。

採卵した卵子は培養し、最終的に胚移植に適した受精卵は2個凍結保存。

年末は忙しく、病院も休診が多いので、年が明けるのを待って

凍結保存した受精卵を胚移植することにしました。

 

2018年2月になり胚移植するための投薬開始。

子宮の内膜を厚くするためにエストロゲンを補充する

エストラーナという貼り薬を使います。

40代になり、内膜がなかなか厚くならないため、

通常であれば1日おきに4枚貼り付けるところを、

1枚プラスの5枚追加に。

基本、腹部に貼り付けるのですが…

 

「一日おきに位置を変えて貼り付けても、かぶれるのさ」

 

寒い時期ならなおさら。肌が乾燥してもうかゆみが増して地獄。

 

これを数日続けて内膜が厚くなる。

で、胚移植の3日前からは注射でまた別のホルモン剤を投薬。

 

「1時間早く起きて、病院に行き投薬。そして出勤」

 

職場に遅刻しないように早く起きて投薬を済ませます。

 

そして職場には「精密検査で入院」という口実で有給休暇を申請。

仕事を休み、1日がかりで胚移植です。

 

胚移植費、1回、8万円。

 

ですが…胚移植後に、黄体ホルモンを補充するため

膣座薬を1日2回、投与しなくてはならず…

そして別の飲み薬も処方され…

 

「薬代だけで1週間に2万円近く飛んでいきます」

 

これを約2週間後、妊娠判定の検査が行われるまで続けます。

 

膣座薬は12時間おき。

生々しい話になりますが…

ルティナス膣錠という大きな錠剤を膣に直接

専用のプラスチックのアプリケーターで投薬します。

イメージしやすいのは、生理の際などに使用する

タンポンのようなイメージですね。

この膣座薬、大きな錠剤なので、

溶けた錠剤の一部が下りてきます。

なので、パンティーライナーなどが必須。

デリケートゾーンはやや不快な状態が続きます。

 

途中、1度診察を受けますが…子宮の内膜の厚みを見て

次回、妊娠判定の際に照らし合わせる血液検査の結果のために

採血するぐらいで…この時には妊娠しているかどうかは分からないわけです。

 

「つまり…着床してないかもしれないわけで…」

 

それでも、週2万円近くの薬を身体に投与し続けなくてはいけないんですね。

 

仕方ないんですけど…

 

「どうしたって色々なことがよぎるわけです」

 

額が額だけに…

 

そりゃ、結果が出た方がいいに決まっている。

けれども、仮に妊娠したとしても…

妊娠10週目まではこの投薬が続くと思うと…

(胚移植からは約2ヶ月近く投薬が続くことになる)

 

「複雑な気持ち」

 

3年前がそうだった。

2回目の体外受精で妊娠が分かり、

精神的にも肉体的にも、この辛さから解放されるかと思ったら

投薬も希望に変わった。

けれども、結果的に稽留流産となった訳です。

 

あの絶望は何とも言い表せない。

自然妊娠して流産した人とは、また違った感覚ではないかな。

頑張っても報われないってこういうことかと。

生まれて初めて思い知らされた出来事だった。

 

そういうことを1度経験すると…

 

もう期待しない方がいいんじゃないかと

逆に冷めた気持ちで治療に向き合う自分。

今年に入ってからは特にそうだった。

 

それは自分が落ち込まないための…

これ以上、深い傷を負わないための…

精一杯、自分ができること。

 

「もう41歳だし、体外受精をやればやるほど、

 投薬の量が増えていくし…

 卵子の老化だってありえる訳で…」

 

で、2月の胚移植の末の妊娠判定の日がやってきた。

幸いに土曜で仕事も休みだったので

余裕を持って病院に向かうことができたけど…

 

結果は陰性。

 

主治医や看護師が代わる代わる慰めるように

血液検査の結果を見ては

「ホルモン値は良かったんだけど」

とか

「5日培養の受精卵だったから期待してたんだけどね」

と言うので

 

