最近、自分の気持ちを整理するために
不妊治療のことについて、色々と書き綴っています。
今日は治療を実際に行ってみて感じたことや考えたこと
そして今、思うことをあれこれ書いてみようと思います。

そんな訳で結構あれこれ長々と書いてしまいました。

あまり興味のない方は、そっと画面を閉じてもらって結構です。

ただ…もし、何か感じる方がいれば
おつきあいいただければ幸いです。

これまで約10ヶ月。精神的にもバランスを取るのに苦労しながら、
治療に取り組み、ようやく授かった小さい命でしたが
最終的には、稽留流産という形で、その小さい命を失いました。

不妊治療には基礎体温をつけることが基本になります。
基礎体温から女性の身体の状態をよりよく知ることができ
中には不調を発見することもできます。

基礎体温表

こちらは病院から支給される基礎体温表
4面の蛇腹折りになっており、
約4ヶ月半程の基礎体温を書き込むことができます。

早いもので、この基礎体温表に記入をはじめて
とうとう4枚目になりました。

本格的に治療を始め、もうすぐ1年になるだなと
複雑な気持ちではありますが…色々な思いが浮かんでは消えています。

我が家の場合、私の身体のハンデなどもあり
自然妊娠が難しいという結果から
治療をすることを選択した訳ですが
治療をステップアップする際にはダンナとは何度も話をしました。

私の年齢も39歳ということもあり
現在の病院に転院してからは当初から人工受精(AIH)を選択しました。
(以前、通院していた病院から現在の病院に転院するまでの事はこちらに書いています)

人工受精は自然妊娠に近い形で、女性への身体の負担も少ないです。

ただ、私の通院していた病院では自然のリズムでの排卵を見ながら
タイミングをはかって人工受精するため、
排卵前後はほぼ毎日、通院でしたので、
ほぼフルタイム勤務の私としては結構、しんどかったです。

1時間早起きし、早朝の診察を受ける日々は
生活のリズムが非常にタイトになるデメリットはありましたが
現在の病院では、予約時間に受診ができることから
定時の出勤時間に、ほぼ遅刻することなく通院が可能で
仕事に支障をきたすことがほとんど無かったことは幸いでした。

それに私の場合、月経の周期は非常に規則正しく
排卵もしっかり出来ていることが検査薬や超音波検査などでは
毎回、確認できていました。

だから私としては毎日、欠かさず計測して記入していた
あの基礎体温表も、当初は
「この1枚を書き終えるうちには、新しい命が授かるかも」などと
非常に前向きな気持ちでいました。

しかし、人工受精は、妊娠率100%ではなく、
1回あたりで妊娠する確率は5~10%程度。
妊娠するまでに複数回行うことで、妊娠率を上げる訳です。

気がつけば、基礎体温表への記入も2枚目の半ばとなっても
私の場合、人工受精を4回受けても授からない。


胚培養士の方からも

「卵子年齢の目安となるAMHの数値も悪くないし
 ダンナさんの方にも問題ない。このケースが一番難しい」

とは言われました。
つまり、他に問題がある可能性があるということですね。

私の場合、年齢もありますが、
低体重児で生まれたこともあってか
一般の人より子宮の容積が小さく
この結果、受精した卵子が子宮の内膜に着床しにいというハンデがあります。
それは妊娠できない訳ではないけど、テニスのラケットで言えば
ボールに接する面積が小さいので確率は低くなるという説明は
主治医からは以前に受けていました。
それと、私の場合、子宮の奥に小さいですが筋腫もありました。

あと…これは推測ですが…

ピックアップ障害という問題もあるかもしれません。
ピックアップ障害
(キャッチアップ障害または、卵管采不全とも呼ばれる)
卵管采とは、卵管の先にある部分で、
手のひらを広げたような形をしている部分ですが
この場所が、卵巣内の卵胞から排卵された卵子が
卵管の中に取り込んでくれる訳です。
それがピックアップ障害というのは、
何らかの原因で卵子が取り込まれない状態のことを言います。

