ワインの「ラベル」(英語) 仏語・独語では「エチケット」と言いますが。 ワインの戸籍を示す物としてとても大切な物です。 以後「ラベル」と称します。 シャトー・ムートンロートシルトに最初に絵が描かれたのは1924年でした。しかし第2次世界大戦などの諸事情により中断され、終戦後1945年より有名な画家に描いてもらうようになり今日に至っています。
さて、前回私の旅行記でこのラベルを手がけた日本人堂本尚郎氏をご紹介しましたが、もう一人日本人が居ます。 セツコ・バルテュス(旧姓・出田節子)。 当時フランスで巨匠と言われたバルテュスがパリの日本美術展開催の為1962年に東京を訪れての出会いです。
セツコさんは1991年のラベルを描いています。
バルテュス自信も1993年のラベルを描いています。
夫婦揃ってムートンのラベルを飾る事が出来たのは、バルテュス夫妻だけです。 しかし、このバルテュスが描いた少女の裸体画が物議をかもします。 アメリカ政府から輸入禁止の措置を取られてしまいます。 (アメリカはムートンにとって上得意様) なぜか・・・ネオ・ピューリタンから児童ポルノだと批判された為です。 よって、アメリカには何も描かれない白色のラベルで輸出しました。 それが、右側のラベルです。
しかし、現在ではこの少女のラベルに人気が集まり さらに両バージョン揃う事でかなりのプレミアムが付いているようです。
シャトー・ムートンには、たくさんのエピソードがあります。1855年ナポレオン3世がパリ万博出品の為ボルドーワインの格付けを命じます。1級から5級まで61シャトーが決まりますが、今日までこの格付けは変わりません。 唯一、シャトー・ムートンを覗けば・・・
1855年当時 2級となったムートンは「我、1級たり得ず。 されど2級なることを潔しとせず。我、ムートンなり」をモットーに 百年を越す努力の結果! 遂に1973年に1級の実力・品格を認める書類に農業担当大臣がサインをします。
かくして、モットーも 「我、1級なり。 かつて、2級なりき。 されどムートンは何も変わらず。」と書き直します。 この時の農業担当大臣とは、今のジャック・シラク大統領です。
2級から1級へ昇格させた最大の功労者は バロン・フィリップです。毎年ラベルをどの画家に飾ってもらうか決めたのもバロン・フィリップです(現在は娘のフィリピーナさんだそうです)。
偶然、これを書いている時にマダムが買って来た「家庭画報」5月号に節子さんの記事があります。日本的でとても美しい女性です。 1962年、節子さんが20歳の時にバルテュスと出会い1967年に結婚。当時バルテュスは59歳(今の私と同じ歳)だったそうです。![]()
愛があれば、年の差なんて!! 本当なんですねぇ~~!!
わぁぁぁ~~!! 羨ましいぃ!! ![]()