『年齢と卵子の老化ですね。

 もう、自分も過剰な期待はしてませんから』

 

と冷静に診察室で言い放つ自分。

嫌な患者だと思うよ。本当。

でもね…泣きわめいて妊娠できるんなら、

とっくの昔に泣いてるわ、自分。

だけど、そうじゃないからね。

これが現実。受け入れなくてはならない。

 

残りあと1つの凍結した受精卵を戻す自分。

 

「いよいよ覚悟を決めなくてはならないかもしれない」

 

子どものいない人生。

 

3年治療頑張ってきたのにな…結果、流産で深い傷負うとか…

 

「自分、治療やって良かったのかな?」

 

妊娠判定の帰り道、さすがに自分も、色々と考えてしまった。

仕方ないことなのに…自分が納得するために始めた治療だったのに…

 

「終わったら連絡ちょうだい」

と病院に出かけた私の後にすぐに出勤しなくてはならなかった

ダンナからそう言われてたのでメールで連絡。

 

「お疲れ様。診察終わりました。結果、ダメでした。

 ホルモン値も内膜の状態も妊娠しても

 おかしくない程の数値だそうですが…卵子の老化、それが現実かも。

 ひとまず帰りますわ」

 

と、淡々と送信する自分。

 

「わかりました。仕方ないよ。

 ひとまず今仕事へ向かってます。

 とりあえず体を休めてください」

 

責めるわけでもなく、

かといって過剰に気遣いするわけでもなく…

相変わらず、ダンナは適度な距離感を保ち、見守ってくれている。

と、同時に申し訳ない気持ちにもなってしまう。

 

妊娠判定後、自宅に戻るも、

このまま自宅にいたら余計に落ち込みそうだったので

その日は午後から知人のグループ展に出かけた。

 

そして帰宅後して夕食の支度をいつも通りにして

しばらくして仕事から帰宅した色々と話をする。

やはり自分としては期待をしてなかったとはいえ

妊娠判定の陰性は、かなりショックだったこと。

それと、今回の胚移植、ホルモン値も内膜の具合

何より、胚移植すれば安定が見込める5日胚培養した受精卵で

妊娠してもおかしくないのに陰性の結果が出たことを考えると

次回、最後の胚移植となるが、妊娠できる確率は確実に低くなるだろうということ。

 

『こればかりはさ、仕方ないよ』とダンナ。

 

そしてちょうど今の時期が流産から2年近くになることもあり

「結局、忘れ物を取りに帰ったままで、

こっちには戻ってきてはくれないんだろうな」

と、ふいにそんな言葉が口から出てしまった。

 

流産後、水子供養に出かけた際にダンナが

「あの子はさ…あちらの世界に忘れ物を取りに出かけたんだよ」

と、ふと言ったことがあって…

それで救われてた部分もあったんですよね。

流産した後に治療を再開した自分には。

 

41歳の自分、頭では分かっているんです。

不妊治療が100%全力で治療に取り組んでも100%妊娠しないことも

41歳という年齢ももう妊娠する確率が低下する一方だってことも。

 

ただ、ただ…努力が報われない今が辛いんですよね。

そういう自分から出た

諦めにも似た言葉を感じ取ったのか…

ダンナが言ったのは…

 

「あなたは、忘れ物届けに行ったらあかんからね」

 

これをドラクエやりながら、サラリと言う。

あぁ…お見通しなんだな。全部。

 

それに加えて…

 

『あなたが特別養子縁組をしてでも子ども欲しいなら、

 それはそれで良いし。

 ただ、血の繋がりのない赤の他人だからね』

 

実は流産した後、あまりに治療に向き合うのが辛くて

養子縁組の話もダンナと話し合ったことがある。

 

単純な話。

子どもと生活していく人生を歩んでいきたいのなら

それも1つの選択肢と思ったから。

 

ただ、それには色々なハードルがある。

お義父さん、お義母さん、

そして最終的には私の実父、実母も

不妊治療には賛成してくれたが…

私の住む地域は昔の考えが根強いところ。

やはり家系というのに重きをおく土地柄。

 

仮に特別養子縁組をしたいと私が言い出し…

各家の両親に反対された場合。自分は説得できるか?