ただ、私の場合、子宮卵管造影で卵管の閉塞は見られなかったので、
仮に問題があるとすれば年齢による卵管采の動きの低下の可能性もあります。
(ちなみに、卵管が癒着している場合などは、腹腔鏡検査を行い、
 その際にレーザー治療または焼灼を行い、癒着を切除できます)

ピックアップ障害についてはあくまで私の推測です。

というのは、その後、2度の体外授精を行い、
1度妊娠できたということは問題となる部分は卵管采かなと。
あくまで自分なりの推測です。

そんな訳で、人工受精を4回で終わらせ、
主治医やカウンセラーの方とも相談して踏み切ったのが体外授精です。

体外授精に至るまでの
前段階となる採卵などの治療については
以前にも書きましたが…


これが一番辛かったです。
精神的にも肉体的にも。
特に2週間連続で投薬するホルモン剤の注射は
肉体的にもそうですが精神的にも辛かった。

注射をするために、毎日、1時間早起きして、病院に毎日通い、
人工的に卵子を大量に育てることから、
どんどん下腹部が腫れ、違和感を抱えながら生活しなくてはならない数週間。

「ここまでやって、卵子採れなかったらどうしよう」

そんな不安が採卵のオペまでずっと続きました。

そして採卵のオペが終わっても…

「卵子の質が悪くて、受精卵がひとつも出来なかったらどうしよう」

何をするにも怖くて、不安で…精神的にも一番追いつめられた頃でした。

その結果、受精可能なまでに育った卵子は15個。
そして、受精した卵子は6個。うち、最終的に凍結保存に適した卵子は3つ。

「3つ残ったと思うか…3つしか残らなかったと思うか…」

これは今だに複雑な心境です。
あれほど、痛みに耐えて行った治療の結果、私の望みの数は3つのみ。

これが結果です。

この頃は普段は友人と出かけたり、
ランチしたりするのに声をかけたりする
比較的、社交的な私の性格は全くと言って良い程、
陰をひそめ、とにかく1人で過ごすことが多くなりました。
やはり治療のストレスでしょうか?
自分1人でさえも「出かけたい」と思う気力も低下しました。
それは治療の代償とも言える「身体的不調」が理由としては大きいです。
特に採卵後は、卵巣に水が溜まり、さらにウエストは大きくなり、
下腹部の痛みは増し、普段、着ていた洋服も入らないなどの些細なことにも
落ち込むようになりました。

ファッションを楽しむ。
そして外出する体力と気力が失われることで
自分の趣味である美術館巡りや
作品鑑賞をすることが思うように出来ない。
今迄、普通に…何も意識しなくても、
できていたことが出来ないことの辛さ。
それが一番、精神的に辛かったように思います。

そして後日、体調を整えてから行った胚移植。
それまでにまた、投薬の日々。
胚移植当日まで、シール状のホルモン剤を2日おきに投薬。
胚移植の数日前からは再び痛いホルモン注射を行う日々。

友人達は自然に妊娠したのに…
私はどうして投薬の痛みや、精神的な苦痛に耐え、
大金を払って治療をしないといけないのか?
自分が自然に逆らって妊娠に向かっていることに
やや消化不良の気持ちも抱きつつ
治療は続いていきました。

そして行った体外授精2回。

うち最初の体外授精は妊娠に至らず。

最初の結果を聞く前は、妊娠してないと言われたら、
私、泣き崩れるとか…そういう自分を想像してたのですが…

「おかしなくらい冷静でした」

たぶん、あの時は「まだ2つ受精卵がある」という気持ちも
あったからだと思います。
保険がまだ2つあるという…そういう気持ちです。

で、2度目はどうか?

