最近の主としてクラシックの演奏会の傾向として、ある特定の人やジャンルの全曲演奏を、まるで苦行に挑むかのように一気に行う、という流れがあるそうです。
日本以外ありえない 「一気に全曲」演奏、なぜ挑む
音楽のような芸術においては、それ自体完結するような、究極の終着点などはないものです。 あるレベルに到達しても、さらにまたその奥が見えてくるというような、無限に広がっていく世界です。
人生と同様に、そこに終着点があるとすれば、それはその人の存在の終りそのものであり、すべては寿命に到達するまでの過程でしかないことでしょう。
それでもなお、そこに完全性を見出そうとするならば、ある特定の人やジャンルに限定した上で、その狭い世界の中での究極の状況を求めるしかないのだと思います。
これは「何のために音楽を演奏するのか」という命題にも関係してくるでしょう。
完全性を求めて長時間の苦行に挑む行為も、ある一つの形だと思います。
スポーツとの共通性からいうならば、圧倒的な勝利の達成感を得ることや、奇跡的な技巧を見ることによって熱狂に包まれることもまた、演奏することの目的になりえることでしょう。
しかし音楽の世界は広く、それだけにとどまらないことも事実だと思います。
音楽においては、演奏をする人のそれまでの人生経験や考え方が、奏でる音となって現われてくるのだと思っています。
私自身においては、一つには演奏を通して「人を愛する気持ち」を共有したいという大切な目的があるため、超絶技巧により聴くものを圧倒するだけのような演奏からは、まずは距離を置くことにしていますが…。
完全性ということからの連想で思い出したのですが、以前に紹介した John Fedchock(tbn) の演奏に、そのような超絶技巧で圧倒されるような典型的なものがあるのでご紹介しましょう。
トロンボーンを演奏してみたことのある方なら、この曲のアンサンブルや後半で彼が見せるソロは、非常に高い技術を要するものであることがわかると思います。
が、それはジャズのインプロビゼーションという限定された狭い世界の中での完璧な演奏、ただそれだけのことでもあると思うのです。
John Fedchock New York Big Band - FLINTSTONED
New Trier Jazz Festival (2002)
Solos: Mark Vinci(sax), Barry Ries(tp), John Fedchock(tbn), John Riley(dr)
(2009-12-08 18:31:53)