そして…自分とダンナの遺伝子を持たない子を

受け入れるということは

時に見えない障害が成長するうちに出てくる場合もある。

それを受け止め、サポートできることはできるか?

 

そして、それより何より、

仮に特別養子縁組をする場合

養子縁組を希望する親は研修を受けなくてならない

そして担当者からの突然の家庭訪問などあるのだ。

大切な小さな命を預けるのだからどんな家庭なのかというのを

事前に、普段どういう生活をしているのか

突然訪問してその雰囲気を知ることは、当然のことだと思う。

 

私は日中、ほぼフルタイム勤務をしている。

ダンナは自営業ではあるが、勤務が夜遅くまで及ぶ。

 

「仮にそういう場面に遭遇した際、対処できるか?」

この2年、ずっと考えていたけど、

自分はやはり自分とダンナと

血の繋がった子どもが欲しいことがよく分かった。

他人の子を育てる勇気は私にはないのかもと。

それに今の私には里親になるにはハードルがあり過ぎる。

色々と考え、特別養子縁組というものは

我が家では現実的に厳しいというのが結論だった。

 

今まで、進学も、就職も…それなりに辛いことはあったけど

努力と周りの協力でなんとか自分の思うように進むことができた。

 

ただ、不妊治療だけは違った。

やってもやっても…アリ地獄という形容がぴったりくる。

もがけば、もがくほど…

身体はもちろん、メンタルも非常にダメージが大きい。

 

その結果…自分の思うようにならない、この治療へのストレスが

もう爆発寸前というのが正しいかもしれない。今は。

人と比べるなとか、自分は自分の人生だろうとか

他人は色々言うけれど…

職場で組織の中の一単位だったり、

主に専業主婦しか経験していない実母からの

気持ちを考慮しない容赦ない言葉の応酬とか…

自分の身近な存在の知人や友人が次々と自然妊娠して出産して

子育ての生活を送っている姿を垣間見ると…

どう頑張ってもかなわない。

今の自分が物凄く嫌になって

今ある仕事も家事も全部、かなぐり捨てて逃亡したくなる時がある。

 

それを紙一重のところで

自分の今まで居心地が良かった場所やモノで

自分なりに機嫌をとって、なんとかやっているのが、まさに今。

 

で、今回の妊娠判定の陰性を受けて率直に思ったのが…

2年前に妊娠した際、40代は育児に仕事に明け暮れるだろうと、

おぼろげに思っていたけど

残念ながらそれは幻想に終わりそうなことが

より濃厚になったわけで…

ならば40代、どうするよ?

みたいな不安にかられたのです。

まさに…

 

「アラフォーになり、人生…迷子」

 

今の仕事は希望して転職して、結果、やりたいことができている。

ありがたいことだけど…

今の仕事も定年まで働き続けられるかどうかは不明。

となると…この先の人生、色々な自分を支える軸があった方が

いいように思った。

ただし…英会話、着付け、和裁、ピラティス…

あれこれ手をだす割には…何一つ極められなかった後ろめたさもあり

それをダンナに話しながら落ち込む自分。

 

それを聞いたダンナは大笑いしながら…

『自分は別に極めようとしてテクノ聞いてないよ

 ただ好きなのが継続しているだけ。

 あなただって、その時々に興味を持ったものに取り組んだ訳だから…

 それに対して罪悪感を持つのは違うんじゃないの?』

 

ごもっともなご意見。

 

そしてそれは別の年上の友人からも指摘されることに。

 