結果、妊娠が分かった時には泣きました。

「あぁ、良かった。やっと妊娠できた」と。

でも、全く安心はできませんでした。
私の場合、自然妊娠とは違います。
自然妊娠であれば体内から自然に供給されるホルモンも
人工受精では体内からはホルモンも供給されないため
自らの投薬で補っています。
そのため、安定期の10週を迎えるまでは
今まで通り、2日おきに貼り替えるシール状のホルモン剤、
そして、座薬も投与します。
さらにプラスして流産を防ぐための毎食後服用する
飲み薬も新たに増えました。

投薬のために1週間ごとに諭吉が一瞬で飛んで行く。

「複雑な心境」

新しい命を授かっても、私は自然妊娠と真逆を歩いているんだなと
投薬の度に、そんなことが頭を何度もよぎりました。

祈るように「安定期の10週を迎えて欲しい」と毎日投薬していましたけど…

「9週目で胎児の心拍停止」

私自身、39歳という高齢であること
そして低体重児で産まれたことで
子宮の容積が一般の人よりも小さく、
流産の確率が高いことは常に頭の片隅には置いていたので
常にその恐怖は身近でした。

でも実際になってみると…何ともやりきれませんでした。
そして現実的な問題。

「中古の軽自動車が買える程の金額を治療費として払っても
 こういう結果にもなるなんて…」

不妊治療って…治療じゃないなって最近、よく思います。

治療って「病気をなおすこと」ですよね。基本的には。

でも、不妊治療って、治療に向き合っても、
100%妊娠できる訳じゃないんです。
そう考えると…「不妊治療って何だろう?」ということを
基本的なことかもしれませんが…
治療をしながら、ずっと考えてました。

「私のゴールって何?」

そういう疑問もなきにしもあらずです。

今更何を言うという人もいるかもしれません。
でも、そこに不妊治療の闇というか…辛さがあります。

とにかく「ゴール」がないです。
妊娠が「ゴール」という人もいますが…

「何度も言うけど、治療で100%妊娠できる訳ではないので」

事実、私も人工受精で4回、体外授精で結果的に2回行っても、
ごらんの通り、妊娠しませんでした。

「私はどこに向かって走っているのか?」

そんな中で、実母などは「頑張って」と闇雲に励ますものですから…

「じゃあ、何を頑張れと言うのか?」と。
自然妊娠・出産しか経験していない実母とは、
元々、あまり性格が合わないこともあり
正直、そんな軽々しくも思える励ましに娘の私としては腹立たしく思ってました。

人工授精、体外授精受けて、結果が妊娠に至らなかった時の辛さ。
気がつけば
「結果が出なかった時にショックを受けないように期待しないでおこう」
なんて気持ちも芽生え始めてました。

そしてもうひとつの闇は高額な治療費。

私達には、治療をする前提に、日々の生活もあります。
それと折り合いが付かなければ、治療は続けられません。
私の場合は、独身時代にある程度貯蓄していたのと、
共働きなので、今までの治療費はなんとか捻出できました。

しかし、これまでの治療を振り返ってみて

「これだけ治療費を払っても、結果が出ない」

この現実に正直、せっかく授かった小さな命を失ったと同じぐらい
ダメージも相当ありました。

不妊治療の特集番組にて、外車が購入できるぐらい…とか
相当な費用をかけて妊娠に至った方もいらっしゃるようですが…

「私はあそこまでは無理」

これからの人生。妊娠が全てではなく
老後のことも考えなくてはいけないからです。

そのあたりの「治療のやめどき」については
私も最近は常に考えています。

「受精卵が残り1つとなった今、それを最後にしても良いかな」と。

正直、この10ヶ月間。特に後半の数ヶ月は
治療のために、精神バランスを取るのが非常に大変で
仕事との両立も非常に難しかったです。
自分の中で色々な対処法というか…ストレス解消を行ったり
別のことに没頭するなどして、何とか上手く乗り切りましたが
特にあの採卵のオペまでの治療をもう一回やりましょうと言われたら
今の私には「無理です」としか言えません。

その辛い治療のために犠牲にした平穏な生活もたくさんあります。
それを考えると、もう次の胚移植で
最後でも良いかなと思う冷静な自分もいます。
もちろん、それに全て納得している訳ではありません。

元々、不妊治療については、ここ数年、心境の変化から

「子どもとともに歩む人生を自分も送ってみたい」

と思った結果の延長線上に浮上した治療でした。
でも、そんな中でも、自然妊娠ではないその治療行為には自分自身
納得いかない部分もありました。

とはいえ、自分の今までの人生の指針と言えば

「やらずに後悔するより、どうせ後悔するのなら
 結果はどうであれ納得いくまでやりきって後悔したい」

でした。なので、治療をすることに決めたのです。

とはいえ、それは思った以上に辛い治療だったし、
犠牲にしたものも心身、そして物理的にもたくさんありました。
時には、他人の幸福さえも心から素直に祝えない程の
精神状態にもなり、自分自身にも嫌悪感すら生まれ、
自己否定になりかけた時もありました。

ただ自分自身、人生は思うように行かないことも
今までの自分自身の中では色々ありましたから、
納得しているつもりでした。

でも、不妊治療はこれまで生きてきた中で経験した
思うようにいかなかった
受験、就職(転職)活動とは大きく違うんです。

明確な目標やゴールを設定して、努力したからといって
全くむくわれない場合の確率の方が非常に高い。

それを思うと、もう…これはギャンブルに近いし、
やればやる程、蟻地獄のようになる場合もあるなと。

そうなる前に自分で「ここまでにしよう」という基準を設定しないと
本当に怖いなと。ここ最近、それは強く感じます。

不妊治療は自分自身の状況と常に向き合いするものであって、
決して流されたり、巻き込まれるものではないということです。

最近は不妊治療を受ける方も多く、
人によってはSNS等で同じ境遇の方とつながって
共感したり、励まし合ったりしている方もいらっしゃるようです。

でも私はそれをしませんでした。

不妊治療は人それぞれ、治療の姿勢も考え方も
ステップアップも、同じものってないと考えているから。
それに他人の治療の過程が気になることで
自分の治療への集中力が削がれたり、
ストレスになることが怖かったからです。

私自身は、治療は夫婦の問題だと考えているので
あまり不妊治療患者同士であれこれ情報交換したりするのは
自分の性格上合わないなぁと。

その姿勢は、ある意味、前に書いた
悪い意味で「自分の問題は自分で解決する」
という気質が強い部分もあるかもしれません。


私の場合、不妊治療に身を置くことで
普段の感覚が薄れていくことがありました。
治療に追われることで何気ない周囲の季節の変化だったり
治療の金銭感覚だったり…些細なことからあげたらきりがない…
本当に色々とです。

そういう意味で、不妊治療に身を置いている時には
日常の何気ない日々の有難さに改めて心を止めないといけないし、
私のような状況ではない
友人や知人と関わることはとても大切だなと思います。

私の場合、10代の頃から悩みを相談し合っている友人に
手紙やメール等で色々と近況を報告し、相談したりしました。

遠く離れた鹿児島で仕事にプライベートに頑張る友人や、
岡山で母として、妻としてそして仕事も頑張る友人など
多くの親友と手紙やメールのやりとりすることは
私にとってはとても大切で
色々な場面で、心の支えになっています。

そしてそういう心許せる友人に不妊治療のことを話すことで
見えてくる客観的な考えというのも自分には、とてもプラスでした。

今のブログの更新にも似ているのですが…
手紙などを書くことで、自分の今置かれている状況や考えも
整理できるという利点もありましたし
何より、昔から私を知る友人からかけられた言葉には
とても勇気づけられましたし、癒された部分もあります。

ここで私が思う、不妊治療についてのことを色々と書きましたが
不妊治療の伴走者でもある、我がダンナはどうだったのか?

ちなみに今回の不妊治療を進めるにあたっては
私がどうしたいかということを
ダンナが最優先してくれた結果です。

ただ、私の気持ちを優先してくれているダンナが正直なところ

「子どもを授かることについて本音はどうなのか?」

という気持ちも私の中では頭の片隅に残っていました。

もちろん、治療を始める時、それぞれの治療にステップアップする際に
お互い、よく話し合いはしました。

その際には「yukiが納得いくまで治療すればいいよ」

という返事でした。

不妊治療は、前に書いている通り、女性側の負担が圧倒的に大きいです。
ただ、1人ではできない治療というのも、この治療の特徴です。
治療を行うには、夫側にも検査や診察を受けてもらる必要もあり
それは、男性によっては、プライドを危ぶむ事もあり
夫婦によってはそれが元となり夫婦関係が壊れるというケースもあります。