実はこの後…妊娠判定の陰性の結果を思いの外、引きずってしまい

どうにもならなかったので、東京の友人(私より3歳年上)の

姉と慕う方のところに会いにいくのを目的にして

アートフェアに出かけることにしたのです。

 

「もちろん、繁忙期で休めないので土日休みで弾丸東京ツアー」

 

結果、思い切って出かけて良かった。

 

その年上の友人が最近、新たな趣味を持ち始め前向きにトレーニング

している姿をSNS上で拝見していたこともあって

そういったことも含め…

 

「40代、どうですか?」

 

という話を、夕食取りながらあれこれ聞いてみたのです。

 

年上の友人は独身。もちろん子どもはいないので…

まあ、今の私に近い部分もあるので。

 

「合わせて老後とか…定年後の展望とか…」

 

早いと思うけど…私たち、もうあと20年もしないうちに定年ですから。

(もちろん、雇用されていればの話ですが…)

 

友人からは…

 

『yukiちゃんさ、基本的に興味あることには

 フットワーク軽いじゃない?

 見たいものあれば、サっと支度して見に出かけちゃうし…

 とりあえずやってみようという感覚は強いでしょ?

 だからさ…その気持ち、大切にしてたら大丈夫なんじゃない?

 だってさ…趣味とか人生の軸になるものなんて

 必死に探すものじゃないよ。

 例えばね…yukiちゃんのその人生の軸になる部分、

 今、三角の穴が空いているとして…

 今のyukiちゃんだとさ…その三角の穴が見えなくてさ…

 必死に丸い形の軸を探している…そんな感じするんだよね』

 

「あぁ…とてもわかりやすい例え」

 

つまり…向こうからせっかくこれからの軸になるものがやってきているのに

今の自分は必死になって軸を探すあまり、周りが見えてないと。

納得でした。

 

「治療のこともさ…結果はそりゃ必ずついてくるものじゃないし…

 でも、もし、仮に結果が思うようにいかなくても…

 ダンナさんの優しさとか。職場の同僚のフォローのありがたさとか

 色々、わかることもあったわけじゃない?

 それに…変な話。子どもがいないからこそできることだってこれからあるよ」

 

ですよね…

ただ、仮に子どもがいない人生を送るとなった場合。

やはり自分としては子どもがいる生活をしている人と比べたら、

かなり楽してるんじゃないか?とか

今も非常に後ろめたい部分があり…

「子どもがいないからこそできることあるからハッピー」という

すり替え的な力技で封じ込めたくはないんですよね。

そうすることは絶対、後でねじれが生じるような気がするので。

 

「従姉妹に夫婦2人での生活を送っている6歳年上の姉がいるのですが…

 毎年のように海外旅行行って、撮ってきた写真をこれでもかっというほど

 コラージュのように詰め込んだ年賀状を送ってくるので」

 

ごめんなさい。私、あそこまではなりたくないです。

何だか子どもがいる家庭への当てつけみたいな年賀状みたいで…

 

「子どもがいない私ですら、ちょっとイラっとするレベル」

 

まあ、私も年賀状、送らなくなったので次第に届かなくなりました。

 

「そういうものだよね」

 

それに私がバカ正直に流産した翌年、

寒中見舞いにして近況として流産しましたなんて書いてたから

さすがの従姉妹の姉も敬遠したんだろうけど。

 

話それた…

 

まぁ、何が言いたいかというと…

その気持ちとうまく折り合うプロセスも

たぶん自分への命題だと思うし…

今は大切なのかもしれないとも思うので。

 

「例えば、今回みたいに年上の友人とあれこれ会話することの重要性とか」

 

にしても…私の場合。

毎回、旅に出かけると必ず何か、得るものがあるのです。不思議と。

今回は人生についてでした。

 

治療もこれで最後だし、精一杯やろうと

それで気持ちも切り替えることができたのはありがたいことです。

そして、4月から最後の胚移植に向けて投薬を始めた自分でありました。

今日も長くなったので、最後の体外受精についてはまた今度書こうと思います。