実際、自分に原因があることが分かるのが嫌で
検査すら受けない夫もいると聞きます。
そういったケースもある中で、我がダンナは
仕事の合間を縫って、検査や診察はもちろん、
それからも治療に協力してくれたことは
本当に有難かったですし、感謝しても足りない程です。

でも、それと同時に、ダンナはこうも言いました。

「別にこれからの人生、夫婦2人での生活でも自分は構わない。
 変な話だけど…子どもができなかったからって離婚なんてしないからね」

たぶん、この言葉が次第に私が治療を客観視できたことの
大きな理由かなと思います。

こうして治療を通して、お互いの今後の人生について
色々と話をしたことで、自分も
「治療を頑張った結果、妊娠に至らなくても大丈夫
 この人と、私はきっと子どもがいなくても楽しく暮らしていける」
と、少しずつですが、色々なことを話し合う上で、そう思えたことも事実です。

そしてもう一つ。
私の中で苦労して治療した末に授かった小さい命を
失ったことで見えたこともありました。

男性の場合、女性とは違い、身体の一部に命が宿る訳ではないので
妻が出産してからでないと、父性も生まれないことが大半で
妻の妊娠中から父性を育むというのは難しいというのは
私も保育士資格を取るために勉強していた際に
色々な資料などを通して、痛感していました。

なので、今回、60日間程しか生きられなかった我が子のことを
ダンナ自身はどう感じてくれるのかも私の中では不安の一つでした。

でも、私のが想像していた以上に、
我がダンナは小さい命をとても大切に思ってくれました。
そして、仕事が一番大変だった時なのに、
出来る限り、私に付き添ってくれて辛い私の心にも寄り添ってくれました。

何より、小さい命を亡くした中で、私と同じ歩幅で
ゆっくり、一緒に小さい命のことを思い、考え、弔ってくれたことは
とても嬉しく、有難く、そして心強い存在でした。

そんなダンナを姿を見ていたら
私の心も次第に落ち着きを取り戻し…

「これから、どんなに辛いことあっても、ダンナと一緒なら大丈夫だな」

と、思えた部分もありました。
その辛いことは…私の中では子どもがいない生活という
現実を受け止めるということも、少なからず含まれてると思います。

私の周りにも夫婦2人での生活を選んで
幸せそうな方々も、少なからずいらっしゃって
私自身も、子どもがいる人生が全てではないと
頭では理解しようとしていても…
私は、治療を始める前、そしてその途中も、
自分なりにその命題は、上手く消化できずにいました。

たぶん、不妊治療は、そういうものなんだと思います。

それは一般的な病気の治療と違い、
治療を受けたことで妊娠できないという自分の状況が
必ず解決できるものではないからです。
でも、私なりに治療を体験してみることで、
そして、小さい命を失ったことで、
「子どもがいる人生が全てではない」という命題と
今後の治療の行く末も少しずつ
輪郭がはっきりとしてきたような気もします。

自分の子どもがいたらそれは嬉しいこと。
でも、それが仮に叶わなかったとしても…
それはそれで違う未来が待っている。
その未来は自分なりにまた違った形で、
明るいものにできるというのが
計6回の治療を受けることで、今、思えることです。

不妊治療を経験した人より、
いただいた言葉で私が勇気づけられたのは

「不妊治療を経験した人は経験していない人より、人間の深さが違いますよ」

今はその言葉がとても深く響いています。
というか、その言葉を信じていたいです。

まだあと1つ、凍結保存されている受精卵が残されている今、
希望は残っている訳ですが…自分の身体のリスクを考えれば
それは思うような結果にならない確率も大きいです。

ある程度、覚悟はしています。

しかし、最後の結果がどうであれ
それはきちんと受け止めて、よりよい次へのステップへと
自分自身、道を選ばなくてはいけないなと思っています。